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福島県 2009年9月 NO.4


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2009.9.29撮影。

撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。


〜 会津若松市 〜


〜 大戸町(芦ノ牧温泉駅と周辺) 〜


「芦ノ牧温泉駅」は、会津鉄道の駅の一つです。




「猫(ねこ)」
肉食目ネコ科ネコ属の哺乳類。
名前などの詳細が気になる方は、各自でご確認ください。













〜 喜多方市 〜


〜 安勝寺 〜


応永二十九年(1422年)の創建です。
明治十三年(1880年)の大火で本堂が消失しました。
後に、蔵造りの本堂が再建されました。
再建後の本堂は、瓦屋根、塗屋造り、窓には土戸、出入り口は三重、という火災に対する考慮をした造りです。
多くに見られる寺院とは違う珍しい寺だと思います。
花頭窓には、当時は珍しかったガラス戸を使用しています。
戊辰戦争時には、新政府軍の病院として使われたそうです。




「本堂」














〜 市内 〜





「猫(ねこ)」
肉食目ネコ科ネコ属の哺乳類。
猫を撮影した場所の詳細に関しての説明などは遠慮させてください。















〜 蔵 〜


喜多方市は、蔵とラーメンが有名と話す方が多いです。
戊辰戦争の中の会津戦争が起きた時は、会津から離れていたため、被害が少なく、江戸時代に建てられた蔵が幾つも残ったそうです。
明治時代になると、藩などの規制が減り、裕福な家などが比較的自由に蔵を建てられるようになったそうです。
大正時代も裕福な家などが蔵を建てたそうです。
明治時代や大正時代は、蔵を建てるのは、富の象徴、目標、夢、だったそうです。
しかし、昭和時代の中頃になると、地域の開発・生活環境の変化などから、蔵を壊す・蔵の大改装が始まったそうです。
そのような状況の中で、喜多方市の或る写真家の方が、蔵の姿や蔵の在る風景をたくさん撮影したそうです。
後にその方の写真展が開かれて、多くの方が蔵の写る写真を見たそうです。
更に、テレビで喜多方市の蔵が紹介されたそうです。
喜多方市の蔵が注目されるようになりました。
そして、蔵を維持管理する人達や団体が増えたそうです。




薬屋さんの蔵。
建立:明治元年(1868年)。
種類:店蔵、商品蔵、塀蔵、厠蔵、蔵座敷。
こちらの薬屋さんの創業は、享保元年(1716年)。
建築を通して庭が鑑賞できるように造りが工夫されている。












お茶屋さんの蔵。
建立:昭和五年(1930年)。
種類:店蔵、商品蔵。
かつて喜多方周辺は、お茶の産地だったそう。
こちらのお茶を販売するお店は、茶葉製造業として明治三十五年(1902年)に創業。
瓦葺きの屋根と漆喰壁の昔ながらの木造立てのお店。










建立:明治初期〜中期。
種類:店蔵、味噌醤油蔵、蔵座敷。
蔵を建立した当時のお店の販売商品は分からないが、現在は荒物店さんの看板がある。
欅の総造りの店蔵、裏には商品蔵、味噌醤油蔵などが連絡しながら、83mにわたり並ぶ一大蔵群になっている。
独立して薪炭蔵があるのも、当事の商家のあり方を示している。









建立:明治末期。
種類:店蔵。
元は、綿屋さんの店蔵。
昭和五十四年(1979年)に改修して喫茶店としてオープンした。












建立:明治初期。
種類:店蔵。
蔵を建立したお店の関係か明治初期の建立の関係か詳細は分からないが、江戸時代主流の構造。
蔀戸(しとみど)や座売り空間などが残っていて、店蔵の雰囲気が伝わってくる。
創業が明治33年(1900年)の炭火で手焼きをするお煎餅屋さん。
蔵の建立当時のお店の詳細は分からない。
店蔵は、蔵の維持などのために別な場所に移築されて、この場所に現存する蔵は、住まい蔵、勝手蔵、など、と説明する方がいる。
詳細は各自でご確認ください。










建立:明治末期(明治44年[1911年]?)
種類:店蔵。
喜多方市内における、最古の煉瓦造り(れんがづくり)の店蔵。
煉瓦組積造+木骨煉瓦造の工法で造られている。
当時としてはユニークな構造として知られる。
喜多方産の煉瓦(れんが)を使用。
喜多方の蔵の中では珍しく、間口を広く取った造り。
蔵のデザインなどから、当時のハイカラな蔵の雰囲気が伝わる。
蔵の建立時のお店の販売商品は分からないが、現在は洋品店さん。



〜 甲斐屋敷蔵座敷 〜

蔵の中の一部分に、甲斐家に伝わる日用品や陶器や漆器などの美術工芸品などを展示しています。
蔵座敷は、大正六年(1917年)に着工、大正十三年(1924年)に完成、と七年を要しました。
蔵座敷は、51畳の大広間で、壁には金粉が吹き付けられ、東京深川の木場から取寄せた節なしの檜・黒檀・紫檀などの選りすぐりの銘木を使用しています。
豪華絢爛と表現できます。
店蔵には、一本の欅の木を削って造った螺旋階段があります。
現在でも同じ階段を造る技術は難しく貴重だそうです。
当時の造った方達の技術の優秀さが伝わります。
応接室は、造りと内装には手を加えず喫茶室となっています。
甲斐本家は、幕末から明治時代に掛けては、醸造や生糸業で財をなしたそうです。
国の登録有形文化財に指定。




庭園と喫茶室の方向を撮影。




















蔵座敷の在る蔵。
蔵座敷は下の部分に僅かですが写っている。















蔵の一部。














〜 若喜レンガ蔵 〜


建立:明治三十八年(1905年)。
種類:蔵座敷、道具蔵、醸造蔵、店蔵。
宝暦五年(1755年)に、味噌醤油醸造業として創業。
蔵座敷は、会津で最初に土蔵に外壁に煉瓦(れんが)を用いた擬洋風の建物で、バルコニー風の玄関があります。
一階は全て縞柿(しまがき)、二階は欅(けやき)、で仕上げ、木目の美しさと匠の技が印象的です。
昭和六年(1931年)建築の店舗と煉瓦蔵は、国の登録有形文化財に指定されています。
現在も味噌と醤油の醸造と販売をしています。




「煉瓦蔵」

















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