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関西 2011年12月 NO.2


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2011.12.5撮影。

撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。

「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。

前日から当日の天気の関係、または、散水と思われる状況より、植物や地面などが濡れている写真があります。
ご了承ください。


〜 京都府 〜


〜 賀茂御祖神社(下鴨神社) & 糺の森 〜


「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)(下鴨神社[しもがもじんじゃ])」
「京都府京都市左京区下鴨」に在る。
「下鴨神社(しもがもじんじゃ)」は、「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」の通称。
「賀茂皇大神(すめおおかみ)」、東殿に「玉依媛命(たまよりひめのみこと)」、西殿に「賀茂建角身命(たけつのみのみこと)」、を祀る。
玉依媛命は、賀茂建角身命の娘で、「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)(加茂別雷神社[かもわけいかずちじんじゃ])」祭神の母。
鎮座年代は不詳。
平成6年(1994年)、世界遺産に登録された。
「糺の森(ただすのもり)」
「京都市左京区下鴨」に在る「賀茂御祖神社(下鴨神社)」の境内の森をいう。
広葉樹が多い。
「賀茂川(かもがわ)」と「高野川(たかのがわ)」の合流点に位置するため、一帯を「只洲(ただす)」と称したのが地名の起源と伝えられる。
「糺の森」を詠んだが新古今集にも掲載されている。
「糺の森」を流れる「瀬見の小川(せみのおがわ)」は、地下水の湧出する清流で、歌枕(うたまくら)として知られる。




鳥居と紅葉する木。















「井上社」
別名「御手洗社(みたらししゃ)」
説明板より抜粋。
御祭神 瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)
例祭 土用の丑(うし)の日
この社の前身は、「三代実録」、元慶残念(879年)九月二十五日の条をはじめ諸書に見える唐崎社である。
元の社地は、高野川と鴨川の合流地東岸に鎮座のところ、文明の乱により、文明二年(1470年)六月十四日焼亡したため、文禄年間(1592〜96年)に、この所に再興になり、寛永度(1629年)式年遷宮より官営神社となった。
また、井戸の井筒の上に祀られたところから井上社と呼ばれるようになった。
賀茂祭(葵祭)に先だつ斎王代の御禊の儀は、この社前の御手洗池で行われ、夏の風物詩 土用の丑の日の足つけ神事、立秋の前夜の矢取りの神事はともに有名である。
土用になれば、御手洗池から清水が涌き出ることで七不思議の一つにも挙げられ、池底から自然に吹き上がる水泡をかたどったのがみたらし団子の発祥と伝えられている。





境内を流れる小川と紅葉する木。















「奈良の小川」
説明板より抜粋。(一部変更)
古くはナラ林を流れる小川というところから「奈良の小川」と和歌に詠まれ有名になった。
上流(18m)の「舩島(ふなしま)」は、奈良殿神(ならどののかみ)がまつられている無社殿神地。
神社社殿成立以前の古代祭祀跡。













「参道」
糺の森の中を通る長い参道。














参道の傍の流れる小川紅葉する木。













〜 東福寺 〜


「京都市東山区本町」に在る。
山号は「慧日山(えにちさん)」
奈良における最大の寺院である東大寺、奈良で最も盛大を極めた興福寺、になぞらえて、「東大寺」の「東」と「興福寺」の「福」にちなんで、「東福寺」と名付けられた。
嘉禎二年(1236年)から建長七年(1255年)に掛けて19年を費やして完成した。
九条道家が九条家の菩提寺として建立。
開山は、「聖一国師(しょういちこくし)」
一部施設有料。(撮影日確認)




「臥雲橋」から「通天橋」方面を撮影。















境内から紅葉する木々を撮影。

























「開山堂庭園」



















「開山堂」
別名は「常楽庵」














「開山堂庭園」















色付く葉。















境内から「天通橋」を撮影。
南宋径山(きんざん)の橋を模している。
普明国師が通天と名付けた。













色付いた落葉した葉と木を撮影。














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