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日高市の学童疎開
2005年3月8〜13日、東京都江戸東京博物館で、第6回 学童疎開展が開かれた。 「語り継ぐ学童疎開」家族と引き裂かれた子どもたち と題して講演と展示が行われた。主催は「 全国疎開学童連絡協議会 」共催は(財)東京都歴史文化財団・東京都江戸東京博物館。9日には記念イベントが行われ、ひとり芝居「そしてトンキーも死んだ」たなべまもる作、出演・企画:堀 洵子が上演された。合唱組曲 鎮魂歌『妹』「少国民が疎開先でうたった歌」合唱団 コールまゆ、また愛川欽也氏の特別講演「学童疎開時代への思い」が行われた。
手元にその際に発売されたパンフレットがある。編集は「第6回 学童疎開展−語り継ぐ学童疎開」実行委員会 頒価200円。24ページ。発行2005年3月8日。
この展示会でパネル「学童疎開先」が展示された。この中に高萩村(現日高市)宝蔵寺 日本橋区千代田小5女 の記述がある。日高市教育委員会が纏めた日高町史の中にも学童疎開の記述がある。
東京の児童の学童疎開は関東一円のみならず東北青森県まで行われている。集団疎開、縁故疎開など形態はさまざまであるが原則は個人的な縁故疎開であった。しかし1944年の閣議決定「学童疎開促進要綱」により、縁故疎開に依り難い国民学校初等科(現在の小学校)3〜6年生が集団疎開の対象になった。
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