このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
福島県 2012年4月 NO.2
後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2012.4.26撮影。
撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。
〜 会津若松市 〜
〜 会津若松駅 〜
JR東日本 磐越西線(ばんえつさいせん)の上り線の駅の一つ、または、下り線の駅の一つです。
JR東日本 只見線(ただみせん)の、始発駅、または、終着駅、です。
早朝の会津若松駅のホームから撮影。
写真に写る列車は、「磐越西線(ばんえつさいせん)」(クモハ719−13)になる。
〜 大戸町(芦ノ牧温泉駅と周辺) 〜
「芦ノ牧温泉駅」は、会津鉄道の駅の一つです。
「猫(ねこ)」
肉食目ネコ科ネコ属の哺乳類。
名前などの詳細について気になる方は、各自でご確認ください。
芦ノ牧温泉駅ホームから撮影。
「鯉幟(こいのぼり)」
「桜(さくら)」の「染井吉野(そめいよしの)」と思われる。
バラ科。
桜と雪の残る山を一緒に撮影。
〜 御薬園 〜
会津藩二代藩主 保科正義が、園内に設け、各種の薬草栽培を試みたそうです。
三代藩主 松平 正容の時から次第に整備拡充されたそうです。
会津戦争中に西軍負傷者の保養所として利用されたそうです。
そのため、焼失などする事なく残ったといわれています。
薬草を撮影した関係で、効能を含めた説明などを書きました。
成分・効能・使用などの詳細は、各自でご確認をお願いします。
「パンジー」と思われる。
スミレ科。
「桜(さくら)」の「染井吉野(そめいよしの)」と思われる。
「山茱萸(さんしゅゆ)」
ミズキ科。
用部は、核を除いた果肉。
用途は、強壮、止血、収斂、など。
秋には赤く実が熟す。
別名は、「春黄金花(はるこがねばな)」(早春に、芽が出る前に黄色い花を咲かせるので)、「秋珊瑚(あきさんご)」(熟する実も美しいため)。
「高田梅(たかだうめ)」
バラ科。
「杏(あんず)」と「豊後梅(ぶんごうめ)」の改良種になる。
ゴルフボールほどの大きさの実が生る。
かりかり漬け、甘漬け、などの郷土料理、梅酒、などの食用に利用。
会津高田の特産品になる
〜喜多方市〜
〜 喜多方駅 〜
磐越西線の駅の一つ。
喜多方駅ホームから撮影。
〜 蔵 〜
喜多方市は、蔵とラーメンが有名と話す方が多いです。
戊辰戦争の中の会津戦争が起きた時は、会津から離れていたため、被害が少なく、江戸時代に建てられた蔵が幾つも残ったそうです。
明治時代になると、藩などの規制が減り、裕福な家などが比較的自由に蔵を建てられるようになったそうです。
大正時代も裕福な家などが蔵を建てたそうです。
明治時代や大正時代は、蔵を建てるのは、富の象徴、目標、夢、だったそうです。
しかし、昭和時代の中頃になると、地域の開発・生活環境の変化などから、蔵を壊す・蔵の大改装が始まったそうです。
そのような状況の中で、喜多方市の或る写真家の方が、蔵の姿や蔵の在る風景をたくさん撮影したそうです。
後にその方の写真展が開かれて、多くの方が蔵の写る写真を見たそうです。
更に、テレビで喜多方市の蔵が紹介されたそうです。
喜多方市の蔵が注目されるようになりました。
そして、蔵を維持管理する人達や団体が増えたそうです。
建立:明治四十三年(1910年)
種類:店蔵。
用途:米蔵。
明治三十七年(1904年)に、喜多方駅が営業を開始し、それに伴って、明治四十三年に、或る家の本家の駅前拠点として建てられた煉瓦建物群の一つ。
昭和五十一年(1976年)より、カフェとして開店。
撮影日現在もカフェとして利用。
〜 大沼郡 〜
〜 伊佐須美神社 〜
「いさすみじんじゃ」
「会津美里町」に在ります。
崇神天皇十年、四道将軍大毘古命と建沼河別命の親子が、北陸道各地を平定した後、この地で出会ったことから「会津」と名付けられました。
この時、国家鎮護のため、国土開拓の神様であるイザナギノミコト、イザナミノミコトの二神を新潟県境の御神楽岳の山頂に奉斎しました。
その後、博士山、明神ヶ岳、と移転を繰り返し、欽明天皇十三年(552年)に、高田南原に遷座し、欽明天皇二一年(560年)に、現在地の東原に遷座したそうです。
「飛竜乃藤(ひりゅうのふじ)」
マメ科。
高さ30m程の木に絡み付いている藤。
名前のとおり飛竜の姿を連想させる。
境内。
「菫(すみれ)」
スミレ科。
写真集トップ
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |