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福島県 2012年2月 NO.1


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2012.2.11撮影。

撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。

※撮影の前日と当日の天候の関係で、積雪しています。


〜 会津若松市 〜


〜 阿弥陀寺 〜


戊辰戦争の中の会津の地で戦った会津藩の戦死者の埋葬は直ぐに許されませんでした。
後に埋葬は許されましたが、阿弥陀寺と長命寺に限られたそうです。
藤田五郎さん(新撰組三番組組長 斉藤一さん)、妻の藤田時尾さん、息子さんの藤田勉さん、などが永久の眠りに就くお墓が在ります。
藤田五郎さんの希望により、阿弥陀寺に埋葬されたそうです。




境内。













〜 大戸町(芦ノ牧温泉駅と周辺) 〜


「芦ノ牧温泉駅」は、会津鉄道の駅の一つです。




「猫(ねこ)」
肉食目ネコ科ネコ属の哺乳類。
名前などの詳細が気になる方は、各自でご確認ください。

















「葉牡丹(はぼたん)」
アブラナ科。
江戸時代に野菜として渡来したそう。
キャベツを観賞用に改良したものだそう。












芦ノ牧温泉駅のホームから撮影。
写真に写る列車は、「ふるさと列車」(普通列車)と思われる。


















芦ノ牧温泉駅のホームから撮影。













〜 鶴ヶ城(若松城) & 会津絵ろうそくまつり(ゆきほたる) 〜


「鶴ヶ城(若松城)」
国史跡の名称は「若松城跡」
室町時代〜戦国時代までの名称は「黒川城」
戦後時代に城主変更や改修などにより「若松城(わかまつじょう)」に変更。
江戸時代の名称は「会津若松城(あいづわかまつじょう)」。
「若松城」の呼び名頃から、通称名は「鶴ヶ城(つるがじょう)」。
以上の「城」の付く呼び名があります。
「鶴ヶ城」・「若松城」の呼び名でご存知の方が多いかと思います。
戊辰戦争の中の会津戦争の時に、会津藩士・家族が籠城して戦った城です。
明治時代に城は取り壊されました。
現在の城は復元ですが、城や敷地の一部は当時のまま残っているそうです。
石垣から天守閣までの高さは、36.5m。
天主台(石垣部分)の高さは、11m。
天守閣の高さは、25.15m。

「会津絵ろうそくまつり(ゆきほたる)」
会津の伝統的工芸品の1つの「会津絵ろうそく」を使ったイベントです。
職人技が感じられる会津絵ろうそくを知って頂きたいと考えて開催しているイベントです。
鶴ヶ城や御薬園などの市内各所で行われています。
2012年は、約7000本の会津絵ろうそくを使って行われました。
「ゆきほたる」は、平成12年(2000年)の開催時に募集した名前の中から選ばれました。
「ゆきほたる」の名前は、平成12年(2000年)以降もサブタイトルとして使われています。
2012年は、2月10日〜11日、夕方から夜の頃、に行われました。




雪に囲まれて灯る蝋燭の明かりを撮影。















「デジタル掛け軸」の映る「本丸」
「本丸」
江戸城・大阪城・名古屋城などの高い城を見ていたので、最初に見た時は想像より小さめに感じた。
しかし、江戸城・大阪城・名古屋城の城主の身分や立場から城の大きさを考えると、大きい城になるのは当時では当然の事になる。
鶴ヶ城は当時の城の中では、大きい方になるそう。
鶴ヶ城主の身分や立場が重要だった事が分かる。
鶴ヶ城の規模や大きさの城だったからこそ、一ヶ月もの籠城に耐えられたと思う。
「デジタル掛け軸」
「会津絵ろうそくまつり」の中で、時間限定で行われた特別イベントの「デジタル掛け軸」
世界的に活躍するデジタルアーティストの方が創作する空間照明アート。
複数のプロジェクターで投影される100万枚のデジタル映像が幻想的な空間を創っている。
「デジタル掛け軸」を開催する費用として、或る雑誌の売り上げの一部が使われてるそう。









紙の中で灯る蝋燭の明かりを撮影。
紙に燃え難い加工などをしていると思われます。
普通の紙を写真のように使用しないでください。

















光の色に染まる雪を撮影。
デジタル掛け軸を写す中で偶然に撮影。














「デジタル掛け軸」の映る「本丸」




















蝋燭の明かりと「デジタル掛け軸」の淡い光に染まる「本丸」の前。














「デジタル掛け軸」が映る「本丸」















素焼き風の焼き物の中で灯る蝋燭。



















「デジタル掛け軸」の映る「本丸」














〜 南会津郡 〜


〜 大内宿 & 大内宿雪まつり 〜


「大内宿」
江戸時代に栄えた宿場町です。
関東と会津を結ぶ下野街道の交通の要衝でした。
宿場として、荷駄運送の駅所として栄えていました。
会津藩主の参勤交代の時にこの街道を利用した事があるそうです。
戊辰戦争の際には、大内は会津軍と新政府軍の激戦の場となったそうです。
会津軍後退の時に、焼きはらいに遭いそうになったそうです。
当時の名主の死を覚悟の抵抗によって、焼きはらいを免れたとの言い伝えがあるそうです。
現在も萱葺きの建物が並んでいます。
国の重要伝統的建造物群保存地区です。

「大内宿雪まつり」
2月11日〜12日の2日間を使って行われた。
2月11日は午後から、2月12日は午前から、行われた。




「団子挿し(だんごさし)」
「団子挿」、「団子さし」、とも書く。
小正月の作り物の一つ。
五穀豊穣、商売繁盛、家内安全を祈願して行う小正月の伝統行事。
「水木(みずき)」などの枝に、色とりどりの団子や飾りを付けていく。









雪の積もる萱葺きの家。















「かまくら」
「大内宿雪まつり」のために造られた。


















「かまくら」に挿した「団子挿し」















萱葺きの家の軒下の滑車に吊るされた飾り。



















雪の積もる萱葺きの家と「雪燈籠」
「雪燈籠」は「大内宿雪まつり」のために造られた。














雪だるま。
「大内宿雪まつり」のために造られたのかは未確認。














雪の積もる萱葺きの家。















雪の中に在る水場。















萱葺きの家と脇の道。















「置物」
籠の中にお賽銭があったので、ご利益のある置物かもしれない。













大内宿の入り口付近から撮影。















大内宿の入り口付近から撮影。
枯れている様子だが良い雰囲気だったので撮影。












〜 湯野上温泉駅 〜




「手湯(てゆ)」
湯野上温泉駅駅舎の出入り口付近に在る手湯を撮影。













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