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福島県 2011年1月 NO.4


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2011.1.24撮影。

撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。

※撮影日の前日から当日の天気の関係で、雪が降る写真、積雪や地面などが濡れている写真があります。
  ご了承ください。


〜 会津若松市 〜


〜 阿弥陀寺 〜


戊辰戦争の中の会津の地で戦った会津藩の戦死者の埋葬は直ぐに許されませんでした。
後に埋葬は許されましたが、阿弥陀寺と長命寺に限られたそうです。
藤田五郎さん(新撰組三番組組長 斉藤一さん)、妻の藤田時尾さん、息子さんの藤田勉さん、などが永久の眠りに就くお墓が在ります。
藤田五郎さんの希望により、阿弥陀寺に埋葬されたそうです。




境内に有る木。
雪が載り、白くなっている。
この木の下に、藤田五郎さん、藤田時尾さん、藤田勉さん、などが永久の眠りに就くお墓が在る。











〜 大戸町(芦ノ牧温泉駅と周辺) 〜


「芦ノ牧温泉駅」は、会津鉄道の駅の一つです。




「猫(ねこ)」
肉食目ネコ科ネコ属の哺乳類。
名前などの詳細が気になる方は、各自でご確認ください。














芦ノ牧温泉駅付近から撮影。




















〜 御薬園 〜


会津藩二代藩主 保科正義が、園内に設け、各種の薬草栽培を試みたそうです。
三代藩主 松平 正容の時から次第に整備拡充されたそうです。
会津戦争中に西軍負傷者の保養所として利用されたそうです。
そのため、焼失などする事なく残ったといわれています。

薬草を撮影した関係で、効能を含めた説明などを書きました。
成分・効能・使用などの詳細は、各自でご確認をお願いします。




「赤松(あかまつ)」
マツ科。
用部は、樹脂。
用途は、絆創膏などの基材、軟化材、皮膚刺激作用、など。

















園内の池で休む鳥。


























園内の池が凍る部分を歩く様子を撮影。
鳥の体重は軽いので氷の上を歩いているが、人間が歩ければ氷が割れる可能性が非常に高い。
ご理解とご了承の上で見てください。











〜 野口英世青春通り 〜


医学者の野口英世さんが青春時代を過ごした場所です。
野口英世さんが、手の施術を受けて、書生として住み込んだ、「会陽医院」跡。
野口英世さんの初恋の人と伝わる女性の生家跡。
などが在ります。




「会陽医院跡」
野口英世さんが、手の施術を受けて、書生として住み込んだ「会陽医院」の跡。
現在は、一階は喫茶店、二階は資料館。
会津若松市の「歴史的景観指定建造物」(指定年度:平成9年度) 建築年:明治十七年(1884年) 「歴史的景観指定建造物」の第三号。









〜喜多方市〜


〜 蔵 〜


喜多方市は、蔵とラーメンが有名と話す方が多いです。
戊辰戦争の中の会津戦争が起きた時は、会津から離れていたため、被害が少なく、江戸時代に建てられた蔵が幾つも残ったそうです。
明治時代になると、藩などの規制が減り、裕福な家などが比較的自由に蔵を建てられるようになったそうです。
大正時代も裕福な家などが蔵を建てたそうです。
明治時代や大正時代は、蔵を建てるのは、富の象徴、目標、夢、だったそうです。
しかし、昭和時代の中頃になると、地域の開発・生活環境の変化などから、蔵を壊す・蔵の大改装が始まったそうです。
そのような状況の中で、喜多方市の或る写真家の方が、蔵の姿や蔵の在る風景をたくさん撮影したそうです。
後にその方の写真展が開かれて、多くの方が蔵の写る写真を見たそうです。
更に、テレビで喜多方市の蔵が紹介されたそうです。
喜多方市の蔵が注目されるようになりました。
そして、蔵を維持管理する人達や団体が増えたそうです。




建立:明治四十三年(1910年)
種類:店蔵。
用途:米蔵。
明治三十七年(1904年)に、喜多方駅が営業を開始し、それに伴って、明治四十三年に、或る家の本家の駅前拠点として建てられた煉瓦建物群の一つ。
昭和五十一年(1976年)より、カフェとして開店。
撮影日現在もカフェとして利用。














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