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福島県 2011年9月 NO.1


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2011.9.25撮影。

撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。

※撮影の前日と当日の天候の関係で、地面や川など普段と違う写真があります。


〜 会津鉄道 お座トロ展望列車 〜


「お座トロ展望列車」は、会津鉄道の「お座敷車両」・「トロッコ車両」・「展望車両」の三両編成で運行するイベント列車です。
会津若松駅〜会津田島駅の間を運行します。
運行日と運行時間は、月によって違います。
乗車料金、運行日時、停車駅、などの詳細は、各自でご確認をお願いします。




お座敷トロ展望列車から撮影。











































〜 会津若松市 〜


〜 会津若松駅 〜

JR東日本 磐越西線の上り線の駅の一つ、または、下り線の駅の一つです。
JR東日本 只見線の、始発駅、または、終着駅、です。




会津若松駅から撮影。















会津若松駅ホームから撮影。
写真中央部の電車は、磐越西線の中の郡山駅〜会津若松駅間を主に走行する「あかべぇ塗装」の「719系」と思われる。










〜 阿弥陀寺 〜


戊辰戦争の中の会津の地で戦った会津藩の戦死者の埋葬は直ぐに許されませんでした。
後に埋葬は許されましたが、阿弥陀寺と長命寺に限られたそうです。
藤田五郎さん(新撰組三番組組長 斉藤一さん)、妻の藤田時尾さん、息子さんの藤田勉さん、などが永久の眠りに就くお墓が在ります。
藤田五郎さんの希望により、阿弥陀寺に埋葬されたそうです。




「小紫式部(こむらさきしきぶ)」
クマツヅラ科。
落葉低木。
別名は、「小紫(こむらさき)」、「小式部(こしきぶ)」
開花時期は、6月〜8月中旬。
実の生る時期は、9〜11月。
花は、淡紫色の小花が、葉の付け根に、根元に近い場所から咲き始め、先端へと咲いていく。
実は、小さい実が花を追うように生る。
実の色は、緑色から紫色に変わっていく。
葉は、緑色で、上半分に鋸歯が見られ、対生に付く。
高さは、1〜1.5m。
初夏、紫色の小さな実をつける。
名前の由来は、主に二つになるよう。
一つの説は、紫色の実から、源氏物語の作者の「紫式部(むらさきしきぶ)」にちなんで名付けられた。
一つの説は、小さい「紫式部(むらさきしきぶ)」(クマツヅラ科 ムラサキシキブ属)というところから名付けられた。



〜 大戸町(芦ノ牧温泉駅と周辺) 〜


「芦ノ牧温泉駅」は、会津鉄道の駅の一つです。




「猫(ねこ)」
肉食目ネコ科ネコ属の哺乳類。
名前などの詳細が気になる方は、各自でご確認ください。

















芦ノ牧温泉駅のホーム。















芦ノ牧温泉駅のホームを撮影。
写真に写る電車は、「ふるさと列車」(普通列車)。
















〜 清水屋旅館跡 〜


「会津若松市大町一丁目」に在ります。
幕末の志士たちに大きな影響を与えた吉田松陰さんは、嘉永五年(1852年)、22歳の時にに東北各藩を歴訪する大旅行をしています。
中でも会津藩には特に強い関心を示し、二度にわたって多くの人々と広い見聞を広めています。
松陰の旅の記録「東北遊日記」に記された七日町の宿がここ「清水屋」でした。
松陰が会津を去ってから16年後(1868年)に戊辰戦争が起こります。
会津と運命を共にした新撰組の 副長 土方歳三さんは、宇都宮城の攻防で足を負傷し、会津田島を経て「清水屋」に運び込まれ治療を受けています。
土方歳三さんはその後、函館五稜郭まで転戦し、西軍と徹底的に戦い続けたのです。
明治15年(1882年)には、「清水屋事件」が起こります。
喜多方出身の自由民権運動家・宇田成一さんらが帝政党員に襲われ重傷を負います。
宇田成一さんはこの後、国事犯として捕らえられますが、明治25年(1892年)に復権し県会議員に当選、最後まで自由党を守り通しました。
木造3階建ての純日本旅館清水屋は、幕末から明治・大正にわたって会津の歴史を見つめ続け、昭和初年(1926年)に惜しまれながらも取り壊されました。
撮影日現在は、或る銀行の会津若松支店が在ります。




当時の建物は無いため、説明板などが在るのみとなっている。

















〜 鶴ヶ城(若松城) 〜


国史跡の名称は「若松城跡」。
室町時代〜戦国時代までの名称は「黒川城」。
戦後時代に城主変更や改修などにより「若松城(わかまつじょう)」に変更。
江戸時代の名称は「会津若松城(あいづわかまつじょう)」。
「若松城」の呼び名頃から、通称名は「鶴ヶ城(つるがじょう)」。
以上の「城」の付く呼び名があります。
「鶴ヶ城」・「若松城」の呼び名でご存知の方が多いかと思います。
戊辰戦争の中の会津戦争の時に、会津藩士・家族が籠城して戦った城です。
明治時代に城は取り壊されました。
現在の城は復元ですが、城や敷地の一部は当時のまま残っているそうです。
石垣から天守閣までの高さは、36.5m。
天主台(石垣部分)の高さは、11m。
天守閣の高さは、25.15m。




鶴ヶ城の主な城主の家紋と氏の明記がされた旗。
葦名家、伊達家、上杉家、蒲生家、加藤家、保科家、松平家。
以上の家名と家紋が見られる。












本丸。














〜 南会津郡 〜


〜 会津下郷駅 〜


「あいづしもごう」 会津鉄道の駅の一つ。




「カマキリ」
漢字では、「蟷螂」、「螳螂」、「鎌切」、などと書く。
直翅目カマキリ科の昆虫の総称。
体長7〜8cmのカマキリやオオカマキリ・コカマキリなど。
体は細長く、緑色または褐色。前脚は鎌状に曲がり、他の小昆虫を捕獲する。
頭は三角形で、左右に大きな複眼をもつ。
雌は交尾ののち、草上や樹上で産卵し、卵を粘液で包んだ卵嚢(らんのう)を作る。
外国産にはランの花や枯れ葉に体を似せたものもある。





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