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関西 2011年4月 NO.4


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2011.4.28撮影。

撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。

「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。


※地面などが濡れているのは、当日の天気の関係と思われる。


〜 京都府 〜


〜 京都府立植物園 〜


「京都市左京区下鴨半木町」に在る。
園内の敷地面積:約24ha。
大正六年(1917年)に着工。
大正十三年(1924年)1月1日に「大典記念京都植物園」として開園。
第二次大戦中は園内に菜園が設けられ、食糧増産の場になった。
第二次大戦後は、昭和21年(1946年)から12年間、連合軍に接収され閉園なった。
昭和三十六年(1961年)4月、再び公開した。
入園料必要。(撮影日の確認)




「アンスリウム」の「スプラッシュレッド」
サトイモ科。
園芸品種。
温室内の撮影。












「デンドロビウム スミリエ」
ラン科。
デンドロビウム属。
ラン科植物の一種類。
スラウエシ島(インドネシア)からニューギニア島、クイーンズランド(オーストラリア)が原産。
熱帯雨林のはずれで、森が開けた場所の岩や木に着生する。
花は、落葉した茎の先端部分に生じ、100個以上の花が集まって、長さ15cm程、直径8cm程、の長卵形の房状になって咲く。
それぞれの花の直径は、2cm程。
花房の形から、「bottol brush(ボトルブラッシュ[ビンを洗うブラシ])」とも呼ばれる。
温室内の撮影。





「フクシア」の「シンフォニー」
アカバナ科。
園芸品種。
メキシコからアルゼンチンのパタゴニアにかけてのアメリカ大陸、西インド諸島、を中心に分布。
ニュージーランド、タヒチ島、にも僅かに分布。
自生種は、約100種。
「フクシア」、「ホクシャ」、「フクシャ」、と呼ばれて園芸店などで見かけるのは、幾つかの自生種を用いて作り出した交雑による園芸品種群になる。
これまで6000種以上の園芸品種が作り出されたが、現存しているのは約2000種になる。
温室内の撮影。







「フクシア」の「ブルータス」
園芸品種と思われる。
温室内の撮影。













「フクシア」の「ボナンザ」
園芸品種。
温室内の撮影。













「フクシア」の「アザーフェロー」
園芸品種と思われる。
温室内の撮影。













「フクシア」の「タム ワース」
園芸品種。
温室内の撮影。













「フクシア」の「シュトルツフォンベルリン」
園芸品種。
温室内の撮影。

















「フクシア」の「ルックス」
園芸品種と思われる。
温室内の撮影。

















「フクシア」の「アトランティス」
園芸品種。
温室内の撮影。













「桜(さくら)」の「麒麟(きりん)」
バラ科。
東京荒川堤にあった里桜。
花は濃紅紫色。
花弁数は、25〜40枚。
気品の高い品種。










「桜」の「梅護寺数珠掛桜(ばいごじじゅずがけざくら)」
花弁数は、80〜120枚、200枚を超える花もあるそう。
菊咲き。
新潟県に在る梅護寺に原木がある。
親鸞上人の数珠から由来する名前をもつ桜になる。











「桜」の「鞍馬関山(くらまかんざん)」
花弁数は、30〜40枚。
京都府立植物園にある桜。
「関山(かんざん)」に酷似している桜。












「桜」の「霞桜(かすみさくら)」
「毛山桜(けやまざくら)」とも呼ぶそう。
「霞桜」は、満開時に遠くから見ると霞がかかったように見えるところから名付けられた。
「毛山桜」は、花や葉に毛があることか名付けられた。
花弁数は、5枚。
北海道から四国にかけて分布。
4月下旬頃から咲き始める。
一重咲き。
私は「霞桜」の名前の方が好きです。






「桜」の「平野匂(ひらのにおい)」
花弁数は、5枚。
丸い大きな花弁に細かい切れ込みがあるところが特徴。
名前のとおり芳香がある。
京都平野神社に植栽されている品種。











「桜」の「菊桜(きくざくら)」
花弁数は、80〜200枚。
花は、淡紅色。
花弁が非常に多く、菊の花に似た優雅な桜。
菊咲き。
岡山県の旧制第六高等学校の校庭にあった桜。










「蒲公英(たんぽぽ)」の「白花蒲公英(しろばなたんぽぽ)」
キク科。
関東より西側に咲く。
四国や九州にも咲いている。
本来だと関東では咲かないそう。
温暖化の影響の説があるが、関東でも見かける事がある。
日本の黄色い「蒲公英」にも、「関東蒲公英」をはじめとして何種類かに分かれる。
白色の「蒲公英」にも、何種類かあるそう。
細かい種類までの特定は出来なかった。





「蒲公英」の「日本蒲公英(にほんたんぽぽ)」だと思う。
「日本蒲公英」は、「関東蒲公英(かんとうたんぽぽ)」、「関西蒲公英(かんさいたんぽぽ)」、「東海蒲公英(かんさいたんぽぽ)」、などの総称になるそう。
















「ビオラ」の「スキッピー XL レッドゴールド」
ミスレ科。
花径は、4cm前後。













「ビオラ」の「スキッピー XL プラムゴールド」
花径は、4cm前後。
















〜 京都御苑 〜


「京都市上京区」に在る。
東西約700m、南北約1300m。
御所などを除いた約63haが、国民公園として終日開放されている。
「京都御所」の周囲と地区が該当する。
京都御苑が現在のような公園として整備されたのは、明治以降の事になる。




「乾御門(いぬいごもん)」
京都御苑の周りには、かつての公家町と市中の境界であった九つの御門がある。
九つの御門の一つ。
京都御苑の北西に在る。
「蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)」では、「乾御門」は薩摩藩が護っていた。









「縣井(あがたい)」
昔、この井戸の傍に「縣宮(あがたのみや)」という社が在り、地方官吏として出世を願う者は、井戸の水で身をを清めて祈願し、宮中にのぼったといわれる。
この付近は江戸時代まで、五摂家の一つ「一條家(いちじょうけ)」の屋敷内となっていた。














「山吹(やまぶき)」と思われる。
バラ科。
万葉集にも詠まれている日本に古くからある花。
風に吹かれる枝の様子からついた名前だそう。
名前の由来については、他にもあるよう。
開花時期は3月末から4月頃だが、夏頃に再び少しだけ咲く事がある。
山吹には実が生る。








「中立賣御門(なかだちうりごもん)」
説明などでは「中立売御門」と書く事が多い。
京都御苑の周りには、かつての公家町と市中の境界であった九つの御門がある。
九つの御門の一つ。
「蛤御門の変」では、「中立売御門」は、筑前藩が護っていた。
会津藩などが長州藩士の隠れているとされた中立売御門付近の家屋を攻撃した。
会津藩などが攻撃した「中立売御門付近」の「中立売御門」は、この門をさす。





「蛤御門(はまぐりごもん)」
京都御苑の周りには、かつての公家町と市中の境界であった九つの御門がある。
九つの御門の一つ。
「蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)」では、「蛤御門」は、会津藩が護っていた。
江戸時代末期の元治元年(1864年)、蛤御門の周辺で、長州藩、御所の護衛に当たっていた会津藩・薩摩藩・桑名藩、の間で、激戦が行われた。
この時の戦いを「禁門の変(きんもんのへん)」(別名:蛤御門の変[はまぐりごもんのへん])と呼ぶ。
蛤御門の梁には、この時の鉄砲の弾痕らしく跡が残っている。
この門は、「新在家門(しんざいけもん)」と呼ばれ、常に閉ざされていたが、江戸時代の大火で、それまで閉ざされていた門が初めて開かれたため、「焼けて口を開く蛤」に喩えて、「蛤御門」と呼ばれるようになったといわれる。
蛤御門の変では、御苑一帯が主戦場になった。
蛤御門の変の最大の激戦地になったのが蛤御門になる。





「蒲公英」の「日本蒲公英(にほんたんぽぽ)」だと思う。
キク科。
「日本蒲公英」は、「関東蒲公英(かんとうたんぽぽ)」、「関西蒲公英(かんさいたんぽぽ)」、「東海蒲公英(かんさいたんぽぽ)」、などの総称になるそう。











「清水谷家の椋(しみずだにけのむく)」
「椋(むく)」は、「椋の木(むくのき)」とも呼ぶ。
ニレ科。
この大きな椋の木は、この辺りが清水谷家という公家の屋敷であった事から、「清水谷家の椋」と呼ばれている。
樹齢は、約300年といわれ、御苑内で数少ない椋の大木になる。
元治元年(1864年)の「禁門の変(きんもんのへん)」(別名:蛤御門の変[はまぐりごもんのへん])の時、長州藩士で遊撃隊(長州尊皇攘夷派の一つ)の総督だった来島又兵衛(きじままたべえ)がこの木の付近で討ち死にしたとも伝わっている。





「桜(さくら)」
バラ科。












〜 壬生寺 〜


「京都市中京区」に在る。
「壬生(みぶ)」は、この辺りの村の名前。
「壬生村」に在ることから、「壬生寺」と呼ばれるようになった。
正暦2年(991年)、園城寺の快賢僧都によって創建。
新撰組の屯所として使用していた。
新撰組の屯所は、壬生寺、を含めて数ヶ所ほど在る。
新撰組は屯所を別の場所に移してからも、稽古などで利用していた。
一部隊士の墓が在る。
新撰組の縁の寺として知られる。
一部施設有料。(撮影日の確認)




「桜(さくら)」
バラ科。
「染井吉野(そめいよしの)」と思われる。













本堂。



















壬生塚(新撰組隊士の墓の在る場所。有料。)の周辺を撮影。













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