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福島県 2013年5月 NO.2


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2013.5.23撮影。


撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。


数日前から当日の天気の関係(降雨、等)、または、散水と思われる状況より、植物や地面などが濡れている写真、降雨している写真、があります。
ご了承ください。


~ 会津若松市 ~


~ 大戸町(芦ノ牧温泉駅と周辺) ~


「芦ノ牧温泉駅」は、会津鉄道の駅の一つです。




「猫(ねこ)」
肉食目ネコ科ネコ属の哺乳類。
名前などの詳細について気になる方は、各自でご確認ください。


















芦ノ牧温泉駅ホームから撮影。




















~ 御薬園 ~


会津藩二代藩主 保科正義が、園内に設け、各種の薬草栽培を試みたそうです。
三代藩主 松平 正容の時から次第に整備拡充されたそうです。
会津戦争中に西軍負傷者の保養所として利用されたそうです。
そのため、焼失などする事なく残ったといわれています。
薬草を撮影した関係で、効能を含めた説明などを書きました。
成分・効能・使用などの詳細は、各自でご確認をお願いします。




「亜麻(あま)」
アマ科。
中央アジア原産。
用部は、種子。
成熟した種子からは、「亜麻仁油(あまにゆ)」が採れる。
用途は、軟膏、サプリメント、食料、塗料、など。
茎の繊維は、リネン製品になるそう。
「亜麻色(あまいろ)」は、亜麻糸の色をいう。
金髪などを喩える「亜麻色」は、亜麻糸の色で喩える言葉。






「牡丹(ぼたん)」
ボタン科。
用部は、根皮。
生薬名は「牡丹皮(ぼたんぴ)」
効能は、消炎、排膿、鎮痛、など。
観賞用にも栽培。















「園内」




















「藤(ふじ)」
マメ科。
「藤棚(ふじだな)」を撮影。


















「一初(いちはつ)」
アヤメ科。
中国内陸部原産。
日本には、江戸時代に渡来した、江戸時代頃から栽培していた、といわれている。
「一八」、「逸初」、「鳶尾」などと書くそう。
アヤメ科の中で一番早く咲き出す意味から付いた名前だそう。
昔は藁葺き屋根に植えたそう。
観賞用だけでなく、薬としても利用。
生薬名は「鳶尾根(えんびこん)」だそう。
用部は、根茎。
用途・効能は、下痢、催吐、など。




「杜若(かきつばた)」
アヤメ科。
観賞用だけでなく、薬としても利用。
用部は、根茎、だそう。
用途・効能は、去痰、だそう。











「カミツレ」
キク科。
用部は、頭花。
生薬名と和名が「カミツレ」
用途は、発汗、駆風、消炎、入浴料。
種名をカタカナ明記にすると「カモミルラ」になるが、一般的には「カミツレ」になる。
漢字は、「加密列」、または、「加密爾列」(ひらがな読は共に「かみつれ」)と書くが、漢字で見る機会は少ないと思われる。
別な呼び方に、「カモミール」、「カモマイル」、「カモミーユ」、などがある。
「Matricaria chamomilla L.」は「ジャーマン・カモミール」と呼ぶ。
日本には江戸時代末期頃(19世紀初め頃)にオランダから渡来。




「樅(もみ)」
マツ科。
常緑高木。
日本特産種。
利用方法は、建築(板、など)、土木、包装、器具、など。
















「蓮華躑躅(れんげつつじ)」
ツツジ科。
有毒植物。
用途の説明は、「民間で殺虫 殺蛆」となっていた。
島根県では、準絶滅危惧種。
存在を脅かす原因は、園芸上での採取、遷移による樹林化等の生育地の環境変化、が考えられる。
神奈川県では、絶滅種に指定。
熊本県では、絶滅種に指定。
埼玉県では、絶滅危惧種に指定。
他にも幾つもの県で絶滅の危険が高まっている。




~ 喜多方市 ~


~ 喜多方駅 ~


磐越西線の駅の一つ。
今回は、喜多方駅前で撮影。




「菜の花(なのはな)」
アブラナ科。



















「サフィニア」の「ラベンダーレース」
ナス科。
「サフィニア」の一種類。
中輪。
「サフィニア」は「ペチュニア」の一品種。











「サフィニア」の「ブルー」
「サフィニア」の一種類。
大輪。











~ 蔵 ~


喜多方市は、蔵とラーメンが有名と話す方が多いです。
戊辰戦争の中の会津戦争が起きた時は、会津から離れていたため、被害が少なく、江戸時代に建てられた蔵が幾つも残ったそうです。
明治時代になると、藩などの規制が減り、裕福な家などが比較的自由に蔵を建てられるようになったそうです。
大正時代も裕福な家などが蔵を建てたそうです。
明治時代や大正時代は、蔵を建てるのは、富の象徴、目標、夢、だったそうです。
しかし、昭和時代の中頃になると、地域の開発・生活環境の変化などから、蔵を壊す・蔵の大改装が始まったそうです。
そのような状況の中で、喜多方市の或る写真家の方が、蔵の姿や蔵の在る風景をたくさん撮影したそうです。
後にその方の写真展が開かれて、多くの方が蔵の写る写真を見たそうです。
更に、テレビで喜多方市の蔵が紹介されたそうです。
喜多方市の蔵が注目されるようになりました。
そして、蔵を維持管理する人達や団体が増えたそうです。




建立:明治四十三年(1910年)
種類:店蔵。
用途:米蔵。
明治三十七年(1904年)に、喜多方駅が営業を開始し、それに伴って、明治四十三年に、或る家の本家の駅前拠点として建てられた煉瓦建物群の一つ。
昭和五十一年(1976年)より、カフェとして開店。
撮影日現在もカフェとして利用。









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