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関西 2011年4月 NO.1


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2011.4.14撮影。

撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。

「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。


〜 京都府 〜


〜 京都府立植物園 〜


「京都市左京区下鴨半木町」に在る。
園内の敷地面積:約24ha。
大正六年(1917年)に着工。
大正十三年(1924年)1月1日に「大典記念京都植物園」として開園。
第二次大戦中は園内に菜園が設けられ、食糧増産の場になった。
第二次大戦後は、昭和21年(1946年)から12年間、連合軍に接収され閉園なった。
昭和三十六年(1961年)4月、再び公開した。
入園料必要。(撮影日の確認)




「アンスリウム」の「マーブル(レッド)」
サトイモ科。
園芸品種。
温室内の撮影。













「アンスリウム」の「ミッキーマウス」
園芸品種。
温室内の撮影。














「球根ベゴニア(きゅうこんべごにあ)」
シュウカイドウ科。
ペルー、ボリビアのアンデス山系に自生する球根性ベゴニア7種を交配して作出された品種群を総称して、「球根ベゴニア」と呼ぶ。
色彩豊富な花が咲く。
初夏から秋にかけて花が咲く。
日本は気候などの関係で、温室で栽培する事が多いらしい。
現在の園芸品種は、複雑な交雑を繰り返したもので、「地上で最も美しい花」とも言われる。
草姿の種類は、茎が太く直立する「スタンドタイプ」、茎が細く枝が垂れる「ハンギングタイプ」、がある。
花の色は、赤色、桃色、黄色、白色、オレンジ色、覆輪、など様々ある。
花形は、一重、八重、半八重、カメリアフォーム(椿に似た咲き方・八重タイプ)、ローズフォーム(バラに似た咲き方・八重タイプ)、ラッフル(花弁が波打つタイプ)、ぼかし、など様々ある。
写真の球根ベゴニアは、草姿は「スタンドタイプ」、花色は「オレンジ色」、花形は「ラッフル」、になると思う。
温室内で撮影。




「球根ベゴニア」
写真の球根ベゴニアは、草姿は「ハンギングタイプ」、花色は「ピンク」、花形「カメリアフォーム」、になると思う。
温室内の撮影。













「パンジー」の「ピカソ クリアライトブルー」
スミレ科。
花径が約8cmになる大輪咲き。
「ピカソ」の名前が付くシリーズの一種類。













「桜(さくら)」の「太白(たいはく)」
バラ科。
桜の中では最も花びらが大きい。
初めは純白の花色だが、落花の前になると、花の芯の部分が(雄しべの花糸も)赤く変化する。
日本では絶滅した桜と言われた。
イギリスの桜研究家が、庭に太白が有る事から、昭和7年(1932年)に、京都の方に穂木(ほぎ)を贈った。
別な方になるが、太白を接木などで増やした。












「桜」の「御室有明(おむろありあけ)」
別名は「お多福(おたふく)」
大島桜(おおしまざくら)系。
京都の仁和寺にある栽培品種。
横に広がった株立ち状に成長する。
花は「有明(ありあけ)」とほぼ同じだが、樹形は低い。











「桜」の「桐ヶ谷(きりがや)」
「きりがやつ」のフリガナで説明する事もある。
「桐ヶ谷」の名前は、鎌倉の桐ヶ谷に産した事から付いたそう。
別名は、「御車返し(みくるまがえし)」、「八重一重(やえひとえ)」、「一重八重(ひとえやえ)」
花が一重咲きから八重咲きに変化する場合、ほとんどは雄しべが変化して花びらとなる。
特に雄しべの先端が花びらのようになる事を「旗弁([はたべん]、または、[きべん])」と言う。







「桜」の「兼六園熊谷(けんろくえんくまがい)」
別名は、「兼六熊谷(けんろくくまがい)」、「牡丹桜(ぼたんざくら)(満開時には枝を取り巻いて牡丹の形のように咲くところから付いた名前)」
「山桜(やまざくら)」の園芸品種。
石川県の兼六園にある桜。











「桜」の「大枝垂れ桜(おおしだれざくら)」
「江戸彼岸(えどひがん)」の枝垂れ性の桜で、枝が枝垂れる以外は、「江戸彼岸」と同じ性質になる。
「枝垂れ桜(しだれざくら)」の別名には、「糸桜(いとざくら)」、がある。
近年の研究で、通常の枝垂れない江戸彼岸の固体に比べ枝全体の成長速度が速いため、枝葉の自重により枝が垂れ下がりその後の木質化により固定されて枝垂れる事が分かり、ジベレリジ欠乏による事が原因である事が分かった。
推定樹齢50年を超える。
植物園で最大の「枝垂れ桜」である事から、通称「大枝垂れ桜」と呼ばれる。





「桜」の「染井吉野(そめいよしの)」
「大島桜(おおしまざくら)」と「江戸彼岸桜(えどひがんざくら)」との交配種と言われている。
江戸末期から明治時代頃に、「吉野桜」の名前で売り出していたそう。
その後、「染井吉野」と名付けたらしい。
売り出したのは「染井(現在の豊島区駒込)」の植木屋といわれている。









「桜」の「胡蝶(こちよう)」
咲く姿、花が蝶が舞っているように見える、事から付いた名前だそう。
一重・八重咲きの桜。
様々な花が一本の木の中で見られる事がある。
京都の仁和寺の境内にあった桜といわれる。











「桜」の「山桜(やまざくら)」
分布は、本州(関東以西)、四国、九州、など。
「江戸彼岸」に次いで寿命が長いといわれる。














「蒲公英(たんぽぽ)」の「白花蒲公英(しろばなたんぽぽ)」
キク科。
関東より西側に咲く。
四国や九州にも咲いている。
本来だと関東では咲かないそう。
温暖化の影響の説があるが、関東でも見かける事がある。
日本の黄色い「蒲公英」にも、「関東蒲公英」をはじめとして何種類かに分かれる。
白色の「蒲公英」にも、何種類かあるそう。
細かい種類までの特定は出来なかった。







「蒲公英」の「日本蒲公英(にほんたんぽぽ)」だと思う。
「日本蒲公英」は、「関東蒲公英(かんとうたんぽぽ)」、「関西蒲公英(かんさいたんぽぽ)」、「東海蒲公英(かんさいたんぽぽ)」、などの総称になるそう。













「ビオラ」の「ブラックジャック」
スミレ科。
花径2cm〜3.5cm程の極小ビオラ。
横に這うように生育する。













「ビオラ」の「スキッピー XL レッドゴールド」
花径は、4cm前後。













〜 壬生寺 〜


「京都市中京区」に在る。
「壬生(みぶ)」は、この辺りの村の名前。
「壬生村」に在ることから、「壬生寺」と呼ばれるようになった。
正暦2年(991年)、園城寺の快賢僧都によって創建。
新撰組の屯所として使用していた。
新撰組の屯所は、壬生寺、を含めて数ヶ所ほど在る。
新撰組は屯所を別の場所に移してからも、稽古などで利用していた。
一部隊士の墓が在る。
新撰組の縁の寺として知られる。
一部施設有料。(撮影日の確認)




「桜(さくら)」
バラ科。
「染井吉野(そめいよしの)」と思われる。














「桜」の「紅八重シダレ桜」
漢字で書くと「紅八重枝垂桜」と思われる。
「八重紅枝垂(やえべにしだれ)」と物凄く似ている。
別名と思われるが確認できず。
平成十二年(2000年)2月に植えたらしい。
















本堂。
















壬生塚(新撰組隊士の墓の在る場所。有料。)の周辺を撮影。















壬生塚(新撰組隊士の墓の在る場所。有料。)の周辺を撮影。















「百度石(ひゃくどいし)」
かつて壬生寺の参堂に建てられていた。
正徳三年(1713年)、壬生寺の塔頭・中之坊(現在の中院)の仲介により、信者が建立した。
側面に「車通るべからず」と刻まれている。
当時は、馬車で境内への進入は禁止されていた。
新撰組はこれを意に介せず、馬を乗り入れていたそう。
壬生塚(新撰組隊士の墓の在る場所。有料。)から撮影。











〜 哲学の道 〜


「京都市左京区」に在る。
小道。
明治三十二年(1899年)完成。
琵琶湖疏水に続く、分線沿いの桜並木の1.5〜1.8km程の散策路を「哲学の道(てつがくのみち)」と呼ぶ。
哲学者の西田幾多郎さんが、この道を散策しながら思索にふけった事から付いた名前と言われる。
最初は「思索の小径」と呼ばれていたが、「哲学の道」と呼ばれるようになったと言われる。
昭和四十七年(1972年)に正式な名称となった。









「桃(もも)」の「支那桃(しなもも)」
バラ科。

























「桜(さくら)」
バラ科。
「染井吉野(そめいよしの)」と思われる。












〜 東寺 〜


「京都市南区九条町」に在る。
東寺真言宗総本山の寺。
「教王護国寺」とも呼ばれる。
創建から、約1200年になる。
平安遷都と共に建立された官寺。
平安京の遺構。
昭和9年(1934年)に、国史跡に指定。
平成六年(1994年)に、「世界遺産」として登録。
一部施設有料。(撮影日の確認)

期間限定・時間限定で、「夜の特別公開」として「夜桜ライトアップ」を行っていた。
有料。(撮影日の確認)
今回は、「夜桜ライトアップ」の時間中の撮影。




「食堂(じきどう)」の一部と夕日を撮影。
別名は「観音堂」
僧が生活の中に修行を見出す場所になる。














「不二桜(ふにさくら)」と「五重塔(ごじゅうのとう)」を空が暗く中で撮影。(19:08頃撮影)
「不二桜」
「桜(さくら)」の「八重紅枝垂れ桜(やえべにしだれざくら)」
江戸彼岸系。
園芸品種。
バラ科。
樹齢120年、目通り1.5m、樹高13m、枝張り7m。(平成18年[2006年]2月現在)
岩手県盛岡市の旧家で育てられていた。
平成6年(1994年)に、秋田県を経て三重県鈴鹿市の農園が譲り受けて大切に育てられていた。
弘法大師入唐求道の旅より帰朝1200年記念の平成18年(2006年)に、東寺信徒総代の方より寄贈された。
弘法大師の「不二のおしえ(ふにのおしえ)」から「不二桜」と名付けられた。
「五重塔」
約55m。
木造の建築物としては、日本一の高さになる。
弘法大使師空海が唐から持ち帰った仏舎利が納められている。
五重塔は、落雷などによって4度消失したが、その度に再建している。
現在の五重塔は、寛永二十一年(1644年)に再建した五代目になる。
五重塔は黒色をしているが、ライトアップの関係で金色に輝いている。




「不二桜」と「五重塔」を空が暗くなる中で撮影。(19:14頃撮影)















「不二桜」と「五重塔」と月を空が暗くなる中で撮影。




















「不二桜」と「五重塔」を空が暗くなる中で撮影。(19:22頃撮影)















「桜」と「五重塔」と月。




















境内の桜と池に映る桜を撮影。














〜 八木家住宅 〜


八木家は、壬生村きっての旧家になる。
八木家は、壬生郷士の長老をつとめていた。
八木家は、新撰組の宿所となり、新撰組の屯所ともなっていた。
新撰組の屯所となっていた期間は、文久三年(1863年)春頃〜慶応元年(1865年)夏頃。
屯所を別な場所に移してからも、非番の隊士などが訪れる事があったそう。
屯所は、壬生寺、八木家、を含めて数ヶ所ほど在った。
壬生寺と八木家の距離は、70〜100m前後になる。
芹沢鴨さんが斬られて亡くなった場所です。
八木家に残る普請願から、長屋門は、文化元年(1804年)の造営、主屋は、文化六年(1809年)の造営、といわれる。
昭和58年(1983年)6月1日、京都市指定有形文化財に指定。
敷地内一部・屋内は、有料(抹茶・和菓子付き)。(撮影日の確認)




「長屋門」の一部と「八木家の家紋」
「長屋門」
長屋門に「松平肥後守御預新選組宿」の表札が揚げられた。
主屋の部屋の中は撮影禁止とのこと。
長屋門の一部を撮影した。
有料(抹茶・和菓子付き)ですが、芹沢鴨さんがつまづいた机、屋内に付いた刀傷、などを、八木家の方の説明を聞きながら見た。
「八木家の家紋」
戦後武将の浅井家と似ている。
浅井家と八木家は関係がある事から家紋が似ているそう。






「桜(さくら)」
バラ科。
「染井吉野(そめいよしの)」と思われる。















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