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福島県 2016年6月 NO.2
後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2016.6.12撮影。
撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。
ご了承ください。
~ 会津鉄道 お座トロ展望列車 ~
「お座トロ展望列車」は、会津鉄道の「お座敷車両・展望車両」・「トロッコ車両」の二両編成で運行するイベント列車です。
会津若松駅~会津田島駅の間を運行します。
運行日と運行時間は、月によって違います。
乗車料金、運行日時、停車駅、などの詳細は、各自でご確認をお願いします。
「お座トロ展望列車」内から撮影。
~ 会津若松市 ~
~ 大戸町(芦ノ牧温泉駅と周辺) ~
「芦ノ牧温泉駅」は、会津鉄道の駅の一つです。
「アンスリウム」
サトイモ科。
芦ノ牧温泉駅から撮影。
~ 御薬園 ~
会津藩二代藩主 保科正義が、園内に設け、各種の薬草栽培を試みたそうです。
三代藩主 松平 正容の時から次第に整備拡充されたそうです。
会津戦争中に西軍負傷者の保養所として利用されたそうです。
そのため、焼失などする事なく残ったといわれています。
薬草を撮影した関係で、効能を含めた説明などを書きました。
成分・効能・使用などの詳細は、各自でご確認をお願いします。
「紫陽花(あじさい)」の「小甘茶(こあまちゃ)」
ユキノシタ科。
別名は「甘茶(あまちゃ)」
用部は、葉。
効用は、甘味、矯味。
「甘茶」は、4月8日の「潅仏会(かんぶつえ)・花祭り(はなまつり)(ともいう)」では、お釈迦様に「甘茶」をかける。
「甘茶」は、「甘茶」の葉を乾燥して煮出した甘い飲み物。
「山紫陽花の一変種」になるらしい。
園内に居る鳥を撮影。
「ブルーベリー」
ツツジ科。
北アメリカ原産。
園芸種。
用途は、食用(生食、加工)、など。
「斑入り毒痛み(ふいりどくだみ)」
ドクダミ科。
「どくだみ」の部分は、「毒痛み」、「毒痛」、「毒溜」、「毒矯」と幾つかの書き方がある。
花は中央部分。
花びらのように見えるのは、総苞片。
漢方などでの別名は、「十薬(じゅうやく)」、「重薬(じゅうやく)」
陽に強く当たる、陽に長い時間を掛けて当たると、斑の入る部分が赤くなっていく。
用部は、地上部生葉。
用途は、利尿、解毒、緩下、など。
性状は、栽培、多年草。
「毒痛み(どくだみ)」
ドクダミ科。
「毒痛み」、「毒痛」、「毒溜」、「毒矯」と幾つかの書き方がある。
花は中央部分。
花びらのように見えるのは、総苞片。
漢方などでの別名は、「十薬(じゅうやく)」、「重薬(じゅうやく)」
用部は、地上部分で、葉、茎、花穂、など。
用途は、整腸、利尿、消炎、など。
葉などを煎じて飲む、薬用風呂、などに利用。
「八重毒痛み(やえどくだみ)」
ドクダミ科。
「どくだみ」の字は、「毒痛み」、「毒痛」、「毒溜」、「毒矯」と幾つかの書き方がある。
花は中央部分。
花びらのように見えるのは、総苞片。
総苞片が八重の毒痛み。
効能・漢方名は、一重の毒痛みと同じよう。
「園内」
「花菖蒲(はなしょうぶ)」
アヤメ科。
いろいろな実。
「無患子(むくろじ)」
ムクロジ科。
果皮を水に濡らしてこすると泡立つ。
石鹸の代わりとして利用していた事がある。
黒い硬い種が実の中に入っている。
黒い種は、羽子板の羽、などに使う。
「バラ」の「プリンセス チチブ」
バラ科。
イギリスで1971年作出。
フロリバンダ系。
皇族の秩父宮勢津子妃殿下に捧げられたバラ。
四季咲き性。
微香。
平成21年(2009年)9月9日、秩父宮勢津子妃殿下の御誕生百年記念「重陽祭」に、旧秩父宮ご別邸の秩父宮記念公園より寄贈されたバラだそう。
~ 喜多方市 ~
~ 喜多方駅 ~
磐越西線の駅の一つ。
「花」
福島県立の高校(今回は校名を伏せます)の製作協力の説明があった。
花を使って、絵と文字が描かれている。
「躑躅(つつじ)」
ツツジ科。
「サフィニア」の「パープルフレア」
ナス科。
「サフィニア」の一種類。
大輪系。
喜多方駅ホームから撮影。
写真に写る列車を説明。
「磐越西線(ばんえつさいせん)」
磐越西線の中の郡山駅~会津若松駅(または、喜多方駅)間を主に走行する「あかべぇ塗装」の車両になる。
~ 蔵 ~
喜多方市は、蔵とラーメンが有名と話す方が多いです。
戊辰戦争の中の会津戦争が起きた時は、会津から離れていたため、被害が少なく、江戸時代に建てられた蔵が幾つも残ったそうです。
明治時代になると、藩などの規制が減り、裕福な家などが比較的自由に蔵を建てられるようになったそうです。
大正時代も裕福な家などが蔵を建てたそうです。
明治時代や大正時代は、蔵を建てるのは、富の象徴、目標、夢、だったそうです。
しかし、昭和時代の中頃になると、地域の開発・生活環境の変化などから、蔵を壊す・蔵の大改装が始まったそうです。
そのような状況の中で、喜多方市の或る写真家の方が、蔵の姿や蔵の在る風景をたくさん撮影したそうです。
後にその方の写真展が開かれて、多くの方が蔵の写る写真を見たそうです。
更に、テレビで喜多方市の蔵が紹介されたそうです。
喜多方市の蔵が注目されるようになりました。
そして、蔵を維持管理する人達や団体が増えたそうです。
建立:明治四十三年(1910年)
種類:店蔵。
用途:米蔵。
明治三十七年(1904年)に、喜多方駅が営業を開始し、それに伴って、明治四十三年に、或る家の本家の駅前拠点として建てられた煉瓦建物群の一つ。
昭和五十一年(1976年)より、カフェとして開店。
撮影日現在もカフェとして利用。
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