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坂口安吾 安吾新日本地理 高麗神社の祭りの笛
s26年3月から12月まで文芸春秋に連載、高麗村の当時、古代史の英雄や歴史を陰で支えた人々を訪ねて紀行文を執筆した。文中、高麗神社の祭礼(獅子舞)について記す。そのほかには高麗王の由緒、聖天院のこと、天覧山麓温泉旅館東雲亭(旅館)でのもてなしの内容(山菜料理と酒)、コマ村にはタクシーで行く。若い神官、宮司が不在、系図を見せてもらう。系図の頭が消えていることに思いをめぐらす。笛の音は「かくれんぼ」を想起させる色調。もう一系統のコマ氏(福信の話)、飯能の豪族丹治氏、中山氏の話が出る。 日本人の祖先を渡来人として捉え、弥生初期からの在来のひとびとは朝鮮半島からわたってきたひとびとが、新しいひとびとほど優れた文化・技術を持参してきたことを尊敬し受け入れてきた。高麗氏、修験者(山伏に)なった。これは中央になびかない理由付け。宗教者としての立場を保ってきたが途中、権力者から嫁を取るなど政略にもたけていた。高句麗、新羅、百済の盛衰によって日本への渡来の変遷を推理。 族長に率いられ小船で流れ着いたのではないか。自分勝手に部落を作り住みついたのではないか。毒虫疫病に猛獣の攻撃から身を守り、縄文人とのあつれきを避けて居住地を求めたのではないか。高い技術と知識が在来のひとびとに受け入れられた素地ではないか。1799人はなぜ移住させられたのか? それは対象となったひとびとが、高い意識と容易に溶け込まない信念があったのではないか、と推定する。横のつながり−派閥がああったのではないか。そのようなこともあって聖徳太子は仏教で国を統一しようとした。文化・芸術のレベルも高く、国内の勢力朝鮮族間の対立を溶くには仏教を崇敬することが良いと考えたのえはないか。それが国を統一することにつながった。→日本民族の成立。遷都の理由は?
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