このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

関西 2011年12月 NO.1


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2011.12.4撮影。

撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。

「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。

前日から当日の天気の関係、または、散水と思われる状況より、植物や地面などが濡れている写真があります。
ご了承ください。


〜 京都府 〜


〜 京都府立植物園 〜


「京都市左京区下鴨半木町」に在る。
園内の敷地面積:約24ha。
大正六年(1917年)に着工。
大正十三年(1924年)1月1日に「大典記念京都植物園」として開園。
第二次大戦中は園内に菜園が設けられ、食糧増産の場になった。
第二次大戦後は、昭和21年(1946年)から12年間、連合軍に接収され閉園なった。
昭和三十六年(1961年)4月、再び公開した。
入園料必要。(撮影日の確認)




「アノダ」の紫種。
アオイ科。
多年草。
「アノダ・クリスタータ」とも呼ぶ。
原産地は、アメリカの南西部から中央アメリカ。
日本へは昭和時代の初期に園芸植物として渡来。
夏頃から咲き続け、晩秋の花の少なくなる頃まで咲く。









植物園内。




























「葉牡丹(はぼたん)」
アブラナ科。
江戸時代に野菜として渡来したそう。
「葉牡丹」の「白つぐみ(しろつぐみ)」
「つぐみシリーズ」の一種類。
丸葉系。
大阪丸葉矮性種。
着色部は白色で中心は淡桃色。
葉が軽く波打ち、従来の大阪丸葉系より緑のフリンジが強い。
「葉牡丹」の「桃つぐみ(ももつぐみ)」
「つぐみシリーズ」の一種類。
丸葉系。
大阪丸葉矮性種。
着色部は桃色で外葉色は緑色。





「葉牡丹」
「葉牡丹」の「紅つぐみ」
「つぐみシリーズ」の一種類。
丸葉系。
大阪丸葉矮性種。
着色部は鮮紅色で外葉は緑色。
「葉牡丹」の「白くじゃく」
切葉種。
外葉の切れ込みが非常に細かい矮性種。







「桂(かつら)」
カツラ科。
落葉性高木。
雌雄異株。
よく萌芽する。
材は、建築、家具、碁盤、将棋盤、などに用いる。










紅葉する葉が陽の光で輝いて透き通る様子を撮影。















「メタセコイヤ」
スギ科。
落葉高木。
和名は「曙杉(あけぼのすぎ)」
中国名は「水杉」
「メタセコイア」とも呼ぶ。
「メタセコイヤ」は、スギ科メタセコイア属、「セコイヤ」は、スギ科セコイア属、なので細かく分けると、別になる。
余り進化していないらしく、「生きている化石」と喩えられ有名になっている。
日本では化石として幾つも発見されたそう。
そこから、日本では第四紀前半(第四紀は、180年前〜現在。そこから、100〜300万年前)まではたくさん生えていたと考えられている。
絶滅したと考えられていたが、昭和18年(1943年)頃に、中国の林務官の方が、中国四川省で生きているメタセコイアが発見した。
発見された当初は、メタセコイアだと分からなかったそう。
翌年に調査をして、日本の方が昭和16年(1941年)に化石の状態で命名したメタセコイアだと分かり、昭和21年(1946年)に生きているメタセコイアが発表されたそう。





「椿(つばき)」の「白侘助(しろわびすけ)」
ツバキ科。
「侘助椿(わびすけつばき)」
産地は、江戸。
江戸時代の書物に記録のある古い椿。









〜 壬生寺 〜


「京都市中京区」に在る。
「壬生(みぶ)」は、この辺りの村の名前。
「壬生村」に在ることから、「壬生寺」と呼ばれるようになった。
正暦2年(991年)、園城寺の快賢僧都によって創建。
新撰組の屯所として使用していた。
新撰組の屯所は、壬生寺、を含めて数ヶ所ほど在る。
新撰組は屯所を別の場所に移してからも、稽古などで利用していた。
一部隊士の墓が在る。
新撰組の縁の寺として知られる。
一部施設有料。(撮影日の確認)




落葉した紅葉する葉。
落葉した場所から推測すると、「染井吉野(そめいよしの)」の葉と思われる。











〜 南禅寺 〜


「京都市左京区南禅寺福地町」に在る。
宗派は、臨済宗。
黄檗山萬福寺を本山とする場合は、黄檗宗と呼ぶ。
南禅寺派の大本山。
正応四年(1291年)、亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)を開山に迎えて開創された。
山号は、「瑞龍山(ずいりゅうざん)」。
寺号は、「太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)」
京都五山の第一位になる。
一部施設有料。(撮影日の確認)




「三門(さんもん)」
明治32年(1899年)、国指定重要文化財となった。
「三門」は、仏道修行で悟りに至る為に透過しなければならない三つの関門を表す、空、無相、無作の三解脱門を略した呼称。
「山門」とも書く。
南禅寺の「三門」は、別名「天下竜門」とも呼ばれる。
上層の楼を五鳳楼と呼び、日本三大門の一つに数えられる。
永仁三年(1295年)、西園寺実兼の寄進によって創立された。
応安年間に新三門へと改築されたが、文安四年(1447年、または、1448年)の火災で焼失した。
現在の「三門」は、寛永五年(1628年)、藤堂高虎が大阪夏の陣に倒れた家来の菩提を弔うために再建したものになる。
石川五右衛門が「絶景かな 絶景かな ・・・」の台詞が登場する、歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」の石川五右衛門の伝説で有名。





三門に登って見た景色。




















「疎水(そすい)」
琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路。
滋賀県大津市で取水され、南禅寺横を通り京都市東山区蹴上迄の区間。
疏水の工事は、明治十四年(1881年)に始まり、明治二十三年(1890年)に竣工した。
疏水の目的は、大阪湾と琵琶湖間の通船や水車動力による紡績業、潅漑用水、防火用水、などだった。
現在の疎水は、上水道の水源として利用されている。

















紅葉する木。














           写真集トップ           


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください