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福島県 2013年4月 NO.1


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2013.4.23撮影。


撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。


数日前から当日の天気の関係(降雪、積雨、等)、または、散水と思われる状況より、植物や地面などが濡れている写真、積雪・降雨している写真、があります。
ご了承ください。


~ 会津若松市 ~


~ 阿弥陀寺 ~


戊辰戦争の中の会津の地で戦った会津藩の戦死者の埋葬は直ぐに許されませんでした。
後に埋葬は許されましたが、阿弥陀寺と長命寺に限られたそうです。
藤田五郎さん(新撰組三番組組長 斉藤一さん)、妻の藤田時尾さん、息子さんの藤田勉さん、などが永久の眠りに就くお墓が在ります。
藤田五郎さんの希望により、阿弥陀寺に埋葬されたそうです。




「白木蓮(はくもくれん)」と思われる。
モクレン科。














「桜(さくら)」
「八重紅枝垂(やえべにしだれ)」と思われる。
バラ科。























~ 石部桜 ~


「いしべざくら」と読みます。
「江戸彼岸(えどひがん)」です。
バラ科です。
「一箕町」の「石部」に在ります。
樹齢600年と推定される県内でも有数の古木です。
樹高11m、枝張19m、胸高幹周囲0.5m~2.2m(合計8本)です。
幹は8本に分かれています。
会津五桜(薄墨桜[うすずみざくら]、虎の尾桜[とらのおざくら]、石部桜[いしべざくら]、杉の糸桜[すぎのいとざくら]、大鹿桜[おおしかざくら])の一つです。
会津五桜の中では一番早く開花するそうです。
葦名氏の重臣の石部治部大輔の屋敷跡と伝わっている事から石部桜と呼ばれているそうです。
市指定文化財第二三号(昭和四十三年[1968年]九月十八日指定)。
福島県緑の文化財登録第327号(昭和五十八年[1983年]二月十七日指定)。




「桜(さくら)」の「石部桜(いしべざくら)」が遠くに見える。
バラ科。
「江戸彼岸(えどひがん)」


















「桜」の「石部桜」




















~ 蚕養国神社 ~


「こがいくにじんじゃ」
「こがいさま」の名でも親しまれています。
会津若松市養蚕町に在る神社です。
延喜式神名帳にも列せられ、日本でも由緒のある神社です。
御神徳養蚕守護の神として知られています。
農・工・商・諸業繁栄、交通安全守神として信仰されています。
境内には会津五桜の一つ「峰張桜」が在ります。
「養蚕国神社の森」は、会津若松市の「自然景観指定緑地」に指定されました。(指定樹林:7,440平方m、指定年度:平成11年度、指定番号:第1号)




「双葉葵(ふたばあおい)」
ウマノスズクサ科。
多年草。
「二葉葵」とも書く。
別名は、(賀茂神社の葵祭に用いられることから)「賀茂葵(かもあおい)」、「葵草(あおいぐさ)」、「二葉草(ふたばぐさ)」、がある。
山地の木陰に生える。
根茎は地をはい、2枚の心臓形の葉をつける。
春、葉の間に、柄のある淡紅紫色の花を1個下向きに開く。
賀茂神社の神紋、徳川家の紋章としても知られる。
賀茂信仰に篤い徳川家が、家紋に使用した。
会津藩も徳川家に倣って家紋に使用しました。




「桜(さくら)」の「峰張桜(みねはりざくら)」
バラ科。
種類:エドヒガンザクラ。
推定樹齢:1000年以上。
御神木となっている。
形状(平成12年[2000年]6月の説明板より):樹高 14m、胸高幹周 575cm、根元幹周 810cm。
寛弘七年(1010年)、社殿を創設した時に、この桜が植えられたと伝わっている。
「福島県緑の文化財指定」
「会津若松市指定文化財」(指定日:平成9年[1997年]3月18日)















「桜」
「染井吉野(そめいよしの)」と思われる。












~ 大戸町(芦ノ牧温泉駅と周辺) ~


「芦ノ牧温泉駅」は、会津鉄道の駅の一つです。




「猫(ねこ)」
肉食目ネコ科ネコ属の哺乳類。
名前などの詳細について気になる方は、各自でご確認ください。












「鯉幟(こいのぼり)」















「桜(さくら)」
バラ科。



















「猫(ねこ)」
肉食目ネコ科ネコ属の哺乳類。
名前などの詳細について気になる方は、各自でご確認ください。












「芦ノ牧温泉駅ホーム」















芦ノ牧温泉駅ホームから撮影。















「桜」













~ 鶴ヶ城(若松城) ~


国史跡の名称は「若松城跡」。
室町時代~戦国時代までの名称は「黒川城」。
戦後時代に城主変更や改修などにより「若松城(わかまつじょう)」に変更。
江戸時代の名称は「会津若松城(あいづわかまつじょう)」。
「若松城」の呼び名頃から、通称名は「鶴ヶ城(つるがじょう)」。
以上の「城」の付く呼び名があります。
「鶴ヶ城」・「若松城」の呼び名でご存知の方が多いかと思います。
戊辰戦争の中の会津戦争の時に、会津藩士・家族が籠城して戦った城です。
明治時代に城は取り壊されました。
現在の城は復元ですが、城や敷地の一部は当時のまま残っているそうです。
石垣から天守閣までの高さは、36.5m。
天主台(石垣部分)の高さは、11m。
天守閣の高さは、25.15m。




「桜(さくら)」と「橋」
「桜」は、バラ科。
「橋」
鶴ヶ城では籠城の時のために幾つかの橋が壊せるようになっているそう。
この橋は壊せる橋の一つのよう。










「桜」















「本丸」
江戸城・大阪城・名古屋城などの高い城を見ていたので、最初に見た時は想像より小さめに感じた。
しかし、江戸城・大阪城・名古屋城の城主の身分や立場から城の大きさを考えると、大きい城になるのは当時では当然の事になる。
鶴ヶ城は当時の城の中では、大きい方になるそう。
鶴ヶ城主の身分や立場が重要だった事が分かる。
鶴ヶ城の規模や大きさの城だったからこそ、一ヶ月もの籠城に耐えられたと思う。






「桜」と「本丸」



















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