このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

大注連縄


下社秋宮の神楽殿に張られた注連縄です。左末右本に結われた縄に、〆の子(藁束)が三垂れ、紙垂はその間に二垂れ挟まれています。出雲大社の注連縄と良く似ているように思えるのは、これらが以前は出雲人によって作られ、現在は指導を受けながら諏訪人の手で作られているからなのです。違うのは左を上位と考える左本右末の出雲大社と比べ、此処では一般的な左末右本で結われている事でしょうか。但しこれは、‘参拝者からみて左末右本’なのであり、‘お社から見ると右末左本’になっている事になります。そう考えると日本あるいは中国の左上位の風習を踏襲したものという事に。という事は出雲大社の注連縄の形は右末左本であり、まだ決まりごとがなかった頃の古き形を留めているといってもいいのではないでしょうか。

この神楽殿には明治以前に注連縄が張られた記録はありません。以降、額などが掲げられたといいますが、現在のような大注連縄が張られるようになったのは昭和になってからなのです。上社と下社が明治政府の政策により一社となる以前、つまり下社にまだ祝(はふり)が居られた頃には出雲大社に類似した注連縄がなかったという事なのですね。


注連縄の張替えは御柱祭の前年の12月に、春宮は下諏訪町第一区有志「春遊会」が、秋宮は「諏訪大社大注連縄奉献会」が担当し行います。長さ8メートル、重さ1トン。丁寧に作られ、新調された注連縄を張り替える作業は大変なものですが、これが終わるといよいよ御柱祭という感じで身が引き締まるのです。

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