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福島県 2009年6月 NO.1


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2009.6.8撮影。

撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。


〜 会津若松市 〜


〜 阿弥陀寺 〜

戊辰戦争の中の会津の地で戦った会津藩の戦死者の埋葬は直ぐに許されませんでした。
後に埋葬は許されましたが、阿弥陀寺と長命寺に限られたそうです。
藤田五郎さん(新撰組三番組組長 斉藤一さん)、妻の藤田時尾さん、息子さんの藤田勉さん、などが永久の眠りに就くお墓が在ります。
藤田五郎さんの希望により、阿弥陀寺に埋葬されたそうです。




「毒痛み(どくだみ)」
ドクダミ科。
漢方などでの別名は、「十薬(じゅうやく)」、「重薬(じゅうやく)」
用途は、整腸、利尿、消炎、など。
用部は、地上部分で、葉、茎、花穂、など。
葉などを煎じて飲む、薬用風呂、などに利用。
効能や利用方法の詳細は、各自でご確認ください。







〜 高瀬の大木 (神指城跡) 〜


会津の領主となった上杉景勝が、重臣の直江兼継に命じて築城を始めました。
築城途中に、徳川家康の会津征伐が始まるなどの情勢の変化、関ヶ原の戦いなどによって、築城は中断します。
関ヶ原の戦いの結末・以降の出来事により、城の完成を見る事はありませんでした。
現在は築城途中の一部が遺されています。
「高瀬の大木(たかせのたいぼく)」は「欅(けやき)」です。
昭和十六年一月二十七日(1941年1月27日)指定の国指定天然記念物です。
神指城の二ノ丸の土塁の東北隅の一部の辺りに在ります。
築城前から既に大木だった事が知られているそうです。




一番高い木が「高瀬の大木(たかせのたいぼく)」
「欅(けやき)」
ニレ科。












〜 如来堂 (神指城跡) 〜


神指城の跡(二ノ丸の付近のようです)の一部に在ります。
庄内へ援軍を求めて会津を離れようとする土方歳三さんの意見、会津藩主の松平容保さんへの恩義から会津に残る意見の山口次郎さん(斉藤一さん[後の”藤田五郎さん”])の意見がありました。
山口次郎さんの意見に同意した約二十名(十数名の説有)は会津に残りました。
山口次郎さんを含めた約二十名は、如来堂に宿陣しました。
会津戦争の中の慶応四年九月四日(1868年10月19日)に、新政府軍が如来堂に宿陣していた新撰組を攻撃しました。
山口次郎さんを含めて全員が討ち死にしたと伝わりました。
実際は、半数近く(半数以上の説あり)は討ち死にしましたが、山口次郎さんを含めた数名は生き残り戦いを続け、会津戦争が終わった時も、山口次郎さんを含めた数名は生き残りました。
如来堂は、新撰組殉難地、神指城跡、として知られています。




「銀杏(いちょう)」
イチョウ科。
2000年の調査で、樹高25m、幹周530cm、だそう。


















境内から見た景色。














〜 大戸町(芦ノ牧温泉駅と周辺) 〜


「芦ノ牧温泉駅」は、会津鉄道の駅の一つです。




「赤詰草(あかつめくさ)」
マメ科。
別名は「紫詰草(むらさくつめくさ)」
ヨーロッパ原産。
日本には、明治初めに渡来したそう。












「猫(ねこ)」
肉食目ネコ科ネコ属の哺乳類。
名前などの詳細が気になる方は、各自でご確認ください。














芦ノ牧温泉駅の付近から撮影。














〜 天寧寺 〜


応永二十八年(1421年)、または、文安四年(1447年)の開山のようです。
土方歳三さんが戦での怪我の会津療養中に、近藤勇さんの遺髪などをお墓を建てて埋葬したそうです。
(※近藤勇さんのお墓と伝わる場所は、会津若松市・三鷹市を含めて数ヶ所ほど在ります)
土方歳三さんが立てた近藤勇さんのお墓の墓石は割れてしまったため、新しく建て直したそうです。
戊辰戦争中に、土方歳三さんが戦での怪我の療養のための滞在や利用、新撰組が宿営のために利用、した事があるそうです。
「会津七福神」の「毘沙門天」が奉られています。




「皐月(さつき)」
ツツジ科。
別名は「皐月躑躅(さつきつつじ)」
葉や開花時期を含めた特徴から、「皐月」として掲載。














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