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読書ノート 金達寿 渡来人と渡来文化

書名 渡来人と渡来文化 河出書房新社出版 1990年12月1日 初版印刷 12月10日発行。日高図書館蔵書。

目次—「渡来人」ということば、渡来人・渡来文化、Ⅰ(日本の渡来人と渡来文化、日本の中の天日槍、新羅・加耶と古代日本、日本の中の高句麗文化)、Ⅱ(飛鳥の中の朝鮮文化、飛鳥王朝と朝鮮渡来文化人)、Ⅲ(天皇の「お言葉」、80年代後半になってー「批判」にこたえる、歴史家としての坂口安吾—古代日本と朝鮮、「渡来者の村」はないか−古代日本の人口をめぐって、和辻・木下・花村)、Ⅳ(近江・佐々木城の石塁、資料を読む楽しみ、ウメとカボチャ、沖縄への旅、みちのくへの旅、三島と「須佐之男命の朝鮮渡り」、大阪の中の百済、武蔵にもいた秦氏族、なぜ「ソイヤ」なのか、「王賜」銘鉄剣のこと、再考・日本の朝鮮文化遺跡、あとがき。 

読後感

古事記708年、日本書紀(720年)をちゃんと読むには古代朝鮮語を知らないとだめ。

680〜780年渡来人が武蔵の国に来る。766年高麗郡、758年新羅郡建都

九州、大分県は秦氏

古代の墳墓 その勢力の人が居住していたことを示す。本貫

日本書記 新羅を蛮国視する。

百済 660年に消滅(日本書紀では663年 白村江の戦い 三万の援軍を日本から出す。当時の人口は500万人。高句麗 680年に消滅 

古事記では新羅をあこがれの国と描く645年大化の改新 古代国家の成立、新羅系が百済系を滅ぼす(蘇我氏)その後百済系が巻き返す。 672年壬申の乱 百済系への新羅系の巻き返し(新羅と唐の争いがあった)

神社とは祭政を執り行ったところ。勢力地図が分かる。高麗神社の分社、大宮神社、白髭神社など。八幡神社 やはた(秦)の神

大磯の高麗神社を高来神社と改名(明治30年ごろ)

縄文人 最大261300人 遺跡などから推定。最小75800

渡来人 弥生時代 594900人 奈良時代 500万人

縄文時代 アイヌ北方へ追いやられる。狛江は新羅系だが高句麗人が来る2〜3代前から住みつく。高麗系はかぶさるように住み始める。

続日本紀 平安時代に朝鮮姓の改姓を朝廷に願い出る。799年まで。長野県は比較的遅く改姓をした。

散らばっていた高麗人がまとめられたのはトラブルの回避のため大和朝廷が命じた。

万葉歌を古代朝鮮語で読む(吏読)とまったく意味が変わる(厭世歌)万葉歌は恋の詩と解釈されている。 

仏像・陶器など神社にある宝物類は持ちこまれたもの。日本史の中で迫害を怖れた時代があった。武士が朝廷のお墨付きを求めた背景とは関係が無いか?

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