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関西 2011年8月 NO.4
後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2011.8.24撮影。
撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。
「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。
〜 京都府 〜
〜 鴨川 〜
桟敷ケ岳付近を源とし、桂川の合流点に至るまで、京都市内の南北を流れる約33km(約35kmの説明もあり)の河川。
高野川との合流点から上流を「賀茂川」、下流を「鴨川」と書く。
友禅染めの水洗いに利用。(鴨川の友禅流しは、昭和45〜46年頃[1970〜1971年]頃に施行された「水質汚濁防止法」により行われていない。イベントなどのために友禅流しを行う事はあるそう。)
〜 北大路橋付近から撮影 〜
「北大路橋」付近から「北山大橋」方面に向かって撮影。
〜 京都府立植物園 〜
「京都市左京区下鴨半木町」に在る。
園内の敷地面積:約24ha。
大正六年(1917年)に着工。
大正十三年(1924年)1月1日に「大典記念京都植物園」として開園。
第二次大戦中は園内に菜園が設けられ、食糧増産の場になった。
第二次大戦後は、昭和21年(1946年)から12年間、連合軍に接収され閉園なった。
昭和三十六年(1961年)4月、再び公開した。
入園料必要。(撮影日の確認)
「アリストロキア トリカウダタ」
ウマノスズクサ科。
メキシコ原産。
学名は「Aristolochia tricautada Lem」
花は枝の各節に付き、枝の基部から先に向かって次々に咲く。
がくの先端が三つに別れ、細長いひも状になり、10cmを超える長さになる。
種小名は、花の形状、(tri:3つの、cautadatus:尾のある)からついている。
温室内の撮影。
「アリストロキア サルバドレンシス」
ウマノスズクサ科。
中米原産。
目玉のように見える白色の2個の斑点が特徴的。
薄暗い根元で受粉昆虫(主に、蝿)に花のありかを教える標識になっている。
一つの花の寿命は、約一週間だが、根元から多数の花茎が発生し、次々に花をつける。
温室内で撮影。
「バオバブ」
アオイ科。
原産地は、アフリカ熱帯地域、マダガスカル。
英語名は「baobab」
別名は、「神が逆さまに植えた木」(地面から突然に生えたように見える幹、幹の先にある枝葉の様子、から)、「モンキーブレッドツリー」(猿が食用にする様子から)、「レモネードツリー」(酸味のある味の特徴から)、など。
セネガルの言葉で「バオバブ」は「一千年の木」という意味だそう。
「星の王子様」の中で、星を壊す木として書かれ、日本でも知られるようになった。
花は、下向きに咲き、真っ白な5枚の花弁の中央から、丸く房状になった雄しべが下がり、その中央に雌しべがある。
開花すると甘い香りが漂う。
夜の開花し、翌日昼頃には落下する。
高さは、約20mになる。
幹は、直径5mのとっくり状になる。
葉は、3〜7枚の小葉からなる。
乾季には落葉する。
果実は、長径10〜40cm、楕円状の実が生る。
果肉、食用、調味料、になる。
若葉は、食用、になる。
種子は、食用、薬用、になる。
食用、薬用、を含めた詳細は、各自でご確認ください。
温室内で撮影。
「時計草(とけいそう)」と思われる。
説明が無いため、花の特徴からの推測になる。
トケイソウ科。
ブラジル、アルゼンチン、原産。
蔓性の多年草。
英語名は「passion flower」
開花期は、6月〜8月上旬。
高さ約4m。
巻きひげで他に絡みつく。
葉は掌状に5つに深く裂けている。
夏、直径8cm〜10cmくらいの時計の文字盤に似た花が咲く。
花びらと萼片は、淡紅色か淡い青色で、内側には、副花冠が、紫色で蛇の目状に入る。
英語名の「passion flower」の「passion」には、「熱情。激情。」、「キリストの受難。キリストの受難劇。」、などの意味がある。
「passion flower」は、雄しべの形を十字架に見立てて、「キリストの受難」を表現して名付けたそう。
和名の「時計草」は、糸状の副花冠と花びらと萼片を時計の文字盤に見立てて名付けたそう。
日本には、享保八年(1823年)頃に、オランダから渡来したそう。
同属には、花が赤色の「“穂咲時計草”、または、“穂咲きの時計草”(ほざきのとけいそう)」、「パッションフルーツ(passion fruit)(果物時計草[くだものとけいそう])」、などがある。
「果物時計草(くだものとけいそう)(別名:パッションフルーツ)」と思われる。
説明が無いため、花の特徴からの推測になる。
トケイソウ科。
「時計草(とけいそう)」と思われる。
説明が無いため、花の特徴からの推測になる。
「蓮霧(れんぶ)」
フトモモ科。
熱帯アジア原産。
常緑小高木。
英語名は「Wax Apple」
花の直径は、3cm程度で、4枚の白い花弁の中心から無数の雄しべが放射状に広がる。
果実は、直径が5cm程度の洋梨型で、乳白色から紅色で、表面には光沢がある。
主に生食で用いられ、甘み、酸味もほどほどで、果汁は少なく、シャキシャキとした食感がある。
熱帯から亜熱帯地域で広く栽培されている。
温室内で撮影。
「バラ」の「大文字(だいもんじ)」
バラ科。
作出国:日本。
作出年:1981年。
ハイブリッドティー系。
「ウンカリナ ロエオエスリアナ」
ゴマ科。
マダガスカル原産。
温室内で撮影。
〜 賀茂御祖神社(下鴨神社) 〜
「京都府京都市左京区下鴨」に在る。
「下鴨神社(しもがもじんじゃ)」は、「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」の通称。
「賀茂皇大神(すめおおかみ)」、東殿に「玉依媛命(たまよりひめのみこと)」、西殿に「賀茂建角身命(たけつのみのみこと)」、を祀る。
玉依媛命は、賀茂建角身命の娘で、「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)(加茂別雷神社[かもわけいかずちじんじゃ])」祭神の母。
鎮座年代は不詳。
平成6年(1994年)、世界遺産に登録された。
撮影日は、特別公開期間中だった。
特別公開期間中により、一部施設が有料で拝観可能だった。
無料で拝観可能な施設もある。
拝観等の詳細は、各自でご確認願います
「供御所(くごしょ)」
説明板より抜粋、及び、説明板の内容に追加。
重要文化財。
御殿のなかは、東、中、西、に別れている。(※御殿は供御所を差していないと思われる)
「供御所」は(東の間)は、神饌を調理するところ。(※供御所(東の間)は、神饌を調理するところ、と思われる)
「贄殿(にえどの)(中の間)」は、魚介鳥類を調理する間。
「侍所(さぶらいどころ)(西の間)」は、神官などを参集し、直会(なおあい)、勧盃(かんぱい)の儀などを行う。
式年遷宮寛永五年度(1628年)造替後は、21年ごとに解体修理が行われる。
入母屋造。
「橋殿(はしどの)」
説明板より抜粋。
重要文化財。
「御蔭祭(みかげまつり)」のとき、御神宝を奉安する御殿。
古くは、「御戸代会神事(みとしろえしんじ)」、奏楽、里神楽、「倭舞(やまとまい)」が行われていた。
また、行幸、御幸のさい、公卿、殿上人の控え所と定められていた。
現在は、名月管弦祭、正月神事等年中祭事のときに、神事芸能が奉納される社殿。
式年遷宮寛永五年度(1628年)造替後は、21年ごとに解体修理が行われる。
入母屋造。
「舞殿(まいどの)」
説明板より抜粋。
重要文化財。
「賀茂祭(かもまつり)」(葵祭[あおいまつり])のとき勅使が「御祭文(ごさいもん)」を「奏上(そうじょう)」され、「東游(あずまあそび)」が奉納される。
御所が災害にあわれたとき、臨時の内侍所と定められている。
式年遷宮寛永五年度(1628年)造替後は、21年目ごとに解体修理が行われる。
入母屋造。
殿上は、宣命座の設置など、柱間ごとに、細かく規定されている。
「細殿(ほそどの)」
説明板より抜粋。
重要文化財。
平安時代の当神社「神殿記」に「細殿」とあり、歴代天皇の行幸、上皇、法皇、院、関白賀茂詣には、歌会などが行われた社殿である。
近くは、霊元天皇、享保年間の御幸に歌会が行われた。
また、天明度御所回録(火災)には、内侍所の奉安所となり、文久、回録の時には、祐宮(明治天皇)の安座所となったほか、文久三年、孝明天皇の加茂行幸には、徳川家茂将軍の侍所となるなど歴史的な社殿である。
御本宮式年遷宮ごとに造替されており、現在の社殿は、寛永五年度(1628年)遷宮建替になるもので、以降は遷宮ごとに解体修理が行われている。
「御手洗川(みたらしがわ)」と「輪橋(そりはし)」
説明板より抜粋。(※「御手洗川」のみ説明する)
土用の丑の日にこの御手洗川に足を浸し疫病や病い封じを祈願して賑わう「足つけ神事」や立秋の前夜の「矢取の神事」、葵祭の「斎王(さいおう)代の禊(みそぎ)の儀」をはじめ、祓の神事が執り行われるところである。
また、常は水が流れていないが、土用が近付くとこんこんと湧き出るところから、京の七不思議の一つとされ、その様をかたちどったと伝われる「みたらし団子」の発祥のところでもある。
「神服殿(しんぷくでん)」
説明板より抜粋。
重要文化財。
夏、冬の御神服を「奉製(ほうせい)」する御殿であったため。
その名がある。
古代祭祀の神殿様式を伝える貴重な社殿である。
近世は、勅使殿又は着到殿となり、古来殿内の一室が行幸のときは、玉座となった。
「開(あ)ずの間」として伝えられている。
古くから御所が災害にあわれた時、臨時の「御座所(ござしょ)」と定められている。
式年遷宮寛永五年度(1628年)造替後は、21年目ごとに解体修理が行われる。
入母屋造。
「媛小松(ひめこまつ)」
マツ科。
「姫小松」と書く事が多いらしい。
説明板より抜粋。(一部変更)
「ちはやぶる 鴨の社のひめこ松 よろずよふとも 色はかわらじ」
藤原 敏行(古今和歌集)
「賀茂祭(かものまつり)(葵祭[あおいまつり])」、「御蔭祭(みかげまつり)」のとき、奏される東游はわが国最古の歌舞である。
この松は歌の二段目「求め子」で「鴨の社のひめ小松」とうたわれた媛小松である。
なお、「ひめこ松」の「ひめ」は、当神社の御祭神 「玉依媛命」の御名にちなんで「媛」と記されるようになった。
「唐車(からぐるま)」
説明板より抜粋。(一部変更)
唐車は、屋根の造りが「唐破風(からはふ)」になっているところから名づけられたもので、上皇・皇后・東宮・親王または摂政・関白が用いた最も格式の高い牛車。
乗車の際には後方から、後者の際には前方から、降りる事が決められ、車内には畳が敷かれている。
江戸時代のものを復元した。
説明板以外の説明。
特別拝観の場所で撮影。
「大炊殿(おおいどの)」
説明板よの抜粋。(一部変更)
重要文化財。
神饌(お供え)の御料を煮炊きし、調理をする社殿で大炊所(おおいどころ)とも呼ばれている。
入口の土間に竈(かまど)(おくどさん)があり、中の間は、お供えの材料や用具を洗ったり、調理する台所、奥の間は盛り付けをし、神前へお供えする順に並べておく配膳棚が設けてある。
古くは、この社殿ではご飯、餅、ぶと、まがり(お菓子)など穀物類が調理された。
お酒は酒殿。
魚貝鳥類は贄殿(にえどの)で料理されていたが、文明に年(1470年)六月十日、乱の兵火によって焼失した。
その後、大炊殿は、現在の場所に再興された。
酒殿は退転。
贄殿は、供御所(くごしょ)の一間に充てられた。
神社建築のなかでこの種の社殿が現存するのは非常に貴重である。
説明板以外の説明。
特別拝観の場所で撮影。
「双葉葵(ふたばあおい)」
ウマノスズクサ科。
多年草。
「二葉葵」とも書く。
別名は、(賀茂神社の葵祭に用いられることから)「賀茂葵(かもあおい)」、「葵草(あおいぐさ)」、「二葉草(ふたばぐさ)」、がある。
山地の木陰に生える。
根茎は地をはい、2枚の心臓形の葉をつける。
春、葉の間に、柄のある淡紅紫色の花を1個下向きに開く。
賀茂神社の神紋、徳川家の紋章としても知られる。
特別拝観の場所で撮影。
「葵の庭(あおいのにわ)」(カリンの庭)
説明板より抜粋。(一部変更)
「忘れめや あふいを草に ひき結び かりねののべの つゆの曙」
第三十一代 斎王式子(のりこ)内親王(新古今和歌集)
賀茂斎院御所(かもさいいんごしょ)のアオイの自生する「葵の庭」をお詠みになった。
文明の乱の兵火により殿舎が退転したが、庭はここに再顕された。
大炊殿で調理される御薬酒用薬草も植栽されており、特にカリンの古木が有名で、「カリンの庭」とも呼ばれている。
説明板以外の説明。
特別拝観の場所で撮影。
「御井(みい)」
説明板より抜粋。
重要文化財。
神饌(しんせん)の御水や若水神事(わかみずしんじ)など御水の祭事が行われる所である。
井戸の井筒(いづつ)を井戸屋形(いどやかた)。
上屋(うわや)を井戸屋と呼び全体を御井と称している。
井戸屋の前に「水ごしらえ場」がある。
式内末刀社(まとのやしろ)の御祭神が御降臨(ごこうりん)される処との伝承の石(橋と呼ばれている)がある。
毎年十二月二十一日には御薬酒神事と若水をくむ古代様式の神事が行われる。
また井戸が文化財に指定されているのは他に例をみない。
説明板以外の説明。
特別拝観の場所で撮影。
「井上社」
別名「御手洗社(みたらししゃ)」
説明板より抜粋。
御祭神 瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)
例祭 土用の丑(うし)の日
この社の前身は、「三代実録」、元慶残念(879年)九月二十五日の条をはじめ諸書に見える唐崎社である。
元の社地は、高野川と鴨川の合流地東岸に鎮座のところ、文明の乱により、文明二年(1470年)六月十四日焼亡したため、文禄年間(1592〜96年)に、この所に再興になり、寛永度(1629年)式年遷宮より官営神社となった。
また、井戸の井筒の上に祀られたところから井上社と呼ばれるようになった。
賀茂祭(葵祭)に先だつ斎王代の御禊の儀は、この社前の御手洗池で行われ、夏の風物詩 土用の丑の日の足つけ神事、立秋の前夜の矢取りの神事はともに有名である。
土用になれば、御手洗池から清水が涌き出ることで七不思議の一つにも挙げられ、池底から自然に吹き上がる水泡をかたどったのがみたらし団子の発祥と伝えられている。
「さざれ石」
「さざれ石」は、小さな石、小石、という意味。
「奈良の小川の御手洗」
説明板より抜粋。(一部変更)
古くはナラ林を流れる小川というところから「奈良の小川」と和歌に詠まれ有名になった。
上流(18m)の「舩島(ふなしま)」は、奈良殿神(ならどののかみ)がまつられている無社殿神地。
神社社殿成立以前の古代祭祀跡。
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