このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


福島県 2017年4月 NO.1


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2017.4.22撮影。


撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。


前日から当日の天気の関係(降雨)、または、散水と思われる状況より、降雨、植物や地面などが濡れている写真があります。
ご了承ください。


ご了承ください。


~ 会津若松市 ~


~ 阿弥陀寺 ~


戊辰戦争の中の会津の地で戦った会津藩の戦死者の埋葬は直ぐに許されませんでした。
後に埋葬は許されましたが、阿弥陀寺と長命寺に限られたそうです。
藤田五郎さん(新撰組三番組組長 斉藤一さん)、妻の藤田時尾さん、息子さんの藤田勉さん、などが永久の眠りに就くお墓が在ります。
藤田五郎さんの希望により、阿弥陀寺に埋葬されたそうです。




「花」
モクレン科の花。














「桜(さくら)」

























~ 大戸町(芦ノ牧温泉駅と周辺) ~


「芦ノ牧温泉駅」は、会津鉄道の駅の一つです。




芦ノ牧温泉駅の構内の飾り。















芦ノ牧温泉駅から撮影。















「桜(さくら)」
バラ科。






























~ 宮川 ~


~ 宮川の千本桜 ~


「宮川」
「みやかわ」
一級河川。
一級水系、阿賀野川水系。
流域は、福島県。
延長は、37Km。
水源は、福島県。
大沼郡会津美里町、会津若松市、河沼郡会津坂下町を流れます。
「宮川の千本桜」
「みやかわのせんぼんざくら」
宮川河川敷に、染井吉野(そめいよしの)が植えられています。
かつて、宮川堤防沿いには、洪水を防ぐために、1,000本の桜が植えられました。
現在は、約500本の桜が堤防沿いに残っています。




「桜(さくら)」
バラ科。























































~ 大沼郡 ~


~ 伊佐須美神社 ~


「いさすみじんじゃ」
「会津美里町」に在ります。
崇神天皇十年、四道将軍大毘古命と建沼河別命の親子が、北陸道各地を平定した後、この地で出会ったことから「会津」と名付けられました。
この時、国家鎮護のため、国土開拓の神様であるイザナギノミコト、イザナミノミコトの二神を新潟県境の御神楽岳の山頂に奉斎しました。
その後、博士山、明神ヶ岳、と移転を繰り返し、欽明天皇十三年(552年)に、高田南原に遷座し、欽明天皇二一年(560年)に、現在地の東原に遷座したそうです。




「灯籠(とうろう)」と「桜(さくら)」
「桜(さくら)」は、バラ科。














「参道」




















「手水」















「狛犬」















「参道」
神門の中央からは、桜の作様子が見られる。














「桜」






























「手水」















「椿(つばき)」
ツバキ科。














「あやめ苑」




















あやめ苑の桜。

























「手水」















「椿」




















~ 清龍寺 文殊院 ~


「せいりゅうじ もんじゅいん」
「文殊院」は、「清龍寺」内に在る「文殊菩薩」を祀ったお堂です。
文殊院には、天海大僧正の両親が、文殊菩薩に祈願し、子を授かったという伝承が残されています。
清龍寺の文殊菩薩は、「筆の文殊」といわれています。
文殊院の文殊菩薩は、大明院法親王から、東叡山 寛永寺に遷座することを要請されます。
遷座の後、元の文殊菩薩の代わりに、法親王が開眼した文殊菩薩を賜ります。
天明三年(1783年)の大火で焼けたため、再び、定朝作と伝わる文殊菩薩、金襴の旗、若干の金、を賜りました。
後に、明治時代の大火で文殊院は焼けてしまいましたが、再建された文殊院には、寛永寺から贈られた木造の台で漆塗りの常夜灯一対が残されています。




「知恵桜」
「紅彼岸桜(べにひがんざくら)」
バラ科。





















           写真集トップ             


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください