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福島県 2012年3月 NO.2


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2012.3.9撮影。

撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。

※撮影の前日と当日の天候の関係で、降雪、積雪、降雨、しています。


〜 会津若松市 〜


〜 会津若松駅 〜


JR東日本 磐越西線(ばんえつさいせん)の上り線の駅の一つ、または、下り線の駅の一つです。
JR東日本 只見線(ただみせん)の、始発駅、または、終着駅、です。




早朝の会津若松駅のホームから撮影。
写真に写る列車は、「磐越西線(ばんえつさいせん)」と「只見線(ただみせん)」になる。











〜 大戸町(芦ノ牧温泉駅と周辺) 〜


「芦ノ牧温泉駅」は、会津鉄道の駅の一つです。




「猫(ねこ)」
肉食目ネコ科ネコ属の哺乳類。
名前などの詳細について気になる方は、各自でご確認ください。












花瓶に活けてあった花。















芦ノ牧温泉駅付近から撮影。














〜喜多方市〜


〜 喜多方駅 〜


磐越西線の駅の一つ。




喜多方駅のホームから撮影。
写真右部の電車は、磐越西線の中の会津若松駅〜郡山駅間(時間によって、喜多方〜会津若松駅〜郡山駅間)を主に走行する「あかべぇ塗装」の「719系」と思われる。










〜 蔵 〜


喜多方市は、蔵とラーメンが有名と話す方が多いです。
戊辰戦争の中の会津戦争が起きた時は、会津から離れていたため、被害が少なく、江戸時代に建てられた蔵が幾つも残ったそうです。
明治時代になると、藩などの規制が減り、裕福な家などが比較的自由に蔵を建てられるようになったそうです。
大正時代も裕福な家などが蔵を建てたそうです。
明治時代や大正時代は、蔵を建てるのは、富の象徴、目標、夢、だったそうです。
しかし、昭和時代の中頃になると、地域の開発・生活環境の変化などから、蔵を壊す・蔵の大改装が始まったそうです。
そのような状況の中で、喜多方市の或る写真家の方が、蔵の姿や蔵の在る風景をたくさん撮影したそうです。
後にその方の写真展が開かれて、多くの方が蔵の写る写真を見たそうです。
更に、テレビで喜多方市の蔵が紹介されたそうです。
喜多方市の蔵が注目されるようになりました。
そして、蔵を維持管理する人達や団体が増えたそうです。




建立:明治四十三年(1910年)
種類:店蔵。
用途:米蔵。
明治三十七年(1904年)に、喜多方駅が営業を開始し、それに伴って、明治四十三年に、或る家の本家の駅前拠点として建てられた煉瓦建物群の一つ。
昭和五十一年(1976年)より、カフェとして開店。
撮影日現在もカフェとして利用。








「蔵」
建立:江戸末期。
種類:塗蔵、蔵座敷。
古くから漆器の製造を手がけるお店の蔵。












「蔵」
建立:明治初期。
種類:貯蔵蔵。
撮影日現在の蔵の利用内容。
一階が、会津塗り工芸品のお店。
二階が、塗り物についての資料や蔵の蔵の写真家の写真を展示する郷土参考館。
平成元年(1989年)からは、カフェを併設している。








「蔵」
建立:明治二十四年(1891年)
種類:塗蔵。
明治中期の漆器製作専用の塗蔵。
撮影日現在は、二階は伝統工法そのものの作業場、一階は売り場、になっている。









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