このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
福島県 2012年2月 NO.2
後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2012.2.12撮影。
撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。
※撮影の前日と当日の天候の関係で、降雪や積雪しています。
〜 会津若松市 〜
〜 会津若松駅 〜
JR東日本 磐越西線(ばんえつさいせん)の上り線の駅の一つ、または、下り線の駅の一つです。
JR東日本 只見線(ただみせん)の、始発駅、または、終着駅、です。
早朝の会津若松駅のホームから撮影。
写真に写る列車は、「磐越西線(ばんえつさいせん)」と「只見線(ただみせん)」になる。
〜 大戸町(芦ノ牧温泉駅と周辺) 〜
「芦ノ牧温泉駅」は、会津鉄道の駅の一つです。
「猫(ねこ)」
肉食目ネコ科ネコ属の哺乳類。
名前などの詳細について気になる方は、各自でご確認ください。
芦ノ牧温泉駅のホームから撮影。
写真に写る列車は、「ふるさと列車」(普通列車)と思われる。
列車に書かれている「八重の桜」は、平成25年(2013年)の大河ドラマの題名。
芦ノ牧温泉駅のホームから撮影。
〜 御薬園 〜
会津藩二代藩主 保科正義が、園内に設け、各種の薬草栽培を試みたそうです。
三代藩主 松平 正容の時から次第に整備拡充されたそうです。
会津戦争中に西軍負傷者の保養所として利用されたそうです。
そのため、焼失などする事なく残ったといわれています。
薬草を撮影した関係で、効能を含めた説明などを書きました。
成分・効能・使用などの詳細は、各自でご確認をお願いします。
「園内」
「楽寿亭」が写るように撮影。
「楽寿亭」について。
木造茅葺平屋建の建築物。
「心の字池」に浮かぶ「亀島」に建てられている。
「御茶屋御殿」と同じ頃に建てられた。
「茅(かや)」について簡単に説明する。
屋根を葺く時に使用する。
イネ科の「薄(すすき)」・「茅(ちがや)」、カヤツリグサ科の「菅(すげ)」、などの総称。
「園内」
「御茶屋御殿」が写るように撮影。
「御茶屋御殿」について。
今から約300年前に作られた。
木造茅葺平屋建の数寄屋。
主として、茶席・書院・御慰所として用いられていたそう。
「心の字池」の傍に建っている。
「園内」
「重陽閣(ちょうようかく)」が写るように撮影。
「重陽閣」について。
建立:昭和三年(1928年)
東山温泉の宿の別棟。
昭和四十八年(1973年)に現在の場所に移築された。
建物の名前は、勢津子妃殿下の誕生日が9月9日(「重陽の節句」の日)であったことこら「重陽閣」となったそう。
〜 喜多方市 〜
〜 蔵 〜
喜多方市は、蔵とラーメンが有名と話す方が多いです。
戊辰戦争の中の会津戦争が起きた時は、会津から離れていたため、被害が少なく、江戸時代に建てられた蔵が幾つも残ったそうです。
明治時代になると、藩などの規制が減り、裕福な家などが比較的自由に蔵を建てられるようになったそうです。
大正時代も裕福な家などが蔵を建てたそうです。
明治時代や大正時代は、蔵を建てるのは、富の象徴、目標、夢、だったそうです。
しかし、昭和時代の中頃になると、地域の開発・生活環境の変化などから、蔵を壊す・蔵の大改装が始まったそうです。
そのような状況の中で、喜多方市の或る写真家の方が、蔵の姿や蔵の在る風景をたくさん撮影したそうです。
後にその方の写真展が開かれて、多くの方が蔵の写る写真を見たそうです。
更に、テレビで喜多方市の蔵が紹介されたそうです。
喜多方市の蔵が注目されるようになりました。
そして、蔵を維持管理する人達や団体が増えたそうです。
建立:明治四十三年(1910年)
種類:店蔵。
用途:米蔵。
明治三十七年(1904年)に、喜多方駅が営業を開始し、それに伴って、明治四十三年に、或る家の本家の駅前拠点として建てられた煉瓦建物群の一つ。
昭和五十一年(1976年)より、カフェとして開店。
撮影日現在もカフェとして利用。
〜 喜多方駅 〜
磐越西線の駅の一つ。
「雪灯籠(ゆきどうろう)」
喜多方駅前で撮影。
写真集トップ
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |