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福島県 2016年7月 NO.2
後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2016.7.3撮影。
撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。
前日から当日の天気の関係(降雨)、または、散水と思われる状況より、降雨、植物や地面などが濡れている写真があります。
ご了承ください。
ご了承ください。
~ 会津若松市 ~
~ 大戸町(芦ノ牧温泉駅と周辺) ~
「芦ノ牧温泉駅」は、会津鉄道の駅の一つです。
「紫陽花(あじさい)」
ユキノシタ科。
「アンスリウム」の「ダコタ」
サトイモ科。
「蛙(かえる)」
蛙には、「殿様蛙(とのさまがえる)」(アカガエル科のカエル)、「雨蛙(あまがえる)」(アマガエル科の両生類)、「土蛙(つちがえる)」(アカガエル科のカエル)、などがいる。
写真の蛙は「雨蛙」と思われる。
「雨蛙」を説明。
広義では、無尾目アマガエル科の両性類の総称、狭義では、「日本雨蛙(にほんあまがえる)」の通称。
「日本雨蛙」を説明。
アマガエル科の両生類。
体長は、3~4cm。
体色は、黄緑・灰褐色など周囲に応じて変化する。
指には吸盤が発達。
草原・林に棲む。
湿度に敏感で、雄は夕立前によく鳴くため、雨の予報になると言われている。
夏の季語。
英語名は「tree frog」
鹿児島県では、レッドデータで「その他」(分布特性上重要)に指定。
芦ノ牧温泉駅から撮影。
写真に写る列車を説明。
「ふるさと列車」(普通列車)
芦ノ牧温泉駅から撮影。
「マリーゴールド」
キク科。
~ 御薬園 ~
会津藩二代藩主 保科正義が、園内に設け、各種の薬草栽培を試みたそうです。
三代藩主 松平 正容の時から次第に整備拡充されたそうです。
会津戦争中に西軍負傷者の保養所として利用されたそうです。
そのため、焼失などする事なく残ったといわれています。
薬草を撮影した関係で、効能を含めた説明などを書きました。
成分・効能・使用などの詳細は、各自でご確認をお願いします。
「紫陽花(あじさい)」
ユキノシタ科。
別名には、「八仙花(はっせんか)」、「紫陽花(しようか)」、「手鞠花(てまりばな)」、などがある。
説明には、「花を紫陽花(シヨウカ)と称し、民間でおこり(瘧)に煎用」と書いてある。
「紅花(べにばな)」
キク科。
原産地は、エジプトといわれている。
別名は、「末摘花(すえつむはな)」、「呉の藍(くれのあい)」など。
英語名は「safflower」
用部は、管状花。
紅花の花を乾燥させたものを「紅花(こうか)」と呼ぶ。
用途は通経、色素原料、など。
漢方名の「通導散(つうどうさん)」に利用。
漢方や薬として利用する時は、妊婦の方は注意が必要という内容の説明を頻繁に見る。
利用時は、医者や専門家に相談するなどの注意が必要と思われる。
種子は、食用油の原料、などに利用。
園内に居る鳥を撮影。
「園内」
「半夏生(はんげしょう)」
ドクダミ科。
「半化粧」とも書く。
別名は「片白草(かたしろぐさ)」
「半夏生」の頃に葉が白くなり、時期が過ぎると再び緑色に戻る。
不思議な植物。
用部は、全草。
用途は、利尿、など。
「蓮(はす)」
スイレン科。
「会津藩籍田跡」に植わっている。
緑色の木の葉。
「凌霄花(のうぜんかずら)」
ノウゼンカズラ科。
用部は、花。
有毒植物の説明がある。
効能を含めた詳細は、各自でご確認をお願いします。
「鳥足升麻(とりあししょうま)」
ユキノシタ科。
生薬名は、「赤升麻(あかしょうま)」、「紅升麻(べにしょうま)」
用部は、根茎。
用途は、消炎、解熱、浴用料。
用途に「升麻に誤用」の記載があった。
詳細は各自でご確認をお願いします。
「当帰(とうき)」
セリ科。
別名は、「大深当帰(おおぶかとうき)」
生薬名は、「当帰(とうき)」
用部は、根。
効能は、鎮静、鎮痛、婦人病、など。
~ 喜多方市 ~
~ 喜多方駅 ~
磐越西線の駅の一つ。
「花」
福島県立の高校(今回は校名を伏せます)の製作協力の説明があった。
花を使って、絵と文字が描かれている。
「ベゴニア」
シュウカイドウ科。
~ 蔵 ~
喜多方市は、蔵とラーメンが有名と話す方が多いです。
戊辰戦争の中の会津戦争が起きた時は、会津から離れていたため、被害が少なく、江戸時代に建てられた蔵が幾つも残ったそうです。
明治時代になると、藩などの規制が減り、裕福な家などが比較的自由に蔵を建てられるようになったそうです。
大正時代も裕福な家などが蔵を建てたそうです。
明治時代や大正時代は、蔵を建てるのは、富の象徴、目標、夢、だったそうです。
しかし、昭和時代の中頃になると、地域の開発・生活環境の変化などから、蔵を壊す・蔵の大改装が始まったそうです。
そのような状況の中で、喜多方市の或る写真家の方が、蔵の姿や蔵の在る風景をたくさん撮影したそうです。
後にその方の写真展が開かれて、多くの方が蔵の写る写真を見たそうです。
更に、テレビで喜多方市の蔵が紹介されたそうです。
喜多方市の蔵が注目されるようになりました。
そして、蔵を維持管理する人達や団体が増えたそうです。
建立:明治四十三年(1910年)
種類:店蔵。
用途:米蔵。
明治三十七年(1904年)に、喜多方駅が営業を開始し、それに伴って、明治四十三年に、或る家の本家の駅前拠点として建てられた煉瓦建物群の一つ。
昭和五十一年(1976年)より、カフェとして開店。
撮影日現在もカフェとして利用。
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