このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

福島県 2009年9月 NO.2


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2009.9.4撮影。

撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。


〜 会津若松市 〜


〜 大戸町(芦ノ牧温泉駅と周辺) 〜


「芦ノ牧温泉駅」は、会津鉄道の駅の一つです。




「猫(ねこ)」 肉食目ネコ科ネコ属の哺乳類。
名前などの詳細が気になる方は、各自でご確認ください。














〜 耶麻郡 〜


〜 母成峠(母成峠古戦場跡) 〜


「保成峠」と書く事もあるそうです。
母成峠(ぼなりとうげ)は、福島県の中央部に在る、郡山市(こおりやまし)と耶麻郡(やまぐん)猪苗代町(いなわしろまち)の境界にある峠です。
標高972mです。
安達太良山(あだたらやま)と川桁山地(かわげたさんち)に挟まれた鞍部(あんぶ)です。
慶応四年八月二十一日(1868年10月6日)に、「母成峠の戦い」(会津戦争の一つ)が起きます。
会津藩の境に在る母成峠を、新政府軍・約2000名(母成峠の石碑には、3000名と記載)、母成峠を守っていた幕府軍・約700名(※新撰組隊士 約70名を含む)(母成峠の石碑には、800名と記載)、が戦います。
濃い霧の中での戦いだったそうです。
地形的には幕府軍が有利だったそうですが、人数などの差により、一日(約七時間)で幕府軍は戦況が不利になり、猪苗代方面に撤退します。
この戦いを優勢に進めた新政府軍は、幕府軍の撤退後に、会津若松へと一気に向かいます。
会津戦争の中で、重要な戦いの一つになります。
母成峠で亡くなった方は、幕府軍88名(内、新撰組隊士6名)、新政府軍25名、と伝わっています。




母成峠には、石碑が在る。
石碑の近くから、上方向に見える景色。
霧が立ち込めている。














母成峠には、石碑が在る。
石碑の近くから、下方向に見える景色。
霧が立ち込めている。












〜 母成峠(慰霊碑付近) 〜


新政府軍は、会津戦争で戦い亡くなった幕府軍側の関係者の埋葬を許していませんでした。
幕府側の亡くなった関係者を埋葬すると、捕まるなどの処罰の可能性がありました。
見るに見かねた地元の方達が、母成峠で亡くなった幕府軍側の関係者を密かに埋葬したそうです。
新政府軍が会津戦争で亡くなった関係者の埋葬の場所を指定付きですが許したのは、その後の事になるそうです。
処罰の危険がある中で埋葬した関係だと思いますが、墓石などは無く、埋葬した場所や状況が長く分かららなかったそうです。
この場所が発見されたのは、昭和53年(1978年)になるそうです。
110年近くも埋葬された場所が分からない状態が続いた事になります。
慰霊碑が建てられたのは、昭和57年(1982年)になるそうです。
慰霊祭は、平成時代も行なわれているそうです。




慰霊碑の近くから撮影。
慰霊碑は後ろ側の少し離れた場所に在る。



















「唐辛子(とうがらし)」
ナス科。
赤色や黄色などに色が変わる唐辛子。
名前や食用になる課などの詳細は分からない。
母成峠で亡くなった幕府軍関係者が埋葬された塚の近くに有った。









〜 猪苗代ハーブ園 〜


磐梯高原に在ります。
ホテルの敷地内に併設しているハーブ園です。

ハーブ、野菜、果物、などを撮影した関係で、効能を含めた説明も書きました。
成分・効能・使用などの詳細は、各自でご確認をお願いします。




「粟(あわ)」
イネ科。
インド原産。
「五穀(ごこく)」(米、麦、粟、黍[きび]、豆)の一つ。
食用、飼料、に利用。
日本には縄文時代に渡来したと考えられている。











「シトロネラ ゼラニウム」
フウロソウ科。
「ゼラニウム」の一種類。














「フィーバーフュー」
キク科。
和名は「夏白菊(なつしろぎく)」
耐寒性。
南東ヨーロッパ アジア 原産。
ハーブの一種類。
葉に強い香りがあるそうです。
効能と効果は、偏頭痛を解消、強い香りに防虫効果がある、など。
室内の撮影。







「鳩麦(はとむぎ)」
イネ科。
「数珠玉(じゅずだま)」の変種とされているそう。
「穎(えい)」、を砕いて、薬用。
効能と効果は、美肌効果、利尿作用、など。
葉茎、は、飼料。
花と実を撮影。
お茶、食用、薬用、に利用。









ハーブ園の付近から見た景色。
















「黍(きび)」
イネ科。
東インド原産の説がある。
弥生時代に中国から渡来とたと考えられている。
「五穀(ごこく)」(米、麦、粟、黍[きび]、豆)の一つ。
実、は、食用(粥、黍団子[きびだんご]、黍餅[きびもち]、など)、家畜の飼料、などに利用。
茎、実、は、家畜の飼料、などに利用。









「レースラベンダー」
シソ科。
ラヴァンドュラ属。
レースラベンダー系。
葉が羽状に強く切れ込み、葉が細かい、ラベンダーを総称して、「レースラベンダー」と呼ぶそう。
ラベンダーの一種類ですが、観賞用としての説明や販売で見る機会が多いように思う。













「オーデコロンミント」
シソ科。
別名は「ベルガモットミント」
ベルガモットの若葉と似た香りがかるところからついた別名だそう。
ミントの一種類。
ハーブティーや料理に使用する事は余りなく、アレンジメント、クラフト、化粧品、などに利用する事が多いそう。









「薄荷(はっか)」の「北斗(ほくと)」
シソ科。
「日本薄荷(にほんはっか)」に「和蘭薄荷(おらんだはっか)」と「ブラックペパーミント」を交配した品種。
日本が原産地。
栽培品種。
メントールが強いのが特徴。
「薄荷(はっか)」の一種類。
ミントの一種類にもなる。












「春菊(しゅんぎく)」
キク科。
キク科で春に花が咲く、春に菊の花に似た花が咲く、ところから付いた名前だそう。
食用、などに利用。
春菊の花を撮影。
花は食用で利用する事はほとんどないよう。










「スイートマジョラム」
シソ科。
ヨーロッパ原産。
和名「マヨナラ」
半耐寒性多年草。
ハーブの一種類。
葉、などを利用します。
アロマオイル、ハーブティー、食用、などに利用。
安眠とリラックスに効果のある香りといわれている。
室内の撮影。









〜 猪苗代城跡 〜


「亀ヶ城(かめがじょう)」とも呼ばれています。
鎌倉時代の奥州征伐の軍功で、源頼朝から会津四郡が与えられた佐原義連の長男の経連が、猪苗代を領して猪苗代氏と称し、建久二年(1191年)に猪苗代城を築いたと伝わるそうです。
長く猪苗代氏の居城でしたが、天正十七年(1589年)に起きた「摺上原の戦い」で葦名氏が伊達氏との戦いに敗れ、更に後に、豊臣秀吉の奥州仕置きにより、猪苗代氏の猪苗代城主は終わりを迎えました。
猪苗代城は会津領の重要拠点として、江戸時代の一国一城令にも破却されず、城代が置かれました。
江戸時代には、若松城(鶴ヶ城)の支城になっていたそうです。
慶応四年(1868年)の母成峠の戦いの戦況により、当時の城代は猪苗代城を焼き払い、若松へと撤退しました。
更に後の出来事になりますが、野口英世さんが幼少の頃に通った学校の傍で、子供達の遊び場になっていたそうです。




本丸付近へ行くための階段。
最初は遺構だと思ったが、階段付近に昭和の時代の失業対策事業の説明があった。
この階段は遺構ではない可能性がある。
この階段は遺構でない可能性があるとしても、石垣などは当事から残る遺跡。
「猪苗代城跡」は遺構の残る歴史のある場所。
ご注意ください。













本丸部分。
地図や説明などから、鶴ヶ城の支城と考えられていた様子は想像できるが、本丸部分は鶴ヶ城の本丸部分と比べると狭い。














           写真集トップ           


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください