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福島県 2016年3月 NO.1
後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2016.3.5撮影。
撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。
数日前から当日の天気の関係(降雪)、または、散水と思われる状況より、積雪、植物や地面などが濡れている写真があります。
ご了承ください。
~ 会津若松市 ~
~ 阿弥陀寺 ~
戊辰戦争の中の会津の地で戦った会津藩の戦死者の埋葬は直ぐに許されませんでした。
後に埋葬は許されましたが、阿弥陀寺と長命寺に限られたそうです。
藤田五郎さん(新撰組三番組組長 斉藤一さん)、妻の藤田時尾さん、息子さんの藤田勉さん、などが永久の眠りに就くお墓が在ります。
藤田五郎さんの希望により、阿弥陀寺に埋葬されたそうです。
「梅(うめ)」
バラ科。
~ 大戸町(芦ノ牧温泉駅と周辺) ~
「芦ノ牧温泉駅」は、会津鉄道の駅の一つです。
「シクラメン」
サクラソウ科。
別名には、「篝火花(かがりびばな)」がある。
「起き上がり小法師」
芦ノ牧温泉駅の構内で撮影。
芦ノ牧温泉駅の構内の飾り。
芦ノ牧温泉駅から撮影。
写真に写る車両を説明。
「ラッセル車」(除雪車の一種類)
芦ノ牧温泉駅から撮影。
芦ノ牧温泉駅から撮影。
写真に写る列車を説明。
「お座トロ展望列車」
先頭車両は、「展望車両」
今回の撮影時は、回送列車のため乗れません。
芦ノ牧温泉駅から撮影。
「お座トロ展望列車」
中央車両は、「トロッコ車両」
後方車両は、「お座敷車両」
~ 大戸町 ~
会津若松市に在ります。
~ 鶴ヶ城 ~
国史跡の名称は「若松城跡」
室町時代~戦国時代までの名称は「黒川城」
戦後時代に城主変更や改修などにより「若松城(わかまつじょう)」に変更。
江戸時代の名称は「会津若松城(あいづわかまつじょう)」。
「若松城」の呼び名頃から、通称名は「鶴ヶ城(つるがじょう)」。
以上の「城」の付く呼び名があります。
「鶴ヶ城」・「若松城」の呼び名でご存知の方が多いかと思います。
戊辰戦争の中の会津戦争の時に、会津藩士・家族が籠城して戦った城です。
明治時代に城は取り壊されました。
現在の城は復元ですが、城や敷地の一部は当時のまま残っているそうです。
石垣から天守閣までの高さは、36.5m。
天主台(石垣部分)の高さは、11m。
天守閣の高さは、25.15m。
「堀」と「橋」
鶴ヶ城では籠城の時のために幾つかの橋が壊せるようになっているそう。
この橋は壊せる橋の一つのよう。
「石垣(いしがき)」
「天守閣」
「本丸」
江戸城・大阪城・名古屋城などの高い城を見ていたので、最初に見た時は想像より小さめに感じた。
しかし、江戸城・大阪城・名古屋城の城主の身分や立場から城の大きさを考えると、大きい城になるのは当時では当然の事になる。
鶴ヶ城は当時の城の中では、大きい方になるそう。
鶴ヶ城主の身分や立場が重要だった事が分かる。
鶴ヶ城の規模や大きさの城だったからこそ、一ヶ月もの籠城に耐えられたと思う。
「狛狐」
「鶴ヶ城」に在る「稲荷神社」で撮影。
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