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福島県 2009年11月 NO.3


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2009.11.25撮影。

撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。

※撮影の前日と当日の天候の関係で、地面や植物などが濡れています。


〜 会津若松市 〜


〜 阿弥陀寺 〜


戊辰戦争の中の会津の地で戦った会津藩の戦死者の埋葬は直ぐに許されませんでした。
後に埋葬は許されましたが、阿弥陀寺と長命寺に限られたそうです。
藤田五郎さん(新撰組三番組組長 斉藤一さん)、妻の藤田時尾さん、息子さんの藤田勉さん、などが永久の眠りに就くお墓が在ります。
藤田五郎さんの希望により、阿弥陀寺に埋葬されたそうです。




雨に濡れる色付く葉。
しっとりとした雰囲気の写真になった。













〜 妙國寺 〜


「国」の字の関係だと思いますが、「妙国寺」と書く事があります。
慶永元年(1394年)開山。
会津藩主の松平容保(まつだいらかたもり)公、子の喜徳(よしのり)公が、明治元年(1868年)九月二十八日の鶴ヶ城開城の日から28日間謹慎されたお寺です。
飯盛山で自刃した白虎隊士が最初に埋葬された場所として知られています。




「松(まつ)」だと思われる。
マツ科。
飯盛山で自刃した白虎隊士が最初に埋葬された場所には、慰霊碑が建っている。
この木は慰霊碑の傍に植わっている。
戊辰戦争の中の会津の地で戦った会津藩の戦死者の埋葬は直ぐに許されなかった。
新政府側の許しがない状態で埋葬すると処罰の対象になったそう。
飯盛山で自刃した白虎隊士の埋葬も許されていない。
飯盛山で自刃した白虎隊士を余りにも可哀想と思った方が、夜な夜な白虎隊士の遺体を菩提寺に埋葬したそう。
飯盛山で自刃した隊士が飯盛山に埋葬されたのは、後の事になる。


〜 大戸町(芦ノ牧温泉駅と周辺) 〜


「芦ノ牧温泉駅」は、会津鉄道の駅の一つです。




「猫(ねこ)」
肉食目ネコ科ネコ属の哺乳類。
名前などの詳細が気になる方は、各自でご確認ください。














芦ノ牧温泉駅のホームから会津田島駅方面を撮影。














〜 御薬園 〜


会津藩二代藩主 保科正義が、園内に設け、各種の薬草栽培を試みたそうです。
三代藩主 松平 正容の時から次第に整備拡充されたそうです。
会津戦争中に西軍負傷者の保養所として利用されたそうです。
そのため、焼失などする事なく残ったといわれています。

薬草を撮影した関係で、効能を含めた説明などを書きました。
成分・効能・使用などの詳細は、各自でご確認をお願いします。




園内を撮影。
















「花梨(かりん)」
バラ科。
用部は、果実。
用途は、鎮咳、利尿、収れん、強壮。













「隈笹(くまざさ)」
イネ科。
「熊笹」とも書く。
冬に縁が白く枯れて美しく隈どる様子からついた名前だそう。
葉を「隈笹葉」といい、そのエキスを健胃剤として利用、また、民間で青汁原料にする、そう。
笹団子、笹寿司、ちまき、などにも利用。










「豆柿(まめがき)」
カキノキ科。
別名は、「小柿(こがき)」、「信濃柿(しなのがき)」、「千成柿(せんなりがき)」、など。
果径は、1.5cm程。
若い果実を潰して「柿渋(かきしぶ)」を採る。
実生の苗を柿の台木にする。
実は、霜が降りる頃に渋さが抜けるそう。
生食、お餅に就き込んで食べる、などの食用にするそう。








「刀豆(なたまめ)」
マメ科。
「鉈豆」とも書く。
熱帯アジア原産。
日本には江戸時代の初期に中国から渡来。
莢は、肉厚、長さは25cm程、幅5cm程。
莢の形が「鉈(なた)」に似ている様子から付いた名前。
食用、薬用、に使用。
効能は、歯槽膿漏、など。
有毒部分があるので、食用や薬用に使用する時は注意が必要。
詳細は各自でご確認ください。










「山茱萸(さんしゅゆ)」
ミズキ科。
用部は、核を除いた果肉。
用途は、強壮、止血、収斂、など。
別名は、「春黄金花(はるこがねばな)」、「秋珊瑚(あきさんご)」









〜 野口英世青春通り 〜


医学者の野口英世さんが青春時代を過ごした場所です。
野口英世さんが、手の施術を受けて、書生として住み込んだ、「会陽医院」跡。
野口英世さんの初恋の人と伝わる女性の生家跡。
などが在ります。



「会陽医院跡」
野口英世さんが、手の施術を受けて、書生として住み込んだ「会陽医院」の跡。
現在は、一階は喫茶店、二階は資料館。
会津若松市の「歴史的景観指定建造物」(指定年度:平成9年度)
建築年:明治十七年(1884年)
「歴史的景観指定建造物」の第三号。











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