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関西 2011年4月 NO.5
後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2011.4.29撮影。
撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。
「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。
〜 京都府 〜
〜 本願寺(西本願寺) 〜
「京都市下京区堀川通」に在る。
浄土真宗「本願寺派」の本山。
親鸞聖人の廟堂(墓地)が京都東山に創建されたのが始まり。
各地に寺基を移転した後に、天正十九年(1591年)に、豊臣秀吉より七条堀川の地を寄進された。
境内には、阿弥陀堂、御影堂、をはじめ、桃山文化を代表する建造物や庭園が受け継がれている。
平成六年(1994年)、UNESCO(ユネスコ[国際連合教育科学文化機関])により、世界文化遺産に登録された。
所在地から「西本願寺」とも呼ばれている。
「唐門(からもん)」
本願寺の南に在る唐門。
黒塗りに極彩色の四脚門。
牡丹に唐獅子、竹に虎、麒麟に孔雀など数々の彫刻が施されている。
豪華で精巧な様を眺めていたら、時間が経つのも忘れてしまうことから、別名「日暮らし門」と呼ばれている。
「勅使門」、「日暮門(ひぐらしもん)」、などの別名もある。
伏見城の遺構。
江戸時代に移建。
国宝に指定。
「銀杏(いちょう)」
イチョウ科。
根を天に広げたような形から「逆さ銀杏」とも呼ばれる。
詳細な樹齢は不明だが、御影堂が寛永十三年(1636年)の建立である事から、その頃には植栽などがされたと考えられている。
樹齢約400年の大銀杏になる。
昭和六十年(1985年)六月一日に、京都市の天然記念物に指定された。
本願寺に火災が遭った時、この銀杏から水が噴き出して消し止めたという伝説があり、「水吹き銀杏」とも呼ばれている。
「銀杏(いちょう)」
円形の樹形を呈した銀杏。
境内には銀杏が比較的多く植栽され、古くから火災時の類焼を防止する防止樹の役割を果たしてきた。
京都市指定保存樹。
平成15年(2003年)3月指定。
〜 鴨川 〜
桟敷ケ岳付近を源とし、桂川の合流点に至るまで、京都市内の南北を流れる約33km(約35kmの説明もあり)の河川。
高野川との合流点から上流を「賀茂川」、下流を「鴨川」と書く。
友禅染めの水洗いに利用。(鴨川の友禅流しは、昭和45〜46年頃[1970〜1971年]頃に施行された「水質汚濁防止法」により行われていない。イベントなどのために友禅流しを行う事はあるそう。)
〜「七条大橋」付近から撮影 〜
早朝の鴨川。
早朝の鴨川。
鴨川に居た鳥。
早朝の鴨川。
〜 渉成園 〜
「京都市下京区」に在る。
「しょうせいえん」
東本願寺の飛地境内地。
東本願寺の別邸になる。
周辺に植えられた「枳殻(からたち)」にちなんで、「枳殻邸(きこくてい)」とも呼ばれる。
もとは、鴨川まで達する広大な別邸だった。
撮影日現在でも、200m四方の大きな庭園になる。
園内の諸殿は、安政五年(1858年)、元治元年(1864年)、の二度にわたって消失した。
現在の建物は、明治初期から末年頃に至る間に順次再建されたものになる。
「臨池亭(りんちてい)」と「滴翠軒(てきすいけん)」
「臨池亭」(手前側)
池に臨んで建つ美しさから名付けられた。
「滴翠軒」(奥側)
池に落ちる小滝(滴翠)から名付けられた。
「蒲公英」の「日本蒲公英(にほんたんぽぽ)」だと思う。
キク科。
「日本蒲公英」は、「関東蒲公英(かんとうたんぽぽ)」、「関西蒲公英(かんさいたんぽぽ)」、「東海蒲公英(かんさいたんぽぽ)」、などの総称になるそう。
「園内」
桜の花弁が覆う地面に居る鳥を撮影。
「ろう風亭(ろうふうてい)」(「ろう」は、「門」構えに「良」)
「ろう風(ろうふう)」は、中国の千人が住むとされている山の名前。
大書院。
「印月池(いんげつち)」
広さは、約1700坪在る。
園全体の1/6を占める。
東山から昇る月影を水面に映した美しさから名付けられた。
「侵雪橋(しんせつきょう)」が写るように撮影。
「印月池」
鳥が休んでいるところを撮影。
「縮遠亭(しゅんえんてい)」
茶室、四畳間の付く三畳敷きの上段の間、で構成されている。
「印月池」
「回棹廊(かいとうろう)」
現在は、檜皮葺の屋根を持つ橋だが、安政の大火(安政五年[1858年])での消失以前は、朱塗り欄干を持つ反橋だったそう。
「梅(うめ)」の実。
バラ科。
「枳殻(からたち)」
ミカン科。
落葉低木。
「枸橘」とも書く。
中国原産。
日本には古代に渡来。
鋭くて大きな棘が特徴。
万葉名は「枳(からたち)」
万葉集には一首のみ詠まれている。
果実、を薬用として使用している。
生垣や「蜜柑(みかん)」の台木とする。
「揚羽(あげは)」の幼虫の食草。
「藤(ふじ)」
マメ科。
「菫(すみれ)」
スミレ科。
〜 高瀬川 〜
「京都市」の「中京区、下京区、南区、伏見区」を流れる人工水路。
慶長十五年(1610年)、京都大仏殿の造営にあたり、百本大石の運搬の為に造られた人工水路。
慶長十六年(1611年)、角倉了以、素庵親子の計画によって、京都の水上交通路として、古来重要な運河となり、大正九年(1920年)頃までは、曵船が上下する姿が見られた。
世に高瀬川の曵船とした名高いのは此の川の通船であった。
この水路沿いに多くの木材問屋が有ったことから、木屋町と名が生れ、此の川の上流の二条には「高瀬船入」と呼ばれる歴史遺構がある。
「椿(つばき)」
ツバキ科。
「椿」
高瀬川に掛かる橋から撮影。
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