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福島県 2009年11月 NO.1


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2009.11.9撮影。

撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。


〜 会津若松市 〜


〜 阿弥陀寺 〜


戊辰戦争の中の会津の地で戦った会津藩の戦死者の埋葬は直ぐに許されませんでした。
後に埋葬は許されましたが、阿弥陀寺と長命寺に限られたそうです。
藤田五郎さん(新撰組三番組組長 斉藤一さん)、妻の藤田時尾さん、息子さんの藤田勉さん、などが永久の眠りに就くお墓が在ります。
藤田五郎さんの希望により、阿弥陀寺に埋葬されたそうです。




「境内」
左側の建物は、「御三階(おさんかい)」
「御三階」は、江戸時代の建築。
明治初年まで鶴ヶ城の本丸に在ったが、明治三年(1870年)にこの地に移されたそう。
外観は三階ですが、内部は四層になっている。
二階と三階の間に天上の低い部屋が在る。
三階に上る梯子は、用のない者が上がれないように、上から引き上げる仕組みになっているそう。
戊辰戦争により阿弥陀寺が消失したために、長く本堂として使用されていたそう。
会津若松市の「歴史的景観指定建造物」(指定年度:平成20年度)
右側の色付く木の下に、斉藤一さん、藤田時尾さん、藤田勉さん、などが永久の眠りに就くお墓が在る。


〜 神指城跡 & 高瀬の大木 〜


会津の領主となった上杉景勝が、重臣の直江兼継に命じて築城を始めました。
築城途中に、徳川家康の会津征伐が始まるなどの情勢の変化、関ヶ原の戦いなどによって、築城は中断します。
関ヶ原の戦いの結末・以降の出来事により、城の完成を見る事はありませんでした。
現在は築城途中の一部が遺されています。
「高瀬の大木(たかせのたいぼく)」は「欅(けやき)」です。
昭和十六年一月二十七日(1941年1月27日)指定の国指定天然記念物です。
神指城の二ノ丸の土塁の東北隅の一部の辺りに在ります。
築城前から既に大木だった事が知られているそうです。




「神指城の本丸の石垣の基礎石」
上杉景勝が築城しようとして未完で終わった神指城の本丸に、慶山村(現在:東山町)の山中から運んだといわれる石垣の基礎石。
昭和五八年(1983年)に二ノ丸の土塁の所に移したそう。












「高瀬の大木(たかせのたいぼく)」
「欅(けやき)」
ニレ科。












〜 如来堂 (神指城跡) 〜


神指城の跡(二ノ丸の付近のようです)の一部に在ります。
庄内へ援軍を求めて会津を離れようとする土方歳三さんの意見、会津藩主の松平容保さんへの恩義から会津に残る意見の山口次郎さん(斉藤一さん[後の”藤田五郎さん”])の意見がありました。
山口次郎さんの意見に同意した約二十名(十数名の説有)は会津に残りました。
山口次郎さんを含めた約二十名は、如来堂に宿陣しました。
会津戦争の中の慶応四年九月四日(1868年10月19日)に、新政府軍が如来堂に宿陣していた新撰組を攻撃しました。
山口次郎さんを含めて全員が討ち死にしたと伝わりました。
実際は、半数近く(半数以上の説あり)は討ち死にしましたが、山口次郎さんを含めた数名は生き残り戦いを続け、会津戦争が終わった時も、山口次郎さんを含めた数名は生き残りました。
如来堂は、新撰組殉難地、神指城跡、として知られています。




「銀杏(いちょう)」 イチョウ科。
2000年の調査で、樹高25m、幹周530cm、だそう。













〜 七日町 〜

会津若松市内に在ります。
阿弥陀寺、歴史のある建物、たくさんのお店、が在ります。




「猫(ねこ)」
肉食目ネコ科ネコ属の哺乳類。
猫を撮影した場所の詳細に関しての説明などは遠慮させてください。











〜 大戸町(芦ノ牧温泉駅と周辺) 〜


「芦ノ牧温泉駅」は、会津鉄道の駅の一つです。




芦ノ牧温泉駅付近から見た景色。














〜 御薬園 〜


会津藩二代藩主 保科正義が、園内に設け、各種の薬草栽培を試みたそうです。
三代藩主 松平 正容の時から次第に整備拡充されたそうです。
会津戦争中に西軍負傷者の保養所として利用されたそうです。
そのため、焼失などする事なく残ったといわれています。

薬草を撮影した関係で、効能を含めた説明などを書きました。
成分・効能・使用などの詳細は、各自でご確認をお願いします。




「美男葛(びなんかずら)」
モクレン科。
用部は、成熟果実。
用途は、滋養、強壮、鎮席薬、、五味子の代用、など。
昔は整髪に美男葛の樹液を使ったことから付いた名前だそう。
生薬名「南五味子(なんごみし)」
別名は「実葛(さねかずら)」









園内に居た鳥。




















「一葉楓(ひとつばかえで)」
カエデ科。
別名は「丸葉楓(まるばかえで)」
「楓(かえで)」から想像する葉の切れ込みが無いので、楓だと分かり難いと思う。
秋に淡い黄色に色付く。
撮影日の葉は色付いている。










「いろは紅葉(いろはもみじ)」
カエデ科。
別名は、「高雄紅葉(たかおもみじ)」(京都の名所の”高雄”に多い事から付いた名前)、「いろは楓(いろはかえで)」、など。
「いろは紅葉」の名前は、葉が普通は七裂になるので、「イロハニホヘト」と数えられる事が由来だそう。
「紅葉(もみじ)」というと、「いろは紅葉」を差す事が多いほど良く見られる。








「メタセコイア」
スギ科。
落葉高木。
和名は「曙杉(あけぼのすぎ)」
中国名は「水杉」
「メタセコイア」は、スギ科メタセコイア属、「セコイア」は、スギ科セコイア属、なので細かく分けると、別になる。
余り進化していないらしく、「生きている化石」と喩えられ有名になっている。
日本では化石として幾つも発見されたそうです。
そこから、日本では第四紀前半(第四紀は、180年前〜現在。そこから、100〜300万年前)まではたくさん生えていたと考えられている。
絶滅したと考えられていたが、昭和18年(1943年)頃に、中国の林務官の方が、中国四川省で生きているメタセコイアが発見した。
発見された当初は、メタセコイアだと分からなかったそう。
翌年に調査をして、日本の方が昭和16年(1941年)に化石の状態で命名したメタセコイアだと分かり、昭和21年(1946年)に生きているメタセコイアが発表されたそう。




夏黄櫨(なつはぜ)」
ツツジ科。
実は熟すと黒くなる。
実は、酸味があり、食べられるそう。













「鬼紅葉(おにもみじ)」
カエデ科。
落葉高木。
別名は「梶楓(かじかえで)」
「鬼紅葉」は、葉が粗大で堅い毛があり、果実にも堅い毛がある様子から、付いた名前。
「梶楓」は、葉の形が「梶(かじ)」の葉に似ている様子から付いた名前。
用途は、建築や器具の材料。













「猿捕り茨(さるとりいばら)」
ユリ科。
別名は「山帰来(さんきらい)」
用部は、根茎。
用途は、梅毒、利尿、解毒剤、など。
生薬名は「ばっかつ(“草冠”に“抜”、“草冠”に“契”)」











「薄(すすき)」
イネ科。
「芒」とも書く。
別名は、「茅(かや)」、「萱(かや)」、「尾花(おばな)」
用部は、根茎。
効用、感冒の解熱、利尿、など。
「秋の七草」の一つ。













〜 南会津郡 〜


〜 塔のへつり 〜


昭和十八年(1943年)八月二十四日に国の天然記念物に指定されました。
100万年もの長い年月をかけて、侵食と風化を繰り返して、見事で不思議な景観を造りだしたそうです。
全長は約200mほどです。
主だった岩には、烏帽子岩、象塔岩、土俵岩、などの名前が付いています。
「へつり」は地元の方言で「険しい崖。急斜面。」などの意味です。
「塔のへつり」には、虚空像菩薩が祀られています。

※今回の撮影時間に、霧が現れていました。
  ご了承ください。




塔のへつのり一部。



















〜 塔のへつり駅周辺 〜




「大川羽鳥県立自然公園の特別地域」の一部。

















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