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福島県 2017年9月 NO.1
後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2017.9.2撮影。
撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。
前日から当日の天気の関係(降雨)、または、散水と思われる状況より、降雨、植物や地面などが濡れている写真があります。
ご了承ください。
ご了承ください。
~ 会津若松市 ~
~ 会津村 ~
総敷地面積が約6万坪の日本庭園です。
磐梯の嶺を源とした水が流れ落ちています。
身の丈が57mの「会津慈母大観音像」が立っています。
横浜に在る法國寺の会津別院です。
少し色付く木。
「金糸梅(きんしばい)」と思われる。
オトギリソウ科。
中国原産。
江戸時代に日本に渡来したそう。
「黄花コスモス(きばなこすもす)」
キク科。
メキシコ原産。
春撒き。
一年草。
開花期は、7~10月。
草丈は、30~100cm。
会津村から撮影。
「木槿(むくげ)」
アオイ科。
落葉低木。
「槿」とも書く。
「木槿」は「もくげ」とも読む。
名前の由来は、中国名の「木槿(もくきん)」からきている。
別名は、「木蓮(きはちす)」、「蓮(はちす)」、など。
中国、インド、原産。
花期は、6月下旬~10月中旬。
紅紫色で、径5~8cmの5弁花が、朝開き、夕方にしぼみ、次々に咲き続ける。
庭木などに利用する。
白色の花、八重咲き、などの品種もある。
品種は江戸時代に分化した。
江戸時代の書物に、八重咲き、色の濃淡、などの記録があるそう。
「手水」
「会津慈母大観音像」
身の丈は、57m。
観音像のお姿が決定した年が昭和57年、創立者が57歳ということで、高さが57mと定められた。
「萩(はぎ)」
マメ科。
「秋の七草」の一つ。
日本庭園内。
「蓮(はす)」
スイレン科。
日本庭園内。
「睡蓮(すいれん)」
スイレン科。
「会津曲屋(あいづまがりや)」
建物は奥会津から移築復元された。
「秋明菊(しゅうめいぎく)」
キンポウゲ科。
中国原産。
日本には、古くに渡来。
秋に菊に似た花が咲くところから着いた名前。
別名は、「秋牡丹(あきぼたん)」、「貴船菊(きぶねぎく)」
「貴船菊」は、京都の北の貴船地方に多い事から付いた別名だそう。
日本庭園内。
会津村の中から「会津慈母大観音像」が見えるように撮影。
「秋明菊」
~ 会津若松市 ~
~ 阿弥陀寺 ~
戊辰戦争の中の会津の地で戦った会津藩の戦死者の埋葬は直ぐに許されませんでした。
後に埋葬は許されましたが、阿弥陀寺と長命寺に限られたそうです。
藤田五郎さん(新撰組三番組組長 斉藤一さん)、妻の藤田時尾さん、息子さんの藤田勉さん、などが永久の眠りに就くお墓が在ります。
藤田五郎さんの希望により、阿弥陀寺に埋葬されたそうです。
「小紫式部(こむらさきしきぶ)」
クマツヅラ科。
落葉低木。
別名は、「小紫(こむらさき)」、「小式部(こしきぶ)」
開花時期は、6月~8月中旬。
実の生る時期は、9~11月。
花は、淡紫色の小花が、葉の付け根に、根元に近い場所から咲き始め、先端へと咲いていく。
実は、小さい実が花を追うように生る。
実の色は、緑色から紫色に変わっていく。
葉は、緑色で、上半分に鋸歯が見られ、対生に付く。
高さは、1~1.5m。
初夏、紫色の小さな実をつける。
名前の由来は、主に二つになるよう。
一つの説は、紫色の実から、源氏物語の作者の「紫式部(むらさきしきぶ)」にちなんで名付けられた。
一つの説は、小さい「紫式部(むらさきしきぶ)」(クマツヅラ科 ムラサキシキブ属)というところから名付けられた。
色付くたくさんの木の葉。
「百日紅(さるすべり)」
ミソハギ科。
落葉低木。
中国南部原産。
「サルスベリ」の名前は、樹皮が滑らかなため猿も滑り落ちる、との意味で名付けられた。
赤い花が長く咲き続けるので「百日紅(ひゃくじつこう)」ともいわれる。
漢字では、「猿滑」、とも書く。
江戸時代に渡来。
日本には、元禄七年(1694年)の出版の書物に「百人紅」の名前が書かれている。
宝永五年(1708年)の出版の書物にも記載がある。
~ 大戸町(芦ノ牧温泉駅と周辺) ~
「芦ノ牧温泉駅」は、会津鉄道の駅の一つです。
「秋桜(こすもす)」
キク科。
一年草。
メキシコ原産。
日本に渡来した最初の頃は、「秋桜(あきざくら)」と呼ばれていたそう。
コスモスが日本に渡来した時期は、幾つかの説がある。
一つは、明治中期頃。
画家か学校の先生が日本に初めて紹介したといわれている。
一つは、江戸時代末期(1861年~1864年頃)
島津藩に届いたのが初めてと言われている。
オランダ人かポルトガル人が届けたといわれている。
日本国内で広く見られるようになったのは、明治時代末頃だそう。
花の咲く様子などが日本人に親しまれて、広まっていったよう。
「コスモス」の言葉は、ギリシャ語では「cosmos」で、ラテン語では「kosmos」と書く。
ギリシャ語では「宇宙。世界。」の意味があるそう。
そこから、コスモスや宇宙を「cosmos」と書くようになったそう。
在来種のコスモスは、白色・ピンク色・紅色で、一重咲きだったそう。
現在は、品種改良の関係で、早咲き・遅咲き、一重咲き・八重咲き、ピンク色・白色・赤色・ぼかしの入った色、などたくさんある。
「花」
芦ノ牧温泉駅から撮影。
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