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日高と天皇
第5回 陸軍士官学校高萩分教場
だいぶ古い話が続いて恐縮ですが、陸軍航空士官学校豊岡分校に関する記録を調べてみました。昭和12年に埼玉県の所沢陸軍飛行学校が廃止され、陸軍士官学校分校が設立。昭和13年5月にそれが豊岡、入間川の新校舎に移転。昭和13年12月に分校から独立、陸軍航空士官学校となる。付属飛行場(420万平米)を有し、修武台と命名される。(現在は航空自衛隊入間基地)高萩飛行場は分教場として使用、敗戦後は農地に戻り現在の日高市旭が丘となる。埼玉県朝霞の士官学校予科は振武台、神奈川県座間の士官学校本科は相武台と命名されました。
藤原彰「天皇制と軍隊」によれば、陸軍士官学校卒業生は昭和13年陸士51期461名、14年52期509名、15年53期、54期がそれぞれ1365名、1798名と倍化しその後1000名台を維持、昭和20年の夏敗戦に伴い59期生で閉校している。また航士は昭和13年40名でスタートし、その後昭和20年3月に1155名が卒業している。昭和天皇が昭和14年に訪れたときは45名、16年3月に388名、17年3月に595名、昭和18年は627名、19年3月は1145名が卒業している。現在の入間基地内にある「修武台記念館」には特攻機(桜花)復元機など戦争中の軍関係資料および米軍進駐時代の記録が保存展示されています。 日高市の郷土史家横田八郎氏の著書によれば、終戦まじかに高萩飛行場の練習機のすべてが自力で、または解体されて貨車輸送により満州に送られたと記されています。その背景については防衛庁防衛研修所戦史室の戦史叢書「満州方面 陸軍航空作戦」の第4章にその前後のいきさつが記されています。 日高におけるその様子は横田氏の著書に詳しく述べられているが、全体的な流れを知るにはこの防衛庁の資料が参考になる。
この書籍は書名のとおり満州における陸軍航空作戦についてまとめられたもので、航空戦力、歴史、特徴などについて書かれています。それによれば、昭和19年6月サイパン島奪回中止以降、日本の絶対防空圏はアメリカの爆撃機B29の攻撃にさらされることになり、連日・日本本土に米軍の飛行機が飛来するようになります。
現在の中国の北部、当時の満州国に展開していた陸軍の航空部隊は、日本帝国陸海軍の中枢である大本営の決定に従いフィリピン方面に移動展開したため、昭和19年5月、満州における戦闘に参加できる航空兵器は偵察機を中心とする100機足らずと記されています。この数には練習機(初等除く)が含まれており、「到底航空戦力とはいえないものであった」と記されています。中国の鞍山には九州八幡製鉄所に次ぐ大きな製鉄所がありましたが、産業の重要拠点としての防空の能力は限られていたのです。満州の主要都市
への米軍機B29による空爆は始まっていたが、大本営ではその実態を把握することもできなかったと記されています。
http://www.k0001.jp/sonsi/vol05a/chap00/sec00/cont00/docu006.htm
満州に展開していた関東軍としては鞍山の防空強化の根本的強化策を研究、中央への要求を行っています。陸軍中央部はこの要求を呑み、4点の措置を行いました。(同書536ページ)この措置の第1は千葉県松戸にあった帝都防衛の飛行第70戦隊の満州派遣である。昭和19年7月に30機が鞍山に派遣されている。関東軍のほかに満州国軍航空部隊もあったが、関東軍の航空兵力を合わせても松戸から送られた航空兵力よりも劣っていました。戦法は体当たり戦術(特攻)以外なす術がなかったため、戦闘機・兵士の消耗
は激しいものがありました。本土ではすでに九州の八幡・小倉はB29の爆撃にさらされており、首都東京への爆撃も目前に迫っていた時期です。満州国は対面上独立国でしたが日本のかいらい政権(皇帝溥儀)であったため、B29の攻撃に対抗するよう関東軍参謀総長から参戦を促されていました。しかし大本営はソ連を刺激することを恐れ、その意見具申を採用しませんでした。実態は日満合体の航空戦が行われていました(満州国蘭花特攻隊)。
第70戦隊は昭和19年11月5日に所属復帰命令を受け、同年11月6日に千葉県柏に移動します。(続く)
余談ですがこの5月5日、6日に東京12チャンネル(テレビ東京)で女優高島礼子が主演の「赤い月」が放映されました。満州の終焉を背景としたドラマでご覧になった方もいるのでは・・・
http://www.tv-tokyo.co.jp/tuki/
この稿参考図書(前回と重複分は省略)
「天皇制と軍隊」藤原彰 大月書店 日高・飯能民主文庫蔵
戦史叢書満州方面陸軍航空作戦 防衛庁防衛研修所戦史室著 朝雲新聞社
飯能市立図書館蔵
陸軍士官学校 山崎正夫編 協力「偕行社」 秋元書房 飯能市立図書館蔵
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