このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


福島県 2015年11月 NO.2


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2015.11.22撮影。


撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。


ご了承ください。


~ 会津若松市 ~


~ 東山温泉 ~


会津若松市東山町大字湯元に在る、温泉、及び、温泉地、です。
東山温泉の始まりは、1300年前(1990年頃を基にするらしい)と伝わっています。
会津藩松平氏の別荘、会津藩指定の保養所、会津藩指定の湯治場、となっていました。
新撰組副長の“土方歳三”さんが宇都宮の戦いで怪我をして湯治をした温泉としても知られています。
民謡に登場する“小原庄助”さんの縁の場所としても知られています。
”竹久夢二”さん、“与謝野鉄幹”さん、“与謝野晶子”さん、が訪れた温泉地としても知られています。




「ベゴニア」
シュウカイドウ科。












~ 大戸町(芦ノ牧温泉駅と周辺) ~


「芦ノ牧温泉駅」は、会津鉄道の駅の一つです。




芦ノ牧温泉駅構内の飾り。















芦ノ牧温泉駅から撮影。















色付く落ち葉。















「ポインセチア」の「ミラ レッド」
トウダイグサ科。
極早生。













「南瓜(かぼちゃ)」
ウリ科。












~ 御薬園 ~


会津藩二代藩主 保科正義が、園内に設け、各種の薬草栽培を試みたそうです。
三代藩主 松平 正容の時から次第に整備拡充されたそうです。
会津戦争中に西軍負傷者の保養所として利用されたそうです。
そのため、焼失などする事なく残ったといわれています。
薬草を撮影した関係で、効能を含めた説明などを書きました。
成分・効能・使用などの詳細は、各自でご確認をお願いします。




「美男葛(びなんかずら)」
モクレン科。
用部は、成熟果実。
用途は、滋養、強壮、鎮席薬、、五味子の代用、など。
昔は整髪に美男葛の樹液を使ったことから付いた名前だそう。
生薬名は「南五味子(なんごみし)」
別名は「実葛(さねかずら)」














園内に居る鳥を撮影。















「園内」




















「花」




















「柿(かき)」
カキノキ科。
用部は、果実、材、など。
用途は、果実は、食用、など。
用途は、材は、家具、など。











「花梨(かりん)」
バラ科。
用部は、果実。
用途は、鎮咳、利尿、収れん、強壮。












「木蔦(きづた)」
ウコギ科。
別名は「冬蔦(ふゆづた)」
用部は、葉茎。
用途は、発汗、民間で止血、など。
「蔦(つた)」は、ブドウ科、「冬蔦」は、ウコギ科、なので、蔦と直接の関係はない。









池の中のたくさんの落ち葉。















「落ち葉」















色付く落ち葉。















「豆柿(まめがき)」
カキノキ科。
別名は、「小柿(こがき)」、「信濃柿(しなのがき)」、「千成柿(せんなりがき)」、など。
果径は、1.5cm程。
若い果実を潰して「柿渋(かきしぶ)」を採る。
実生の苗を柿の台木にする。
実は、霜が降りる頃に渋さが抜けるそう。
生食、お餅に搗き込んで食べる、などの食用にするそう。







「刀豆(なたまめ)」
マメ科。
「鉈豆」とも書く。
熱帯アジア原産。
日本には江戸時代の初期に中国から渡来。
莢は、肉厚、長さは25cm程、幅5cm程。
莢の形が「鉈(なた)」に似ている様子から付いた名前。
食用、薬用、に使用。
効能は、歯槽膿漏、など。
有毒部分があるので、食用や薬用に使用する時は注意が必要。
詳細は各自でご確認ください。










「バラ」の「プリンセス チチブ」
バラ科。
作出国:イギリス。
作出年:1971年。
フロリバンダ系。
皇族の秩父宮勢津子妃殿下に捧げられたバラ。
四季咲き性。
微香。
平成21年(2009年)9月9日、秩父宮勢津子妃殿下の御誕生百年記念「重陽祭」に、旧秩父宮ご別邸の秩父宮記念公園より寄贈されたバラだそう。





色付く葉の小さな木。















たくさんの色付く木の葉。















「ビオラ」
スミレ科。



















~ 喜多方市 ~


~ 喜多方駅 ~


磐越西線の駅の一つ。




「花」
福島県立の高校(今回は校名を伏せます)の製作協力の説明があった。
花を使って、絵と文字が描かれている。












喜多方駅前を撮影。













~ 蔵 ~


喜多方市は、蔵とラーメンが有名と話す方が多いです。
戊辰戦争の中の会津戦争が起きた時は、会津から離れていたため、被害が少なく、江戸時代に建てられた蔵が幾つも残ったそうです。
明治時代になると、藩などの規制が減り、裕福な家などが比較的自由に蔵を建てられるようになったそうです。
大正時代も裕福な家などが蔵を建てたそうです。
明治時代や大正時代は、蔵を建てるのは、富の象徴、目標、夢、だったそうです。
しかし、昭和時代の中頃になると、地域の開発・生活環境の変化などから、蔵を壊す・蔵の大改装が始まったそうです。
そのような状況の中で、喜多方市の或る写真家の方が、蔵の姿や蔵の在る風景をたくさん撮影したそうです。
後にその方の写真展が開かれて、多くの方が蔵の写る写真を見たそうです。
更に、テレビで喜多方市の蔵が紹介されたそうです。
喜多方市の蔵が注目されるようになりました。
そして、蔵を維持管理する人達や団体が増えたそうです。




建立:明治四十三年(1910年)
種類:店蔵。
用途:米蔵。
明治三十七年(1904年)に、喜多方駅が営業を開始し、それに伴って、明治四十三年に、或る家の本家の駅前拠点として建てられた煉瓦建物群の一つ。
昭和五十一年(1976年)より、カフェとして開店。
撮影日現在もカフェとして利用。














           写真集トップ           


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください