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主な登場人物
〜原作のあの方この方〜

3人の主人公たち



オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ
ジャルジェ伯爵の第6女としてベルサイユ郊外で誕生。その力強い泣き声から、後継ぎを望んでいた父親によって男として育てられる。王太子妃としてアントワネットがフランスに嫁いできた後は、彼女の良き助言者ともなるがその助言はどのくらい受け入れられたかは疑問。士官学校を中退後、近衛連隊長付大尉、近衛連隊長大佐、准将などを歴任。初恋の相手はフェルゼンで、彼の為に初の女装姿も披露。しかしフェルゼンにとってオスカルはフランス一番の親友に留まるのみであった。ルソーやヴォルテールなどの啓蒙書物への傾倒からかいつしか特権階級への疑問を持ち始め、黒い騎士を取り逃がした事による降格処分としてのフランス衛兵隊ベルサイユ常駐部隊長への配属は、彼女の気持ちをますます第三身分へと近づける。大胆にもオスカルに求婚した元部下のジェローデルへの恋慕を退けた時は、恋愛ではなく武人として生きる道を選んだかのように見えたものの、ついに身分を越えて幼馴染のアンドレと結ばれた。パリ暴動の鎮圧の為に出撃した先で、自ら貴族である事を捨て市民に合流。運命の7月14日、バスティーユ牢獄襲撃の指揮を取りながら、銃撃され絶命。

オスカルは気が短く喧嘩っ早いきらいがあり、ド・ゲメネ公爵との決闘未遂事件、酒場での大暴れ、フランス衛兵隊隊員との乱闘などの経験があり、売られた喧嘩は買わずにはいられない性格の持ち主と推察。キレ易い一方で我慢強い面もある。また酒癖の悪さは年々強まる傾向であるが、底なしと賞賛されるように深酔いする事は滅多になかったようだ。旅行経験も多く、父親の領地のアラスや姉の嫁ぎ先にも出向いて休暇を謳歌している。学問、乗馬、射撃や剣術の指南は父ジャルジェ将軍から直々に教えを受け、本来の勘の良さから数々の仕事をこなしている。ジャルジェ将軍には反発しながらも、父として軍人として尊敬はしていたようだ。読書傾向は様々で、啓蒙書籍を齧っているかと思えば「ジャンヌ・バロア回想録」、「オルガン」なども手に取っているところが興味深い。職業柄、今時のベストセラーものに弱いのかったといえようか。


マリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ロレーヌ・オーストリッシュ(フランス王妃)
オーストリア・ハプスブルク家のマリア・テレジア女帝の末娘として誕生。14歳で和平を結ぶ政略結婚の形でフランス国王ルイ15世の孫で王太子ルイ・オーギュストの妃となる。しかし美しく闊達なアントワネットに対し、夫であるルイは対照的な存在であり、出会った直後に早くもルイに失望を感じている。王太子妃時代はその軽はずみな振る舞いからルイ15世の寵妃デュ・バリー夫人との間に一悶着が生じ、あわや外交問題にまで発展しそうになった。ルイ15世の逝去を受けて王妃となったのは18歳の時。深く考える事を嫌い、退屈を紛らわせる事のみを追求した彼女は、ローズ・ベルタン嬢の作る衣装に心を寄せ、ポリニャック伯夫人などのお気に入りの友達を作り、離宮であるプチ・トリアノン宮では古参の貴族を締め出し、賭け事に興じ、財政圧迫に拍車をかけてしまう。いつしか民衆の間には王家への不満が凝り固まり、それは「首飾り事件」を発端にして王妃であるマリー・アントワネットにも向けられた。王太子妃時代に覚えた夜のパリ非公式訪問のオペラ座で運命の人・フェルゼンと出会い、いつしか想い合う仲となったが、その事も彼女の不人気の一部ともなった。しかしフェルゼンの存在は、彼女が立ち向かう運命の支えにもなっていく。フランス革命が勃発し、ヴェルサイユ行進とパリ帰還、王権停止などを経て一家はタンプル塔へ幽閉。楽しみのみを求めていた小さな女王は、この激動の歴史の中でフランス王妃、統治者として成長していく。フランス共和国が彼女の母国であるオーストリアと戦争を始めると、外国出身の彼女の人気は更に下がった。夫ルイ16世に遅れる事9ヵ月後、彼女も断頭台の露と消える。

アントワネットは華やかな事を好み、深く考える事をよしとしなかったという。ダンスや音楽に秀で自ら作った曲もあるなど、読書嫌いの面の一方でこういった才能を開花させてもいる。他人の言葉に左右される事もあるが、性格は優しく、夫やオスカル、ポリニャック伯夫人を気遣う姿が良く見られる。アントワネットは、「王権は神によって与えられた」という民衆を支配する立場に生まれ、民衆から支配される事を望まなかった「王族」である。しかもヴェルサイユは都・パリから離れ、彼女がパリを訪れるのは仮面舞踏会やオペラ座での観劇などの民衆からかけ離れた立場であった。そんな彼女が革命を理解しようとしなかったのは当たり前だろう。また、彼女はフランスにとっていつまでも「外国人」であった。宮廷の中で、そして民衆の中で。


ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン
スウェーデンの高貴な家柄の上院議員の長男として生まれ、弟妹にファビアンとソフィアの存在を確認出来る。フランス見聞途中、パリのオペラ座で王太子妃マリー・アントワネットと、その護衛として従っていたオスカルとの「運命の出会い」以来、アントワネットの魅力に心を奪われ恋するようになる。彼女を忘れる為にアメリカ独立戦争に従軍をしてみたり、母国へ帰国したりと自ら努力を重ねてみるものの、その思いは捨てきれず苦悩の日々を送る。しかし遂にアントワネットと想い合う仲となり、良き相談相手であったオスカルを悩ませる事になった。外国人でありながらフランス宮廷で重きを成したのはアントワネットの力といって過言ではないが、そこには彼らを密かに見守っていたルイ16世の配慮もあったといえよう。フランスではロワイヤル・ドウー・ポン連隊付員数外大佐(陸軍連隊長)に任命されている。スウェーデン国王グスタフの要請でロシア戦線に参軍すべく一時帰国。フランス革命が勃発、親友・オスカルを亡くし貴族の亡命が進む中、フランスに立ち戻ったフェルゼンは王室を支える為に懸命に走り回った。フランス王家の没落ともいわれるヴァレンヌ逃亡事件にも関与し、その先頭にたって計画を練ったのは彼だった。逃亡事件は失敗に終わり、先に亡命していたフェルゼンはその結果をブイエ将軍から聞かされ絶望の淵に落とされる。手配書がまわるパリでジャルジェ将軍の力を借りて、チュルイリー宮殿に忍び込んだ時が、国王夫妻との今生の別れとなった。アントワネットの死後は母国で国王グスタフ4世に仕え元帥にまでのぼる。しかし、民衆を憎み、その彼を憎悪する民衆によって殺害される。奇しくもそれは彼が生涯悔やんだヴァレンヌ逃亡事件と同じ6月20日の事だった。

フェルゼンは均整の取れた美貌に恵まれ、控えめで無口でありながら穏やかな性格の持ち主。しかしその心の奥底は熱い情熱をも秘めているのである。ことに恋愛に関しては。男らしくもあり人間味に溢れたフェルゼンに、オスカルも惹かれている。彼は独立戦争に従軍したり、暴徒と化したパリの民衆からオスカルを守ったり、嵐の中のフランスに立ち返ったり、ベルサイユ行進後のパリ帰還では国王一家と共にパリへ赴いたりと危険を顧みず身を投げ出している。それが最も表されているのが、ヴァレンヌ逃亡事件への関与でもある。その計画段階から自らの屋敷を抵当に入れてまでフランス王室の為に働き、最愛の女性の騎士として存在する彼の姿は賞賛に値する。


物語を彩る人々



アンドレ・グランディエ
オスカルの乳母マロン・グラッセの孫。両親の死後、唯一の肉親である祖母の元に身を寄せ、ジャルジェ家に入る。男として育てられたオスカルの常に傍らにあり、幼少の頃は遊び相手として、長じてはオスカルの世話係として、また良き理解者として存在。密かにオスカルを想い、口に出して告白をした事も多々あるものの、いつも良い返事は得る事が出来ないままいたずらに時を過ごす。しかしオスカルの女装を目の当たりにしてポエマーとなった数少ない人物でもある事に注目したい。貴族の館を荒らしまわる黒い騎士をおびき寄せる為に変装してオスカルと共に彼を追うが、この時ご自慢の長髪を切ってイメージチェンジ。その黒い騎士まがいの盗みのテクニックは、荒削りながらも完璧で逃げ足も早いという事で評価を受けている。しかしその追跡課程で片目を負傷してしまう。フランス衛兵隊に配属となったオスカルを心配したジャルジェ将軍によって推挙され衛兵隊に入隊。そこでアランと知り合った。最初は反発していた2人だったが後にオスカルという存在を間に友情が芽生えたようだ。オスカルへの求婚者にジェローデルが現れた時、自らの身分の低さに苦しみ、ジェローデルにはショコラを浴びせ、オスカルとは心中を計るまでに思いつめるが、後に晴れてオスカルと結ばれる。パリ騒動でフランス衛兵隊に出動要請があった日、市民側に味方した衛兵隊の中にあって、国王の軍隊と応戦し戦死。この時彼の目は視力を失っていた。

ロザリー・ラ・モリエール
バロア王朝の最後の当主サン・レミー男爵と若かりし日のポリニャック伯夫人の私生児として誕生。バロア家女中ラ・モリエールに育てられるが、バロア家は没落してしまう。ジャンヌは異母姉。パレ・ロワイヤルに近い貧しいパリの下町に育ち、育ての親を貴族の馬車にひき殺されてからはその人物を探し出し復讐する事のみを考えるようになる。人違いからジャルジェ家に養われる運命となるが、そこで貴婦人としての教養と剣の腕を身につけた。オスカルを慕い彼女の身の回りの世話をする傍ら、乳母やジャルジェ家の人々には可愛がられていたようである。しかし、ラ・モリエールをひき殺した貴族がロザリーの実の母親ポリニャック伯夫人だと判明し苦悩の日々を送る。また実姉ジャンヌがフランスを騒がせる「首飾り事件」を引き起こし、これにも心を痛める。ポリニャック伯夫人が恩人であるオスカルの危害を及ぼそうとした為、かねてからの夫人の念願通りにポリニャック家に赴くが、ド・ギーシュ公爵と結婚させられそうになり伯爵家を出、パリへ戻った。後にオスカルに再会、ジャルジェ家に戻り、黒い騎士こと新聞記者ベルナールとの恋に落ち結婚。バスティーユ牢獄陥落時にオスカルを看取った数少ない人物でもある。国王ルイ16世の処刑後、王妃マリー・アントワネットも幽閉されていたタンプル塔からコンシェルジュリ牢獄へと移されるが、この期間の彼女の世話をしたのはロザリーであった。
後にベルナールとの間に一子フランソワが誕生。夫の死後はスタール夫人を頼りスイスへ逃れるが、後にスウェーデンに亡命。ここでオスカルの友人フェルゼンと再会した。フランソワは王太子時代のオスカル一世の教育係を務め、ロザリーは故国に帰る事なくスウェーデンで永眠。


ジャンヌ・バロア・ド・ラ・モット伯爵夫人
バロア王朝の最後の当主サン・レミー男爵と女中ラ・モリエールとの私生児。ロザリーの異母姉。パリの下町で貧困の中に育ちベルサイユで王妃のような生活を送る事を夢見る。ある時ド・ブーレンビリエ侯爵夫人に見出され、母妹を捨てて侯爵家に入り教育を受ける。彼女は求婚者だったニコラスと謀り侯爵夫人を殺害すると、その財産を手に入れた。また王族であるローアン大司教とも知り合いになり言葉巧みに金銭を騙し取っていく。ニコラスと結婚し、バロア王朝の末裔を名乗りバロア・ド・ラ・モット伯爵夫人を自称。王妃と親しいという虚偽の発言は、宝石商ベメールの耳にも届きそれが「首飾り事件」の発端となる。「首飾り事件」で全ての罪を被せられたジャンヌはムチ打ちの刑に処せられ牢獄に収容されたものの、いつしか脱獄。逃亡先で「ジャンヌ・バロア回想録」を出版し王家を批判するがベストセラー作家の栄誉を得る。しかしロザリーに送った彼女の手紙がオスカルの手に渡り、潜伏先が明らかとなる。オスカル率いる兵はサボンヌにいたジャンヌを捕らえるものの、抵抗の後、ベランダから転落死。彼女を牢獄から逃がしたのが誰であったのかは歴史の謎となっている。

ニコラス・ド・ラ・モット伯爵
常に軍服を着用しているところから職業軍人と推察される。何らかの縁で常にド・ブーレンビリエ侯爵家に出入りしており、ジャンヌと知り合って以降は熱烈なラブコールを送る。ブーレンビリエ侯爵夫人をジャンヌと共に殺害し財産を騙し取ってからは、その他彼女の側で悪事を重ねていく。伯爵を自称し、ローアン大司教の推薦により、ある程度整った容姿が必要とされる近衛連隊付大尉の地位を得た。「首飾り事件」発覚直前に国外に逃亡。欠席裁判での判決は終身漕役刑で結審している。

デュ・バリー伯爵夫人
下町の平民階級として生まれた娼婦だったが、名門貴族デュ・バリー伯爵夫人の称号を手に入れ、美貌と肉体美を武器に世を渡りついにルイ15世の寵妃となる。当時既に王妃は亡く、デュ・バリー夫人の権力は絶対であった。常にルイ15世の傍らにあり、贅沢と我儘のし放題で自らの世を謳歌してきた夫人であったが、オーストリアから嫁いできた王太子妃アントワネットの存在がそれを脅かすようになる。アントワネットを「赤毛のちび」と呼び、アントワネットとの意地をかけた名誉の戦いは、2年もの長きに渡るものの、老国王に泣きついた夫人の勝利で終わった。しかしルイ15世が天然痘に倒れると懸命の介護も空しくベルサイユから追放され、修道院に入る事になる。

ポリニャック伯爵夫人(マルティーヌ・ガブリエル・ド・ポリニャック)
ジュール・ド・ポリニャック伯爵の夫人。その優しげな面差しでアントワネットの心を捉えて以来、常に友人として彼女の傍らにあった。夫人はその親愛を笠に着て地位をねだり、一族を繁栄に導いていく。しかし世の中の不穏な動きに、女王としての自覚を持ち始めたアントワネットが政治の世界から次第に夫人を遠ざけるようになると、今度は結婚によって大貴族との縁を結ぼうと謀る。夫人の愛娘シャルロットはその犠牲となった1人であった。シャルロットの死後、結婚前に生んだサン・レミー男爵との間の私生児・ロザリーがジャルジェ家に養われている事を知ると、巧みに引き取る。新興貴族である夫人には権力の継続として、大貴族との政略結婚が是非とも必要であった。その為、ロザリーをシャルロットの代わりに嫁がせる事を決めるものの、ロザリーは伯爵家を飛び出してしまう。王子・王女の教育係でもあったが、バスティーユ牢獄が襲撃されフランス革命が勃発するといち早くベルサイユを離れ亡命。

ルイ15世
ルイ16世の祖父。長く続いたオーストリアとの戦争に政略結婚をもって終止符をうつべく、王太子ルイ・オーギュストとオーストリア皇女マリー・アントワネットの結婚を決めた1人。彼の宮廷では華やかなロココ文化が開花する。王妃を亡くしていたルイ15世はいつしかデュ・バリー夫人を宮廷の公式愛妾に迎える。王太子妃となったアントワネットと夫人が一悶着を起こした時は、その立場からも巻き込まれ、オーストリアとの同盟が破れそうにもなった。慈悲深く優しい心の人物ではあるが、国王として政治家としての能力は欠けていたようである。狩りの際、立ち寄ったトリアノン宮で発病、慣例に従いベルサイユ宮殿に帰るが天然痘の為に崩御。

ルイ16世
ルイ15世の孫。王太子時代にオーストリア皇女マリー・アントワネットと結婚。ルイ15世の崩御に伴い、僅か19歳で即位。近眼で太っていてダンスが苦手。読書と狩猟と錠前づくりを趣味とするルイとアントワネットは性格も行動も余りにもかけ離れた夫婦だったが、ルイはアントワネットのみを愛し、愛妾も置かなかった事は歴代ブルボン王家の国王の中では稀有で異質な存在。優しく家庭的な性格の反面、国王としての能力は欠け決断力に乏しく人員登用もアントワネットのいいなりだったようである。また兄とは正反対の性格の持ち主の弟達(プロヴァンス伯爵やアルトワ伯爵)は王位への野心に燃えていた。因みにローズ・ベルタン嬢の最新作のドレスの「ノミ色シリーズ」は彼が名付け親である。バスティーユ牢獄の襲撃に始まるフランス革命の勃発後、国王として波乱の生涯を送り、果ては国民議会から退位を言い渡されフランス王国は共和国へ躍進していく。国王として主権を独り占めした事が罪に問われ、断頭台の露と消える。その最期は王者としてふさわしいものだったという。

ベルナール・シャトレ
パリの新聞記者。ロベスピエールとはルイ・ル・グラン学院時代の同級生だった事から、彼を尊敬し常に支持。本業の傍ら、オルレアン公爵の庇護を得て、ベルサイユを騒がせる「黒い騎士」として貴族の館を荒らしまわっていたが、オスカルによって捕らわれの身となる。捕縛時に受けた銃弾の治療の為に一時ジャルジェ家に滞在を余儀なくされ、数年ぶりに再会したロザリーと恋に落ちた。実は貴族の私生児で幼い時に母親と無理心中して以来、母親を思慕しながら成長、ロザリーにその面影を見出したらしい。オスカルはベルナールの罪を問わず、ベルナールも「黒い騎士」を廃業を誓い、ロザリーを連れてパリに戻り結婚。後に「死の大天使」と称される事になるサン・ジュストは遠縁で、彼が「オルガン」で発禁処分を受けて潜伏していた時は家に迎え入れている。サン・ジュストのジャコバン寄りはロベスピエールの影響を受けたベルナールによるものだったかもしれない。メディアという仕事に携わるベルナールはペンを取りながらも、自ら街頭で民衆に呼びかけ第三身分の支持を受けてもいた。フランス衛兵隊がアベイ牢獄に収容された時、オスカルはこのベルナールの力を借り、ベルナールは民衆を先導し彼等を助ける事に成功している。また大蔵大臣ネッケルの罷免が伝えられると即座に民衆に武器を取るように演説。これにより民衆はマロニエの葉を帽子につけ武装、数日後のバスティーユ牢獄の襲撃を迎える事になる。パリ暴動で命を落としたアンドレを看取った人物でもある。
革命後は友人となったアランと共にフランス共和国の行く末を見守りながらジャーナリストとしてパリに在住。一時アランと共にナポレオンの擁立に携わったが、彼が独裁を望み共和国を否定しようとしているのを知ると、家族をスイスに亡命させアランと共にナポレオンの暗殺を謀る。しかし今一歩のところで暗殺は失敗し、惨殺された。ある意味文武両道に秀でた彼の弱点といえば、ロザリーの「お願い」のようである。


アラン・ド・ソワソン
降格処分を受けてフランス衛兵隊に配属になったオスカルの部下で、衛兵隊一番の使い手。その剣の腕はアンドレ以上オスカル未満。オスカルよりは年下という事が分かっている。貴族出身で仕官学校出であるが上官に反抗し降格処分された前歴を持ち、衛兵隊では第一班班長を務める。荒っぽく喧嘩っ早い性格ながらも衛兵隊員には慕われ頼りにされているところに注目したい。初めはオスカルに反感を持っていたが、次第に理解を示すようになる。またオスカルを女性として敬愛するようにもなった。アンドレに対しても反感の感情は友情へと変わっていたようで、彼の目の事に関しては一番気にかけている姿が見え隠れしている。アンドレと交わした約束は彼の最期まで違えていないことから、信頼に足る人物といえよう。最愛の妹ディアンヌを自殺という形で亡くすが、後に彼女の面影を映す女性達に何かしら関わるようになっていく。バスティーユ牢獄の襲撃に際し、フランス衛兵隊の一員として市民と合流、活躍。オスカルの最期を看取った人物の1人で、その際オスカルを庇って負傷。革命中はオスカルの姪ル・ルー一家の亡命を手助けした。
家族には妹の他に母親がいたが、妹の死後、母親も失う。一時友人のベルナール家に身を寄せていた事もある。後にナポレオンと出会い、その人物に惹かれて彼の傍らにあり、マレンゴ、エジプトなどを歴戦した。しかしナポレオンの野望が共和国の否定・独裁権力者となる事に危惧を抱き、暗殺を試みる。ベルナールと謀った暗殺は失敗し、惨殺される。

ジェローデル大佐(ヴィクトル・クレマン・ド・ジェローデル)
近衛隊に所属し、大尉を経て少佐に任官、その後大佐に。「1781年の規則」公布以後に昇進している事や、幼い頃に田舎で乳母に育てられている事から、貴族の中でも上流の家柄と推察出来る。因みに長男ではない。近衛隊にあってオスカルを上官として仰いでいたが、オスカルがフランス衛兵隊への配属となった後はジャルジェ将軍を介して交際を申し込むという勇気ある行動に出る。結果として身を引く事になるが、ロマンチストで知性的・冷静的であり、オスカルを「マドモアゼル」と呼べる唯一の人物である。フェルゼンの妹ソフィアとは、互いを理解し合っていた。革命中に消息不明となるがイギリスで永遠の命を得る。

ジャルジェ将軍(レニエ・ド・ジャルジェ)
フランス王家の信任も厚く代々王家の軍隊を統率してきた由緒ある将軍家の当主。しかし生まれてきた子供が全て女の子だった事から、末娘オスカルを後継ぎとして育てるという理解し難い行動に出た。妻であるジャルジェ夫人は旧ロレーヌ公国の出身で画家ラトゥールの孫にしてアントワネット付主席侍女。当時には珍しい相思相愛の夫婦として有名で、愛人を囲った形跡は見出せない。オスカルには厳しくもあり優しくもあった父だが、いつも彼女の考えを理解しようと務めていたようである。アンドレがオスカルに懸想している事を知りつつも、身分違いの壁を越えて彼の想いを尊重しようと務めているところが他の貴族とは違った考えの持ち主といえよう。またジャルジェ家は当時の貴族らしからぬ家庭的な生活を送っている。オスカルの上官となったブイエ将軍は革命期は同じ王党派であったがどうもしっくりいかない仲であったようである。バスティーユ牢獄の襲撃で最愛の娘オスカルを亡くし、同じ頃に妻をも失う。その後も王党派の1人としてフランスに残り王家に変わらぬ忠誠を誓った。ヴァレンヌ逃亡事件後、指名手配中のフェルゼン伯がフランスにやって来た時はチュイルリー宮殿に忍び込むのに力を貸している。国王処刑後、コンシェルジュリー牢獄に移されたアントワネットと極秘に面会。逃亡の計画を打ち明けるが、アントワネットはこれを拒絶した。アントワネットの遺品はジャルジェ将軍を経由し亡命中の王弟やスウェーデンのフェルゼン伯に渡ったらしい。

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