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特別展示 ナカミオー

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ナカミオー ナカミオー ナカミオー ナカミオー ナカミオー

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ナカミオープロフィール

生年月日1989年4月8日
モガミ
ナカミサファイヤ
母父ボールドリック
性別
馬主中村 美俊 氏
生産者門別 森永 孝志 氏
調教師美浦 八木沢 勝美 厩舎
毛色黒鹿毛
戦績5戦 1勝 2着1回    成績詳細
主な近親馬 ナカミサファイヤ
 1980年 新潟記念 G3  優勝
 1979年 オークス G1  2着
 1979年 クイーンC G3 2着
ナカミジュリアン
 1987年 クイーンC G3 優勝
従姉ナカミアンゼリカ
 1985年 オークス G1  2着
 1985年 クイーンC G3 2着
近親現役馬
姪  ミズホユウセイ  中央 2勝
甥 
ウインドファンタジ  兵庫 3勝(園田ジュニアカップ、園田ユースカップ)  画像
成績は2006年12月14日時点
PINEとナカ
ミオーについて
PINEとナカミオーの「えにし」のきっかけは、ナカミオー誕生より更に3年近く前の
1986年にさかのぼる。学生時代の友人(仮にサンデー君とする)とは、競馬の話題で
も意気投合し、しばしば競馬場にも足を運んだ。当時、競馬雑誌主催のペーパーオーナー
ゲーム(誌上架空馬主ゲーム)の流行りはじめで、サンデー君と私もそれぞれデビュー前
の3歳馬(当時の年齢表記)を指名して、ゲームに参加、指名した馬の応援をしていた。

この1986年にサンデー君はナカミジュリアンという牝馬を指名した。ナカミオーの5
歳上の姉である。PINEの指名した馬はデビューすら出来なかったが、ナカミジュリア
ンは11月のデビュー戦に優勝しサンデー君と私は大いに盛り上がった。そして、私はナ
カミジュリアン応援イベントを企画(単に競馬場へ行くだけなのだが)し、1987年2
月1日東京競馬場で行われたクイーンCへサンデー君と共に、馳せ参じた。このレースで
3番人気だったナカミジュリアンは我々の声援が届いたのか、
見事優勝 を飾り、ここにサ
ンデー君の喜びは一気に爆発していた。その後サンデー君は阪神競馬場へもナカミジュリ
アンの応援に行ったりしたが、ナカミジュリアンの優勝はこのクイーンCが最後となって
しまった。

ナカミジュリアンのクイーンC優勝から2年半後の1989年9月、私は北海道牧場巡り
のチャンスに恵まれた。期間は3日間あったので、思い出深い馬に再会すべく計画を練っ
た。そして、その中にサンデー君と喜びを分かち合った、ナカミジュリアンとの再会も予
定に組み入れた。写真を撮ってくれば、サンデー君にも喜んでもらえるだろうと思ったか
らだ。
1989年9月29日、
ナカミジュリアン は生まれ故郷の北海道門別森永牧場で母親ナカ
ミサファイヤと共に静かに放牧されていた。お腹には初めての仔を宿し、母馬としての貫
禄も出てきていた。

前置きがひじょ〜に長くなってしまったが、この森永牧場訪問が私とナカミオー出会いの
最初である。要するにサンデー君の応援していたナカミジュリアンが私とナカミオーを引
き合わせてくれたのである。
生後半年のナカミオーはまだ幼く、母ナカミサファイヤに寄り添うように甘えていた姿を
思い出す。それでいて、光沢のある馬体からは俊敏性も感じられた。「この馬も将来、お
母さんやお姉ちゃんの様に大レースで活躍してくれたら嬉しいな」と願いながらシャッタ
ーを切っていた。それが、ナカミサファイヤとナカミオーの
母仔写真 である。
しかし、この時点では牧場巡りで撮影した沢山の写真の中の1コマに過ぎなかった。

それから更に2年半が経過した1992年3月7日、友駿ホースクラブで出資している愛
馬クインシーシチーの応援のため、中山競馬場へカメラを持って出かけた。クインシーシ
チーの出番を待つ間、新聞を眺めていると「母ナカミサファイヤ」という文字が目に飛び
込んできた。実は残念ながらこの時、牧場で写真を撮った馬だとは気がつかなかった><
。それでも「あのナカミジュリアンの弟」ということで、1枚シャッターを切っていたの
がナカミオーの
パドック写真 である。2年半前に牧場で撮影した仔馬の成長した姿だと気
がついていれば・・・。それが今になってみると悔しくてたまらない。なぜならこの時、
ナカミオーは見事に優勝を飾ったからである。気がついていれば間違いなく、ウィナーズ
サークルでの勇姿もカメラに収めることができたからだ。ウィナーズサークルでの記念撮
影は競走馬の晴れ姿とも言えよう。

ナカミオー自身、競走馬としてはこの1勝で終わってしまったため、残念ながら多くの人
の記憶に残る馬にはなれなかった。しかし、登録を抹消された競走馬の大半は「乗用馬」
の名目で屠殺処分されると聞く。ナカミオーが平穏な余生を過ごしていることを知り、そ
れが何より嬉しく思う。
今回Webを通じてナカミオーの近況を寄せていただき、改めてこの馬との不思議な縁を
感じている。今、こうして前述の出来事も含めてナカミオーとの想い出を辿り、この文章
を綴ってきたのだが、一方でこの想像もしていなかった展開に正直、PINE自身驚いて
いる。

今は高校の馬術部で活躍しているというナカミオー。心優しい若者達に囲まれ、これから
も幸せに過ごしてくれることを願ってやまない。
最後になりましたが、写真及び情報をお寄せ下さいました、鈴さんに心よりお礼申し上げ
ます。
                         2006年2月18日 PINE

 

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