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関西 2011年3月 NO.1
後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2011.3.29撮影。
撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。
「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。
〜 京都府 〜
〜 京都府立植物園 〜
「京都市左京区下鴨半木町」に在る。
園内の敷地面積:約24ha。
大正六年(1917年)に着工。
大正十三年(1924年)1月1日に「大典記念京都植物園」として開園。
第二次大戦中は園内に菜園が設けられ、食糧増産の場になった。
第二次大戦後は、昭和21年(1946年)から12年間、連合軍に接収され閉園なった。
昭和三十六年(1961年)4月、再び公開した。
入園料必要。(撮影日の確認)
「アンスリウム」の「ミッキーマウス」
サトイモ科。
園芸品種。
温室内の撮影。
「アンスリウム」の「トロピックミタ」
園芸品種。
温室内で撮影。
植物園内に流れる小川に居た鳥。
「ヒビスクス リリフロルス」
アオイ科。
原産地は、マスカリン諸島([マスカレン諸島]とも呼ぶ)。
マスカリン諸島に自生するハイビスカスの仲間の1種。
温室内で撮影。
「姫金魚草(ひめきんぎょそう)」
ゴマノハグサ科。
別名は「リナリア」
「金鯱(きんしゃち)」
サボテン科。
原産地は、メキシコ中部のサン・ルイス・ポトシ州〜イダルゴ州。
植物体は、ほぼ球形だが、古くなると、径90cm・高さ1.3mの円柱状になる。
写真の「金鯱」は、1930年(昭和5年)11月にメキシコのバルメー博士が宮内庁に献上された一つで、本種が日本に最初に導入された固体になり、1990年(平成2年)に京都大学農学部附属農場古曽部温室より寄贈されたものになる。
温室内の撮影。
「球根ベゴニア(きゅうこんべごにあ)」
シュウカイドウ科。
ペルー、ボリビアのアンデス山系に自生する球根性ベゴニア7種を交配して作出された品種群を総称して、「球根ベゴニア」と呼ぶ。
色彩豊富な花が咲く。
初夏から秋にかけて花が咲く。
日本は気候などの関係で、温室で栽培する事が多いらしい。
現在の園芸品種は、複雑な交雑を繰り返したもので、「地上で最も美しい花」とも言われる。
草姿の種類は、茎が太く直立する「スタンドタイプ」、茎が細く枝が垂れる「ハンギングタイプ」、がある。
花の色は、赤色、桃色、黄色、白色、オレンジ色、覆輪、など様々ある。
花形は、一重、八重、半八重、カメリアフォーム(椿に似た咲き方・八重タイプ)、ローズフォーム(バラに似た咲き方・八重タイプ)、ラッフル(花弁が波打つタイプ)、ぼかし、など様々ある。
写真の球根ベゴニアは、草姿は「スタンドタイプ」、花色は「黄色」、花形は「ラッフル」、になると思う。
温室内で撮影。
「ムスカリ」
ユリ科。
原産地は、アジア北東部、小アジア。
「桜(さくら)」の「近畿豆桜(きんきまめざくら)」
バラ科。
「豆桜(まめざくら)」の変種。
近畿地方などによく生えることから付いた名前。
花は、下向きに1〜2個ほど咲く。
「桜」の「唐実桜(からみざくら)」
「中国の実のなる桜」から付いた名前。
中国では「桜桃」、日本では「桃桜」、と呼ぶ事もある。
果実は、食用、として利用している。
京都府立植物園の唐実桜は、結実した事はないそう。
花からは甘い芳香がする。
唐実桜は、樹幹の分岐部分に気根が出ることが多いのが特徴。
日本には、江戸末期に渡来。
「猿麻がせ擬(さるおがせもどき)」
パイナップル科。
原産地、米国南東部〜アルゼンチン。
常緑多年草。
根がなく、原産地では、他の木や電線にぶらさがって生育している様子を見る事ができる。
必要な水分と栄養分は、葉の吸収鱗毛から取り込む。
「猿麻がせ[又は、猿尾枷](さるおがせ)」に似ているところから付いた名前。
温室内で撮影。
「蒲公英(たんぽぽ)」の「白花蒲公英(しろばなたんぽぽ)」
キク科。
関東より西側に咲く。
四国や九州にも咲いている。
本来だと関東では咲かないそう。
温暖化の影響の説があるが、関東でも見かける事がある。
日本の黄色い「蒲公英」にも、「関東蒲公英」をはじめとして何種類かに分かれる。
白色の「蒲公英」にも、何種類かあるそう。
細かい種類までの特定は出来なかった。
「蒲公英」の「日本蒲公英(にほんたんぽぽ)」だと思う。
「日本蒲公英」は、「関東蒲公英(かんとうたんぽぽ)」、「関西蒲公英(かんさいたんぽぽ)」、「東海蒲公英(かんさいたんぽぽ)」、などの総称になるそう。
「椿(つばき)」の「絵姿(えすがた)」
ツバキ科。
ユキツバキ系らしい。
「椿」の「錦魚葉椿(きんぎょばつばき)」
「金魚葉椿」とも書く。
産地は、東京、埼玉。
花期は、3月〜4月。
一種の帯化現象により、先端が3〜5つほどに分かれて、椿の葉が魚の尾のように見える。
椿の葉が魚の尾のように見える椿の葉を「錦魚葉(きんぎょば)」と呼ぶところから付いた名前。
「椿」の「京唐子(きょうからこ)」
花期は、2月〜4月。
江戸椿。
花芯に不揃いの旗弁が集まる様子が特徴。
「椿」の「淡乙女(うすおとめ)」
ユキツバキ系。
明治時代の書物に記載される椿。
江戸古種の椿。
〜 壬生寺 〜
「京都市中京区」に在る。
「壬生(みぶ)」は、この辺りの村の名前。
「壬生村」に在ることから、「壬生寺」と呼ばれるようになった。
正暦2年(991年)、園城寺の快賢僧都によって創建。
新撰組の屯所として使用していた。
新撰組の屯所は、壬生寺、を含めて数ヶ所ほど在る。
新撰組は屯所を別の場所に移してからも、稽古などで利用していた。
一部隊士の墓が在る。
新撰組の縁の寺として知られる。
一部施設有料。(撮影日の確認)
本堂。
壬生塚(新撰組隊士の墓の在る場所。有料。)の周辺を撮影。
壬生塚(新撰組隊士の墓の在る場所。有料。)の周辺を撮影。
「百度石(ひゃくどいし)」
かつて壬生寺の参堂に建てられていた。
正徳三年(1713年)、壬生寺の塔頭・中之坊(現在の中院)の仲介により、信者が建立した。
側面に「車通るべからず」と刻まれている。
当時は、馬車で境内への進入は禁止されていた。
新撰組はこれを意に介せず、馬を乗り入れていたそう。
壬生塚(新撰組隊士の墓の在る場所。有料。)から撮影。
〜 八木家住宅 〜
八木家は、壬生村きっての旧家になる。
八木家は、壬生郷士の長老をつとめていた。
八木家は、新撰組の宿所となり、新撰組の屯所ともなっていた。
新撰組の屯所となっていた期間は、文久三年(1863年)春頃〜慶応元年(1865年)夏頃。
屯所を別な場所に移してからも、非番の隊士などが訪れる事があったそう。
屯所は、壬生寺、八木家、を含めて数ヶ所ほど在った。
壬生寺と八木家の距離は、70〜100m前後になる。
芹沢鴨さんが斬られて亡くなった場所です。
八木家に残る普請願から、長屋門は、文化元年(1804年)の造営、主屋は、文化六年(1809年)の造営、といわれる。
昭和58年(1983年)6月1日、京都市指定有形文化財に指定。
敷地内一部・屋内は、有料(抹茶・和菓子付き)。(撮影日の確認)
長屋門。(長屋門の一部?)
長屋門に「松平肥後守御預新選組宿」の表札が揚げられた。
主屋の部屋の中は撮影禁止とのこと。
長屋門や主屋の外観を撮影した。
有料(抹茶・和菓子付き)ですが、芹沢鴨さんがつまづいた机、屋内に付いた刀傷、などを、八木家の方の説明を聞きながら見ました。
主屋と門付近に在った灯篭など。
「隊士腰掛の石」
この石類は、本屋敷と表屋敷との間、新選組の道場の辺りにあったもの。
隊士達も訓練の合間、この石に腰をおろして休んでいた。
この石類は、当時の位置より二、三移動した後、この場所に落ち着いた。
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