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2001年2月〜2001年5月

2001年5月20日
まず訂正から。2月27日のボヤキで、紀三井寺競馬廃止当時PINEは学生であったと記
述しました。紀三井寺競馬の廃止は昭和63年。しっかり社会人してました。残業、休日出
勤の嵐で、自分の時間など取れない時期でした。行けるような生活環境ではありませんで
した。
昭和63年は思い出深い年で、ハードな労働環境ながらも、しっかり競馬にはのめりこんで
おり、オグリキャップやタマモクロスを負かせそうな穴馬を探しては討ち死にしてました。
仕事では、札幌、新潟、京都、阪神などなど、あちこち徹夜しながら飛び回ってました。
府中で行われた皐月賞当日、某国家認定試験を受験しており、試験中もレースが気にな
り、集中力を欠いていた覚えがあります。
サクラチヨノオーのダービーは単勝を少々獲った記憶があります。
昭和56年夏に旅行した時の鉄道写真をUPしました。画質が今イチなのが不満です。
当時は、寝台車に乗ることが第一目的で行き先を選んでました。寝台車に乗っても興奮
して、眠れなかったことを覚えています。
目的地では、普段見ることの出来ない列車に胸ときめかせながら、ファインダーをのぞい
てました。もうこんな純真(?)な気持ちは持てないんだろうな。
と、言いつつ来週の佐賀、荒尾に向け、徐々に気持ちがハイになるPINEでした。
2001年5月12日
2週間後に九州遠征を控えて、足の確保(航空券)と宿の予約以外何も準備をしていない
。イマイチ気分がのってこない。理由は最大目的であった中津の中止。
学生のころは、旅行が決まると毎日時刻表とにらめっこして、気分を盛り上げていった。
しかし、今回は行き帰りの飛行機の時刻は決定しているが、佐賀、荒尾までどのように
行くかや、さらに当初中津を予定していた3日目の過ごし方すら決定していない。
これから本屋に行って、情報を収集してくるとします。吉野ヶ里遺跡ってガラじゃないんだ
けど、3日目はここら辺かな。
4戦目にして、今日初めて愛馬スズランシチーのレース映像を見ることができた。
今日のレースっぷりを一言で表すと、「先行するも追って味なし」。11着惨敗だった。
原因は何か?府中の坂、距離、芝適性。短距離で先行できるだけのテンのスピードはあ
るのだから、能力とは考えたくない。
今後夏のローカル開催が始まるので、小回り平坦の1000mや1200mで行くだけ行って
粘る競走に活路を見いだして欲しい。
2001年4月30日
当ホームページも開設1周年を迎えました。改築、増築がE加減であると同時に、営業活
動をしなかったため、殆ど人様に見て頂くこともなく1年を経てしまった。
写真館もだいぶ充実してきたので、これからは少々営業活動を行い、共通の趣味を持っ 
た方々に当HPを知って頂こうと思う。
開設1周年記念(競輪丸出し)と称して、鉄道写真の拡充を行っていきます。「古(いにし 
え)の」とは銘打ってますが、古い写真でも1978年頃のものです。最近の写真では1997
年長野新幹線開通直前の碓氷峠を数枚UPの予定です。
さすがにここ数年は、カメラ片手に列車や馬を追いかけるも無くなったため、今回の拡充
が終了すると、写真に関しては打ち止めとなります。
しか〜し、近年あちこちで拾い集めている、競輪選手、ゴルファー、騎手の○○○を当HP
にUPしていこうと考えている。ただ、サーバの容量が限界に近づいて来ているのが気が
かりです。
4月29日、愛馬スズランシチーが福島で出走。
ガーガーピーピー雑音の入るラジ短で応援。道中1回名前を呼ばれたのみで6着敗退。
前走連闘だっため、少し間隔を空けた模様だ。更に先週除外をくらったため、若干調整が
狂っているようだ。中2週くらいでコンスタントに走らせ、調子を上げって行ってもらいたい。
2001年4月16日
フゥ〜。シャレにならんことが現実となってもうた。「ざけんな!」とやり場のない怒りをこの
文章にぶつけている。4月11日NAR公式HPの発表で6月迄の中津開催の中止が決定
した。つまり、平成13年度は未開催のまま中津競馬は閉鎖となった。やっとの思いで上
司に休暇の伺いをたて、ネットで格安航空券までGETしたのに。何より悔しいのは、全国
競馬場行脚予定が未完成になってしまったことだ。老後の楽しみと考えていたが、閉鎖検
討の競馬場はまだまだあるとか。安サラリーマンのPINEには、所詮無理な目標だったの
か。
と、ネガティブに考えていても何も産出されないので、予定通り5月下旬には、佐賀&荒尾
を撃破(撃沈?)してくるつもりです。今後競馬場の閉鎖が続出しないことを祈るばかりで
す。県民、市民の税金を充当してまで存続しろとまでは言いません。各競馬場が所有して
いるソフト(競走馬、調教師、騎手、厩務員等)や営業努力(すごく抽象的でスミマセン)で
生き残って欲しいです。泥臭い表現ですが、「関係者も生活がかかってる」はずですから。
それにしても中津競馬を予定していた日は何処へいこうか?フゥ〜。
2001年4月9日
2月27日のボヤキで遠征計画を発表した中津競馬ツアー。今のところ、5月下旬を目標
にスケジューリングしています。しかし、NAR(地方競馬全国協会)公式HPによると、予定
していた4月上旬の中津開催が中止になったとのこと。まさかこのまま6月を待たずして打
ち切りになってしまうのでは・・・。4月15、6日に予定されている次開催をチェックしたいと
思います。でも5月下旬に九州まで行ったはいいが、開催中止じゃシャレにならんな〜。
2001年3月26日
今日はボヤキではなく、先週末頑張ったアスリートへの感謝の辞。
まず、愛馬リザルトシチー。前走埼玉TV杯後のクラブからの情報では、「疲れが出たので
ひと息入れ、4月からの府中戦まで待つ」ようなアナウンスであった。それが19日月曜日
に、24日の隅田川特別に登録していることが判明。「本当に出てくるのかいな」と疑い、更
に中間の一頓挫で調教も満足に行っていない状態で「大丈夫かいな」と不安も混じった1
週間であった。結果は、良い方向で期待を大きく裏切る鮮やかな追い込み勝ち。牡馬な
がら450k切る小柄な馬体だが、素晴らしい瞬発力を持つ名馬です。「愛馬成績」ページ
にあるように、 リザルト以前の持ち馬は全て1勝止まりでした。この馬で初め て特別優勝
や重賞挑戦を経験させてもらいました。次走も同条件ですので、「展開に注文がつく」とい
う制約はありますが、勝利数の上乗せを期待したいと思います。
次にダービー決勝で先行した小嶋敬二選手。車券は外れましたが、勇気ある最終先行を
讃えたいと思います。ただ最終周回2センター付近で落車していたのが心配です。怪我を
していないことを祈ります。
最後に稲村成浩選手優勝おめでとう。高校生での世界選手権銀メダル獲得や父親の呪
縛(父も競輪の大選手)など、サラブレッド故の期待、プレッシャーから開放され、更に飛
躍できるものと思います。俺が買ってる時に来てくれ〜って最後にボヤいてしまった。
2001年3月18日
昨日スズランシチーが連闘に挑戦。兄たち(コルディア、サンフォード)には実績のあるダ
ートの中距離戦で2番人気に推されていましたが、中段から伸びずの10着でした。牝馬で
すが490kと馬格はありますのでダートは苦にしないと思います。スタミナ切れなのかな。
ちなみに父はバクシンオーです。まだこの時期レースは沢山あるのだから、連闘なんかし
なくても良いと思うのだが・・・。故障だけはしないでおくれ。
20日から千葉県の松戸競輪場で日本選手権競輪(通称ダービー)が始まる。
【PINEのこの一車】
石川の小嶋敬二を応援する。一昨年2着、昨年3着とあと一歩及ばずでダービー制覇を
逃している。先手有利のルーレットバンクで鐘からの逃げ切りに期待したい。ただ、応援と
車券は別物で、小嶋が車券的に妙味が無い場合、別選手へ素早くスイッチする予定。
特定の競輪選手と心中するつもりはありません。
2001年3月10日
愛馬スズランシチーが中京の未出走戦でデビューしました。PINEはグリーンチャンネルに
加入できる生活水準ではないため、短波ラジオでの応援となりました。
実際の映像を見ていないため評価は難しいですが、先行して4角先頭は見せ場充分と考
えます。早いうちに1勝して欲しいものです。
中津遠征の計画をたてるため、九州3場の開催日程をNARに問い合わせたが、4月以降
の開催日程が未だに決まってないとのこと。全くスケジュールをたてられない状態で、中津
制覇に黄信号点灯。
3月2日に大阪〜青森を結ぶ特急「白鳥」がその役目を終了しました。実際に乗車したこ
とはありませんでしたが、東京〜西鹿児島を結んでいた寝台特急「富士」と並んで憧れた
ロングラン列車でした。新聞によると大阪〜青森間を完乗する客は2〜3人/日とのこと
で、コスト面を考えれば廃止もやむを得ないのでしょう。
2001年2月27日
長い間改築をサボッてきましたが、これから春にかけて再び写真の拡充をメインに
増築を行っていきたいと考えています

中津競馬が6月をもって開催中止。競馬場行脚全国制覇を目指す小生にとって九州3場
は最大の関門。さらにタイムリミットが設けられては大ピンチです。
紀三井寺が廃止された時は、まだ学生であったため必然的に断念せざるをえませんでし
たが、今回は何としても制覇してこようと現在計画を練っています。
この廃止の流れは、国鉄が地方ローカル線を次々切り捨てていったように、全国の不採
算競馬場に波及するのではないかと不安になります。
本当は定年後老後の楽しみとして、各地に点在する地方競馬場をひとつずつ回ろうなどと
悠長に考えていたのですが、追随する競馬場も出てくると私の夢も儚く散りそうです。  

 

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