このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


福島県 2016年2月 NO.2


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2016.2.21撮影。


撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。

数日前から当日の天気の関係(降雪、降雨)、または、散水と思われる状況より、降雨、降雪、積雪、植物や地面などが濡れている写真があります。


ご了承ください。


~ 会津若松市 ~


~ 大戸町(芦ノ牧温泉駅と周辺) ~


「芦ノ牧温泉駅」は、会津鉄道の駅の一つです。




「シクラメン」
サクラソウ科。
別名には、「篝火花(かがりびばな)」がある。


















「陶雛(とうびな)」
陶磁器製の雛人形。
芦ノ牧温泉駅構内の飾り。













芦ノ牧温泉駅構内の飾り。




















芦ノ牧温泉駅から撮影。
写真に写る列車を説明。
「花咲く会津ラッピング車両」
2015年4~6月に、JRグループ6社と福島県が協力して、観光キャンペーンの「福島デスティネーションキャンペーン」を行う。
2014年4月~6月に、プレ・デスティネーションキャンペーンを行う。
会津鉄道では、デスティネーションキャンペーンのテーマの「花」に合わせて、ラッピング車両のデザイン募集を行い、「花咲く会津ラッピング車両」として運行する。
2014年4月5日から運行が始まった。
会津のゆるキャラ達がたくさん描かれている。
後方はピンク色、前方は紫色になっている。(運行などの関係で逆になる事が有る)







芦ノ牧温泉駅から撮影。














~ 御薬園 ~


会津藩二代藩主 保科正義が、園内に設け、各種の薬草栽培を試みたそうです。
三代藩主 松平 正容の時から次第に整備拡充されたそうです。
会津戦争中に西軍負傷者の保養所として利用されたそうです。
そのため、焼失などする事なく残ったといわれています。
薬草を撮影した関係で、効能を含めた説明などを書きました。
成分・効能・使用などの詳細は、各自でご確認をお願いします。




園内に居る鳥を撮影。















「園内」
「楽寿亭(らくじゅてい)」を撮影。
「楽寿亭」について説明。
藩主や藩の重役たちが、納涼・茶席・密議などに用いた。
「楽寿亭」の名は、三代藩主の保科正容(松平正容)(ほしなまさたか/まつだいらまさたか)によって命名された。










「園内」















「花」
屋内で撮影。














「ハイゴヨウマツ」
説明板に「推定樹齢500年」の記載あり。














「一位(いちい)」
イチイ科。
別名は「蘭(あららぎ)」
神事、工芸品、天上板、鉛筆材、などに利用。
果実、を、食用、果実酒、に利用。
有毒部分が有る。
注意が必要。
詳細は各自でご確認をお願いします。








「沈丁花(じんちょうげ)」
ジンチョウゲ科。
中国原産。
常緑低木。
花期は、2月~4月初め頃。
枝の繊維は紙の原料になるそう。
良い香りが特徴。
遠くからでも分かる香りのためと思われるが、「茶花(ちゃばな)」に使用しないそう。
中国名は、「瑞香(ずいこう)」。
別名には、「七里香(ななりこう)」、「千里香(せんりこう)」、がある。
沈丁花が日本に渡来したのは、室町時代の説がある。
沈丁花は室町時代には日本で既に栽培などをしていた説もある。
日本に古くからある花らにる。
屋内で撮影。




「木蔦(きづた)」
ウコギ科。
別名は「冬蔦(ふゆづた)」
用部は、葉茎。
用途は、発汗、民間で止血、など。
「蔦(つた)」は、ブドウ科、「冬蔦」は、ウコギ科、なので、蔦と直接の関係はない。









「隈笹(くまざさ)」
イネ科。
「熊笹」とも書く。
冬に縁が白く枯れて美しく隈どる様子からついた名前だそう。
葉を「隈笹葉」といい、そのエキスを健胃剤として利用、また、民間で青汁原料にする、そう。
笹団子、笹寿司、ちまき、などにも利用。








いろいろな実。















「多肉植物」
屋内で撮影。














「栃(とち)」
トチノキ科。
落葉高木。
「橡」とも書く。
別名は、「栃の木(とちのき)」
用途は、食用、など。










「椿(つばき)」の「侘助(わびすけ)」の「胡蝶侘助(こちょうわびすけ)」
ツバキ科。
花色は、紅色地に白絞り。
花形は、一重 ラッパ咲き。
花の大きさは、極小輪。








~ 神明神社 ~


「しんめいじんじゃ」
繁華街の中に在る社。
「神明通り」から名を取ったものになる。
応安二年(1369年)、神道流槍刀術の祖飯篠山城守家直が勧請。
六代後の孫七郎太夫盛枝が御神体を奉じ会津に来たところ、葦名氏の深く信仰するところとなり、門田、古川に祀らせたという。
慶應二年(1866年)、南町へ遷宮。
明治元年(1868年)、戊辰戦争によって全てを焼失。
明治二年(1869年)、仮殿を建て、現在地に遷座。
明治四年(1871年)、社号を「伊勢宮」から現在の「神明神社」に改めた。




「手水」















「狛犬」















参道と境内。




















「石灯籠」



















~ 喜多方市 ~


~ 喜多方駅 ~


磐越西線の駅の一つ。




「シクラメン」と「赤べこ」と「起き上がり小法師」
屋内で撮影。



















「木々」と「冬囲い」
「冬囲い」について説明。
樹木を積雪や冷気から保護する、樹木の枝が積雪で曲がる折れるなどにならないように、藁(わら)、筵(むしろ)、縄、などを使って囲む事。















~ 蔵 ~


喜多方市は、蔵とラーメンが有名と話す方が多いです。
戊辰戦争の中の会津戦争が起きた時は、会津から離れていたため、被害が少なく、江戸時代に建てられた蔵が幾つも残ったそうです。
明治時代になると、藩などの規制が減り、裕福な家などが比較的自由に蔵を建てられるようになったそうです。
大正時代も裕福な家などが蔵を建てたそうです。
明治時代や大正時代は、蔵を建てるのは、富の象徴、目標、夢、だったそうです。
しかし、昭和時代の中頃になると、地域の開発・生活環境の変化などから、蔵を壊す・蔵の大改装が始まったそうです。
そのような状況の中で、喜多方市の或る写真家の方が、蔵の姿や蔵の在る風景をたくさん撮影したそうです。
後にその方の写真展が開かれて、多くの方が蔵の写る写真を見たそうです。
更に、テレビで喜多方市の蔵が紹介されたそうです。
喜多方市の蔵が注目されるようになりました。
そして、蔵を維持管理する人達や団体が増えたそうです。




建立:明治四十三年(1910年)
種類:店蔵。
用途:米蔵。
明治三十七年(1904年)に、喜多方駅が営業を開始し、それに伴って、明治四十三年に、或る家の本家の駅前拠点として建てられた煉瓦建物群の一つ。
昭和五十一年(1976年)より、カフェとして開店。
撮影日現在もカフェとして利用。














           写真集トップ             


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください