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~ 雪月花 戦国恋語り 信玄の娘 松姫 編 ~
~ 文紡ぎ 建子月 我が思ふ妹は相思ふらむか ~
登場人物
松姫[武田信玄の五女]、織田信忠(幼名:奇妙丸)[織田信長の嫡男](文のみの登場)、
菊姫[武田信玄の四女]、
「風をいたみ いたぶる波の 間なく 我が思ふ妹は 相思ふらむか」
「万葉集 第十一巻 二七三六番」より
作者:詠み人知らず
松姫と奇妙丸の縁談が調ってから、九十七の月になっている。
暦は十一月になっている。
季節は仲冬になっている。
一昨年の四月、菊姫と松姫の父の武田信玄が亡くなった。
武田信玄の遺言により、武田信玄の死は三年隠すと決まった。
数か月前に、武田勝頼の率いる武田軍が、織田家と徳川家の連合軍に大敗した。
様々な思惑が複雑に絡まる中の仲冬になる。
ここは、甲斐の国。
日中は寒さを感じない時が多い。
朝や陽が沈むと寒さを感じる。
木々が枝のみの姿の場所が在る。
木々の葉が紅色や黄色に彩る場所が在る。
木の葉が地面を紅色や黄色に彩る場所が在る。
ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。
松姫の部屋。
松姫は普通に居る。
菊姫は部屋の中に普通に入ってきた。
松姫は菊姫を普通の表情で見た。
菊姫は松姫に言い難く話し出す。
「お松。織田軍が、岩村城からの助命嘆願を受けたのに、城主を捕えて、岩村城を炎上させたの。岩村城の城主は、磔の刑になったの。」
松姫は菊姫を驚いて見た。
菊姫は松姫に言い難く話し出す。
「岩村城を攻める織田軍の総大将は、織田信長の嫡男の織田信忠よね。織田信忠は、織田信長の命を受けて、助命嘆願を破棄して磔の刑になったらしいの。」
松姫は菊姫を困惑して見た。
菊姫は松姫に困惑して話し出す。
「お松。突然だけど、外出したいの。お松から離れる時間が長くなると、心配になるの。お松も一緒に外出して欲しいの。」
松姫は菊姫に困惑して話し出す。
「はい。」
菊姫は松姫に困惑して話し出す。
「お松。準備が出来たら、外出するわね。」
松姫は菊姫に困惑して話し出す。
「はい。」
菊姫は松姫を困惑して見た。
松姫も菊姫を困惑して見た。
少し後の事。
ここは、松姫の乳母の住む家。
一室。
部屋の中には、商品が広げてある。
菊姫は普通に居る。
松姫も普通に居る。
商人も普通に居る。
松姫は商人に普通の表情で小さい声で話し出す。
「奇妙様。以前の月を含む武田家の状況を知っているのでしょうか?」
商人は松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。
「知る部分。知らない部分。様々だと思います。」
松姫は商人を困惑して見た。
商人は松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。
「今は様々な場所で戦が起きています。突然に味方になります。突然に敵になります。危険な状況でなければ、奇妙様の話を伝えて、姫様の返事を聞いて戻るように頼まれています。甲斐の国内の様子や甲斐の周辺の国の様子を、伝える内容は頼まれていません。」
菊姫は商人に普通の表情で小さい声で話し出す。
「今の状況での甲斐の国の出入り。大変ではないですか?」
商人は菊姫と松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。
「私は商人です。様々な人達との間で商いを行います。ご安心ください。」
松姫は商人に普通の表情で小さい声で話し出す。
「お気遣いありがとうございます。無理をしないでくださいね。」
商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。
菊姫は商人に普通の表情で小さい声で話し出す。
「時間が無くなると困ります。今から始めたいと思います。」
商人は菊姫と松姫に普通の表情で軽く礼をした。
菊姫は松姫に微笑んで話し出す。
「お松。素敵な商品がたくさんあるわね。」
松姫は菊姫に微笑んで話し出す。
「はい。」
商人は菊姫と松姫に普通の表情で軽く礼をした。
菊姫は松姫と商人を微笑んで見た。
商人は懐から小さい紙を取り出すと、松姫に小さい紙を普通に渡した。
松姫は商人から小さい紙を微笑んで受け取った。
菊姫は松姫を微笑んで見た。
松姫は小さい紙を持ち、小さい紙を丁寧に広げた。
菊姫は松姫を微笑んで見た。
小さい紙には、織田信忠の筆跡で歌が書いてある。
風をいたみ いたぶる波の 間なく 我が思ふ妹は 相思ふらむか
松姫は小さい紙を持ち、商人を微笑んで見た。
菊姫は商人を微笑んで見た。
商人は菊姫と松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。
「警戒は今も強いです。奇妙殿が頼んだ状況を信じて頂くために、奇妙殿が自筆で歌を書きました。奇妙殿から伝言を預かっています。」
松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「伝言を教えてください。お願いします。」
商人は松姫に普通の表情で静かに話し出す。
「お松。朝や陽の沈んだ以降に、寒さを感じる時が増えている。元気に過ごしているだろうか。私は元気に過ごしている。安心してくれ。今は、予想したような、予想外のような、状況の中に居る。お松の元に様々な内容の話が届いていると思う。お松が辛い想いの中に居ないか心配だ。お松の気持ちが蔑む方向に揺れていないか心配になっている。私のお松への想いは変わらない。お松への想いを歌に重ねた。お松の返事を待っている。私は、お松が心配しないように、お松に逢うために、元気に過ごす。お松。命を大事に過ごしてくれ。体に気を付けて過ごしてくれ。」
松姫は小さい紙を持ち、商人微笑んで小さい声で話し出す。
「長い伝言を覚える行為。大変ですよね。ありがとうございます。」
菊姫は商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「凄い記憶力です。何時も感心します。」
商人は菊姫と松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。
「奇妙様からはたくさんの恩を受けています。私に出来る内容で感謝の気持ちを伝えています。」
菊姫は商人を微笑んで見た。
松姫は小さい紙を持ち、商人を微笑んで見た。
商人は松姫と菊姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「私からの返事を奇妙様に伝えてください。願いします。」
商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「元気に過ごされているのですね。安心しました。私も元気に過ごしています。“風をいたみ いたぶる波の 間なく 我が思ふ妹は 相思ふらむか”。歌の贈り物。ありがとうございます。私の元にも様々な話が届きます。不誠実な内容の話が届くと辛い気持ちになります。信じ続ける難しさを感じる時が有ります。今日も奇妙様の私に対しての誠意が届きました。私も奇妙様を信じます。私も奇妙様を想い続けます。私も体調に気を付けて元気に過ごします。奇妙様。体調に気を付けてお過ごしください。命を大切にお過ごしください。松より。」
商人はお松に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は小さい紙を持ち、菊姫と商人を微笑んで見た。
菊姫は商品を持つと、商人に微笑んで話し出す。
「素敵な商品を見付けたわ。購入するわ。」
商人は菊姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は小さい紙を懐に微笑んで仕舞った。
菊姫は商品を持ち、松姫を微笑んで見た。
松姫は商品を持つと、商人に微笑んで話し出す。
「素敵な商品です。購入します。」
商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。
菊姫は商品を持ち、松姫と商人を微笑んで見た。
松姫も商品を持ち、菊姫と商人を微笑んで見た。
商人は菊姫と松姫に普通の表情で軽く礼をした。
数日後の事。
ここは、甲斐の国。
日中は寒さを感じない時が多い。
朝や陽が沈むと寒さを感じる。
木々が枝のみの姿の場所が在る。
木々の葉が紅色や黄色に彩る場所が在る。
木の葉が地面を紅色や黄色に彩る場所が在る。
ここは、躑躅ヶ崎館。
一室。
部屋の中から、一人の男性の声と菊姫の声が聞こえる。
「数日前、お松と共に外出したのか。」
「気晴らしを兼ねて、外出しました。私がお松の傍に居ました。お松が長い時間を一人で居る状況にしていません。」
「お松は織田家の岩村城に関する不誠実な言動を知ったと思う。お松の言動に変化はあったのか?」
「お松は父上の許嫁の話を守って過ごしています。お松も今回の岩村城に関する出来事の動揺はあったと思います。お松の言動に変化は見られません。お松の対応に変化の有った時は、お松が監視されていないか不安になる時です。不安な気持ちが強くなると、体調の悪くなる可能性が有ります。気晴らしなどの方法で、不安になる時間を少ない状態にして過ごさせています。」
「織田家も徳川家も、様々な思惑の中で動いている。お松の言動に変化の現れる可能性が有る。今後も、確認、及び、報告を頼む。」
「はい。」
少し後の事。
ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。
松姫の部屋。
松姫は紅色の落ち葉を持ち、僅かに不安な様子で居る。
松姫は紅色の落ち葉を持ち、僅かに不安な様子で呟いた。
「“風をいたみ いたぶる波の 間なく 我が思ふ妹は 相思ふらむか”。」
菊姫が部屋の中に微笑んで入ってきた。
松姫は紅色の落ち葉を持ち、菊姫を不安な様子で見た。
菊姫は松姫を抱くと、松姫に微笑んで囁いた。
「お松。無難な内容で報告したわ。大丈夫。安心して。」
松姫は紅色の落ち葉を持ち、菊姫に不安な様子で囁いた。
「姉上。迷惑を掛けます。申し訳ありません。」
菊姫は松姫を抱いて、松姫に微笑んで囁いた。
「私はお松の姉よ。迷惑に思わないで。安心して。」
松姫は紅色の落ち葉を持ち、菊姫に微笑んで囁いた。
「姉上。ありがとうございます。」
菊姫は松姫を抱いて、松姫に微笑んで頷いた。
松姫は紅色の落ち葉を持ち、菊姫に微笑んで囁いた。
「“風をいたみ いたぶる波の 間なく 我が思ふ妹は 相思ふらむか”。」
菊姫は松姫を抱いて、松姫に微笑んで囁いた。
「“風をいたみ いたぶる波の 間なく 我が思ふ妹は 相思ふらむか”。」
菊姫は松姫を抱いて、松姫と紅色の落ち葉を微笑んで見た。
松姫は紅色の落ち葉を持ち、菊姫と紅色の落ち葉を微笑んで見た。
「風をいたみ いたぶる波の 間なく 我が思ふ妹は 相思ふらむか」
季節は仲冬になっている。
寒さを感じる時間の増える気配が有る。
様々な思惑が乱れながら時が過ぎている。
武田家と織田家が、更に複雑に絡む状況になっている。
武田家にとって、織田家にとって、大きな時の流れの始まる気配が増えている。
松姫と織田信忠は、様々な思惑の乱れる中でも、想いを紡いでいる。
仲冬の時間は、様々な想いの中でも、様々な思惑の中でも、変わらずに過ぎていく。
* * * * * *
ここからは後書きになります。
この物語に登場する歌は「万葉集 第十一巻 二七三六番」
「風をいたみ いたぶる波の 間なく 我が思ふ妹は 相思ふらむか」
作者は「詠み人知らず」
ひらがなの読み方は「かぜをいたみ いたぶるなみの あいだなく わがもふいもは あひおもふらむか」
原文は「風緒痛 甚振浪能 間無 吾念君者 相念濫香」
歌の意味は「風が強く、激しい波が常に押し寄せるように、いつもいつも私が想っているあの女(ひと)は、私のことを想ってくれているだろうか・・・」となるそうです。
武田家についての補足です。
油川夫人は、元亀二年(1571年)(※月日は不明)に亡くなったそうです。
武田信玄は、元亀四年四月十二日(1573年5月13日)に信濃の駒場で亡くなります。
享年は、五十三歳と伝わっています。
武田信玄の死因は、肺結核、胃癌、食道癌、などの説が有力です。
武田信玄の他の死因には、武田信玄は敵が籠城中の野田城から聞こえる笛の音に惹かれて本陣から出て行き、本陣の外に居る時に鉄砲で撃たれて、その傷がもとで亡くなる、があります。(掲載日現在は、この説は俗説として考えられています。)
更に武田信玄の他の死因には、織田家の毒殺、もあります。(掲載日現在は、この説も俗説として考えられています。)
武田信玄は、武田勝頼と重臣に遺言を残したと伝わっています。
三つの遺言の内容が広く知られています。
800枚の白紙に武田信玄の花押を書いたから返礼などの時に使うように。
武田信玄の死を三年隠すように。
三年後に、武田信玄の死体に甲冑を着せて諏訪湖に沈めるように。
遺言の内容が事実だとすると、武田信玄は以前から亡くなる事を分かっていて、甲斐の国を守るために前から考えていた事が分かります。
武田信玄の葬儀は、天正四年(1576年)四月に行われたそうです。
武田信玄の死が三年隠せたかについてですが、三年より前に人数等は不明ですが、気付かれた形跡があるようです。
当時は忍者などを使った情報戦が激しかった事があり、武田信玄の死が知られてしまった可能性はあります。
後の出来事になりますが、松姫は織田信忠と婚約している経過などから、辛い立場になっていったようです。
天正元年(1573年)の秋に、武田盛信が松姫を引き取って暮らすようになります。
「雪月花 戦国恋語り 信玄の娘 松姫 編」では、物語の展開から、秋より後の季節では、武田盛信が松姫を引き取って暮らす設定にします。
松姫と織田信忠の縁談が、破談なのか、続いているのか、分からなくなってしまった理由の一つに、「西上作戦(さいじょうさくせん)」があります。
西上作戦は、甲斐武田家が、元亀三年(1572年)九月から元亀四年(1573年)四月に掛けて行った遠征をいいます。
西上作戦は、武田信玄の体調と武田信玄の死によって終わった状況になります。
武田勝頼について、天正二年(1574年)六月の高天神城の攻略に関する話があります。
高天神城は、武田信玄が大軍を率いても落城できませんでした。
武田勝頼は高天神城を攻略した頃から、家臣などの意見を聞かないようになったそうです。
理由は二つの説が考えられています。
一つの説、自信過剰になった。
一つの説、父親の武田信玄に勝る武略を持っている実績を示せた事から、家臣の統制を強めた。
以上の二つの説が有ります。
武田軍の関連についてです。
天正三年(1575年)四月~十一月についてです。
天正三年四月五日(1575年5月14日)、武田勝頼は三河への侵攻のために大軍(約15000)を率いて甲府を出立します。
天正三年四月二十一日(1575年5月30日)、武田勝頼は長篠城を包囲します。
天正三年五月二十日(1575年6月28日)、武田軍は長篠城の包囲を解いて設楽原へ進出します。
天正三年五月二十一日(1575年6月29日)、夜明けとともに、武田軍は織田軍・徳川軍の陣地に突入して戦います。
武田軍は織田・徳川の連合軍との戦いの中で、名のある武将、一万から一万二千の兵を失いました。
武田勝頼は数百の兵に守られて敗走します。
天正三年(1575年)五月の初旬~下旬の間に起きた、武田勝頼、織田と徳川の連合軍、との戦いは、「長篠の合戦」と呼ばれています。
戦いの結果は、武田軍の大敗で終わります。
鉄砲により敗北した説が広く知れていますが、兵の数の大きな差による大敗、武田軍の武将の離反、などの幾つかの説があります。
天正三年(1575年)六月、徳川軍が諏訪原城の攻略を始めます。
天正三年(1575年)七月、徳川軍が諏訪原城を攻略する中で籠城を始めました。
長篠の合戦で大敗した武田軍は、諏訪原城に守りを固めるために、丹波守の今福顕倍を城主にしていました。
徳川軍が攻めた頃の諏訪原城は、500騎ほどで守っていたそうです。
天正三年(1575年)八月、武田側の援軍は無く、一カ月近い籠城戦の中で、城主の丹波守の今福顕倍を含む残った兵は、夜中に諏訪原城から小山城に逃亡しました。
結果、諏訪原城は落城、徳川側の城になりました。
天正三年(1575年)、九月、及び、十月、大きな動きはありません。
天正三年十一月十日(1575年12月12日)、岩村城の武田軍が織田信忠の陣の敷いた水晶山に夜襲を仕掛けます。
織田軍に撃退され、1100人余りが討死し、夜襲は失敗に終わり、再び籠城します。
天正三年十一月、武田勝頼が岩村城の救援のために出陣します。
天正三年(1575年)十一月、秋山信友は、武田家勝頼の救援を待たずに、織田軍に助命嘆願を申し入れます。
天正三年十一月二十一日(1575年12月23日)、織田信忠は、織田信長の命令を受けて、助命嘆願を受けた礼のために城を出た秋山信友を捕えて、岩村城を攻めます。
天正三年十一月二十一日(1575年12月23日)、秋山信友は磔で刑死します。
天正三年(1575年)十一月、織田信忠を総大将とする織田軍と五ヶ月にわたる戦闘を行っていましたが、岩村城が落城します。
織田家関連について簡単に説明します。
織田信忠(幼名“奇妙丸”)の元服は、元亀三年(1572年)と伝わっています。
元亀三年(1572年)一月に元服した説があります。
織田信忠が元服時に改名した名前は「織田勘九郎信重(おだかんくろうのぶしげ)」です。
「織田信忠」に改名するのは後の出来事になります。
名前が幾度も変わると分かり難くなるため、元服後の名前は「織田信忠」で統一します。
織田信忠の初陣は、元亀三年七月十九日(1572年8月27日)「具足初め(ぐそくはじめ)の儀」の日付、または、直ぐ後の日付になるようです。
織田信忠にとって、初陣の次の大きな戦は、元亀三年(1572年)十二月頃の遠江の二俣城の戦いや三方ヶ原の戦いになります。
天正三年(1575年)四月~十一月の織田家の動きを簡単に説明します。
天正三年四月初旬、池田勝正らが、織田側の堀城、堀城周辺を攻め落とします。
この動きに呼応して、三好康長などが高屋城に籠城します。
この頃、石山本願寺が挙兵します。
織田軍(武将は、柴田勝家、明智光秀、荒木村重、など)は、討伐のために、京都から河内に向かいます。
天正三年四月八日(1575年5月17日)、織田軍は三好康長を河内の高屋城を攻めます。
天正三年四月二十一日(1575年5月30日)、三好康長が降伏します。
天正三年四月八日~四月二十一日のこの戦いは、「高屋城の戦い(たかやじょうのたたかい)」・「高屋・新堀白の戦い」・「第二次石山合戦」、などと呼ばれています。
天正三年四月下旬、織田信長は京都を出発して岐阜に戻ります。
織田信長が岐阜に戻った理由は、武田勝頼の三河への侵攻が関係しているようです。
天正三年五月十三日(1575年6月21日)、織田信長は三万の軍勢を率いて岐阜を出発します。
天正三年五月十五日(1575年6月23日)、織田信長は三万の軍勢を率いて岡崎城に到着します。
天正三年五月十八日(1575年6月26日)、織田軍の援軍の約三万、徳川家康の援軍の約八千が、設楽原に到着して陣を築きます。
天正三年六月二十三日(1575年7月30日)、伊勢国の国司の北畠具教(きたばたけとものり)、北畠具房(きたばたけともふさ)の父子が、養継嗣の織田信長の次男の信雄(のぶかつ)に家督を譲り、隠退します。
天正三年(1575年)六月、織田信忠を大将とする岩村城の侵攻が始まります。
天正三年七月三日(1575年8月8日)、正親町天皇が織田信長に官位の昇叙を勧めますが、織田信長は辞退します。
天正三年八月十二日(1575年9月9日)、織田信長は越前の一向一揆の制圧のために岐阜を出立します。
天正三年八月十五日(1575年9月19日)、織田軍は平良から越前に攻め入り、越前の一向一揆との戦いが始まります。
天正三年(1575年)八月、織田信長は越前の一向一揆を鎮圧します。
天正三年(1575年)九月、織田信長は越前の関所を撤廃します。
天正三年(1575年)九月、織田信長は越前北庄に城を築くように命じます。
天正三年十月八日(1575年11月10日)、尾張国に橋の架設を命じます。
天正三年十月二十日(1575年11月22日)、石山本願寺との和睦を締結します。
天正三年十月二十八日(1575年11月30日)、京都に在る妙覚寺で、千利休が茶頭を務める茶会を開きます。
天正三年十一月二十八日(1575年12月30日)、織田信長が、嫡男の織田信忠に家督を譲ります。
「建子月(けんしげつ)」についてです。
「陰暦十一月の異称」です。
「建」の文字は、北斗七星の柄を意味します。
北斗七星の柄が、旧暦で「子」の方向に向くところから付いた異名です。
楽しんで頂けると嬉しいです。
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