このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

自叙伝「仙人への道」 

著者:斎藤政次郎  作成:平成11年6月

 著者は元「さいとうフードセンター」社長(注)

 

あらすじ (戦前編)

 大正4年9月28日埼玉県入間郡柏原村に生まれる。当時の柏原村の戸数は400戸足らずで時代は不景気のどん底。

 兄は夭折し、姉がひとり。家業は水車による製粉業で、幼児期は工場の中で三輪車で遊ぶ。 

 大正11年尋常小学校へ入学、大正12年9月1日関東大震災を経験する。

 昭和3年尋常小学校卒業、 豊岡実業学校 (5年制)に入学。珠算部で活躍、全国大会にも出場する。4年生終了後に退学、家業に就く。

 昭和10年夏徴兵検査甲種合格、昭和11年1月10日に赤坂 歩兵第1連隊第3中隊 に入営。

 「 2・26事件 」に連座、所属の第1師団は満州に派遣される。

 昭和11年5月8日品川駅より満州に向けて出発、宇品、大連、関東州界を通過、5月16日奉安鎮着後地区防衛に就く。

 奉安鎮市街

 昭和12年7月7日支那事変(日中戦争)勃発、7月29日北支(中国東北部)に向け移動、北寧鉄道警備に就く。

 一等兵に進級後北支の戦闘( チャハル作戦 )に従軍(チャハル兵団=東条英機中将)、9月1日伍長に進級後、張家口、大同攻略戦に従軍、この戦闘で後頭部負傷し大同の第5師団野戦病院に送られる。

 昭和12年12月1日、現地除隊、現地召集を受ける。陸軍士官学校を受験するが失敗、昭和13年6月1日軍曹に進級、幹部教育を受ける。

 昭和14年11月22日、再び北支へ派遣されるが左腕を負傷し入院、内地送還で廣島陸軍病院、佐倉陸軍病院などで治療に専念する。この間曹長に進級。

 昭和17年6月19日佐倉陸軍病院で治癒退院、 大本営 陸軍報道部に配属される。

 報道部では陸軍の電報情報の束に接する。支那事変関係、満州方面、米英関係に分類整理する。

 アッツ島、キスク島、ガダルカナル島などからの戦況情報にも接する。昭和18年12月1日准尉に進級、陸軍省報道部からの 戦況発表 の下準備や情報整理に従事。

 陸軍大臣による議会関係への戦況報告の資料作成にも関わり、議会からの質問への回答などの準備にも従事。

 昭和19年3月14日ウメ子と結婚、四谷若葉一丁目に所帯を持つ。

 昭和20年8月6日廣島に原爆、同月9日長崎にも原爆。昭和20年8月15日終戦の放送を聞く。 

 同年8月31日の大本営解散後陸軍省関係の報道、発表に携わる。同年10月31日予備役編入で実家に戻る。

 注:「さいとうフードセンター」の跡地は、入間川沿いの県道に接したパチンコ店「太陽」。

 

 

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