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2005年11月2日 |
天覧レースとなった2005年天皇賞秋は2分00秒1という平凡なタイムで、牝馬のヘヴンリーロマ ンスが勝った。 PINEは近年稀にみるこの異様な勝ちタイムに、施行者の意図的なものを感じたのだが・・・。 ある程度タイムが遅くなれば、能力の劣った馬にもチャンスが生まれ、意図した馬を勝利に導きやすく なる。ヘヴンリーロマンス、最悪でも2着のゼンノロブロイを勝たせなければならない訳があったので はないか。 今回の天皇賞秋の最大のポイントは、天皇賞創設100周年記念にしてJRAの悲願であった天皇陛下 のご来場。関係者の中にはダービー以上の緊張感を持った人もいたのでは。 では何故ヘヴンリーロマンスか?管理する山本正司調教師は出走馬中最高齢調教師。再来年定年を迎え るが、ダービーには縁の無かった調教師である。戦前生まれの老調教師の餞に天覧天皇賞は格好のレー スだったのでは。仮に不測の事態が起こってヘヴンリーロマンスが勝てなくてもゼンノロブロイの藤沢 和雄師なら日本№1調教師ということで記念レースの威厳が保てます。 もう一つ加えるならば、騎手の見た目も大事だったのでは。何せ天覧レースです。粗相があってはいけ ません。ウィニングラン時にきちんと頭を垂れられるベテラン騎手でなければならなかったのです。ヘ ルメットを脱いで茶髪やら金髪、ピアスのアンチャン騎手では天皇陛下に失礼との考えが施行者に働い たのでしょう。ましてや外人騎手には任せられません。松永幹夫騎手は出走馬中、横山典弘騎手と並び JRA20年目の最ベテランでした。横山典弘騎手にしても若い頃のチャラチャラした面影は全くなく 、近年は落ち着きしっかりしてますから。 恐らく松永ヘヴンリーロマンスはこの大役をこなすのに適任だったのでしょう。師匠の山本師と相まっ て、天皇賞のトップオーダーに指名されたのだと思います。 それでも友駿G1クイズにはヘヴンリーロマンスを指名できなかったので、結果論に過ぎませんがね。 調教師の年齢は事前に調べていたんですよ。最初の5〜6頭の中には入っていたですよ。本当に。でも 天皇賞で牝馬は分が悪い。更に連闘後2か月の休養明けというローテーションも好感が持てずオミット しちゃいました。こんなイカサマタイムになるとは思いませんでしたから。逆に天覧レースが荒れると は思いませんでしたから。平穏な結果になると思って無難な調教師、騎手のゼンノロブロイを指名しま した。藤沢師が天覧レースに勝たせるために、1回限定で横山騎手を起用したのだと思ったのです。で なければ外人騎手使うでしょう。あの厩舎は。これがロブロイ指名の根拠なんです。 1990年の有馬記念も今回同様、意図的なものを感じるレースとしてここで述べておきます。全国の ファンがオグリのラストランに感動して涙したあのレースです。 このレースは競馬ブームの立役者であるオグリキャップ&武豊を勝たせるため(ご褒美)のレースだっ たのではないか。スローペースにしてオグリを最終4コーナー先頭で走らせる。直線は誰も抜いてはい けない。全然逃げたことのない無印の成績不振馬が、突然逃げて大穴をあける地方競馬でしばしば見か ける光景に似たレースでした。そんな暗黙のルールが出来上がっていたと考えているのだが。 このオグリラストランVによって競馬人気は「ブーム」を脱却して「レジャー」として市民権を得て、 90年代の隆盛へとつながったと思える。妹オグリローマンを桜花賞に勝たせる念の入れようには閉口 したが。 |
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