このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
風鎮めの祭・御射山祭(下社/御射山社)
8月26・27日
暗い参道を歩いて行くと 薄で壁を蔽った建物がありました。 これは穂屋なのでしょうか? そしてそこから続く階段の上に 祠が鎮座しています。 祀られる神は三柱。 神事はここで執り行われ、 お祓いを受けた子供達は 薄の穂をお守り(穂守り)に頂き さらに歩いて 原山様の国常立命を拝します。 | |
下社秋宮から4キロ程でしょうか。 人家もない山道を行ったところにある鳥居。 その足元には薄の穂が束ねられていました。 薄は神の依代(よりしろ)です。 現在では車で参拝するのが一般的ですが 昔は歩いてここまで来たのですね。 | |
初めての厄を祓う子供。 上社はうなぎを放つのに対し 下社はどじょうを放ちます。 *平成19年度、上社はどじょうを放ちました。 うなぎが貴重になったから? |
諏訪大社の特殊神事である御射山祭(みさやまさい)は古くは萱や薄の穂で屋根や壁を作った仮の小屋(穂屋)に篭った為、「穂屋祭」の名で知られているお祭りです。二百十日を前にして台風の被害の少なからん事を願い、五穀豊穣・天下泰平を祈って古くから御射山社で執り行われてきました。また人生最初の厄年である数え年2歳の子供を持つ家では、子供の健康を願いこの社に詣でるのです。御射山祭のこの日、お社では鳥居からその参道のところどころが薄で飾られています。御射山までは登れない人達の為の遥拝所となっている秋宮もこの日ばかりは薄で覆われているのです。 御射山社の名は「ミ」は美称、「サ」は「さやかなる、清々しい」、「ヤマ」は「山」からきているようです。このお社、下社は下諏訪町武居地籍にありますが現在では上社の富士見町字御射山神戸区で行われるものが規模も大きく良く知られています。これは下社に文献が残っていない事や、戦国時代に下社が上社に滅ぼされた事に起因するのかもしれません。しかしその形態からもともとは下社の祭りであったと推測されています。 下社の場合、その舞台は霧ケ峰一帯。今でも霧ケ峰の八島湿原にはその名残の旧御射山社が鎮座し、武将達が集った折に使ったであろう青磁や陶器などの出土品や桟敷跡などが残っています。鎌倉時代にはこの広大な原野を背景に、全国の武将が武芸を競いあったのだとか。そして一番の名誉は大祝金刺氏から賜った薄の穂がついた征矢だったといいます。 御射山祭は武将をして全国規模に諏訪信仰を広める事になり、その名残として各地の諏訪神社などでは27日に神事が行われる事が多いのです。 *遥拝所となる下社秋宮の「御射山祭」は こちら | |
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