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他戸親王
(761?〜775.4.27)
光仁天皇の第四皇子。母は聖武天皇皇女・皇后井上内親王。同母姉に酒人内親王((第21代斎王、桓武天皇妃)がいる。光仁天皇即位に伴い、皇太子となるが母・井上内親王が巫蠱の罪により廃され、その腹の他戸親王も庶人に落とされた。後に母子共に幽閉され、同日謎の死を遂げる。陵墓は奈良県五條市御山町。
「おさべ」と読む。他戸親王の生年は不詳で、『水鏡』に記されている年齢から逆算すれば宝字5年(761)の生まれとなる。しかし『本朝皇胤紹運録』『一代記』によればその薨年から更に誤差が生じてくる。一説に他戸親王は井上内親王腹の生まれではないとするものがある。これは井上内親王が高齢出産になってしまう事からきている説で、有力な実母候補としては井上内親王の母方の一族の娘・県犬養宿禰勇耳があげられる。
井上内親王の異母妹・称徳天皇の崩御により、父である白壁王が光仁天皇として即位。母・井上内親王は皇后に冊立され、他戸は宝亀2年(771)1月23日に3人の異母兄を超えて幼少ながらも皇太子に立てられた。これは天武(もしくは聖武)朝の血統を据える事によって人民を慰撫しようとした政策の1つか。しかし父・光仁天皇呪殺の罪で立太子から2ヶ月余りの同年3月2日に母后が巫蠱の罪で位を廃されると、5月には他戸親王も親王位を剥奪されてしまう。そんな中、同母姉の酒人内親王は光仁天皇の御世を守るべく伊勢斎王にト定。翌年1月には異母の長兄・山部が立太子した。ここに至り皇位は天武系から天智系へと完全に移る事になる。10月母后と共に光仁天皇の同母姉・難波内親王魘魅の罪により大和国宇智郡没官宅に幽閉。酒人内親王が伊勢に下向した翌年の宝亀6年4月に母子同日謎の死を遂げた事から自殺とも毒殺ともいわれる。『今昔物語』や『日本後紀』には他戸親王の暴虐を伝える。
* 他戸親王に思うこと *
他戸親王を物語る本の中には上述している『今昔物語』などがあります。『水鏡』(ももかはこの本は好き)でもそうですが、この井上さん&他戸さんの母子は、かなり婉曲された人物像で描かれていると思います。読んでいて「あんまりなんじゃない?」と言葉が出てきてしまうほど。明らかに作為的な手が入っているなと思うんですけど、当時の人はこれをそのまま受けて伝えたんですね。あんまりな性格故に光仁天皇との仲も良くなかったという話もありますが、井上さんも「あの」称徳天皇と不破内親王のお姉さんだからとんでもない奥さんだったとされていて、結構ゆがめられていますものね。可哀相。
五条に伝わる二人の最期のお話は、それでも他戸親王の井上内親王に対する愛情が見え隠れしているような気がするのです。
ももかがイメージする他戸親王は、「甘やかされて育った子供」であり「我侭で人の顔を見て態度を変える子」。だから山部さんは他戸さんが憎らしかったのだと思います。自分より年少でありながら、自分よりも多くを持っている弟。血筋も、地位も、愛情も。でも「幼い」他戸さんへの不憫な想いも勿論「大人な」山部さんにはあるのです。そこのところが複雑なのです。
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