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関西 2012年2月 NO.2
後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2012.2.6撮影。
撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。
「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。
前日から当日の天気の関係、または、散水と思われる状況より、植物や地面などが濡れている写真があります。
ご了承ください。
~ 京都府 ~
~ 平等院 ~
「びょうどういん」
「宇治市宇治蓮華」に在る。
山号は「朝日山」
「平等院(びょどういん)」は、藤原道長の別荘だったものを、永承七年(1052年)に、子の関白の藤原頼通が寺院へ改めたもの。
建武三年(1336年)の戦火により、大半の伽藍が焼失したが、現在(撮影日)は、「鳳凰堂(ほうおうどう)」、鎌倉時代再建の観音堂、鐘楼、などが残っている。
平成六年(1994年)、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。
「鳳凰堂」は、日本の10円硬貨の絵柄に使われている。
拝観料必要。(撮影日確認)
「山茶花(さざんか)」と思われる。
ツバキ科。
開花時期や特徴などから、「椿(つばき)」ではなく、「山茶花」かと思われる。
「梵鐘(ぼんしょう)」
写真の梵鐘は、模造との事。
平等院の鐘は、「姿(形)の平等院」として、日本三銘鐘の一つにあげられる。
鐘身にほどこされた装飾が美しいことで有名。
昭和四十七年(1972年)、寸分違わぬ姿で復元された二代目になる。
「葉牡丹(はぼたん)」
アブラナ科。
名古屋ちりめん系の品種。
葉は縮緬状になり、全体に光沢があるのが特徴。
葉牡丹は江戸時代に野菜として渡来したそう。
「不動堂(ふどうどう)」
不動明王を本尊とする最勝院の本堂。
最勝院が天台修験宗を極める聖護院末であるところから、役小角(えんのおづぬ)(役行者)の像が祀られている。
隣接する地蔵堂は地蔵菩薩坐像をお祀りしている小堂。
「最勝院(さいしょういん)」
平等院塔頭2ヶ寺の1つで、天台宗寺門派聖護院末。
歴史は平等院の中では比較的新しく、承応三年(1654年)、京都東洞院六角勝仙院(住心院)の僧が、平等院に移り、住庵を最勝院と呼んだ事にに始まる。
中世末以来、平等院と疎遠になっていた天台宗が復帰した。
「鳳凰堂(ほうおうどう)」
平安時代後期、天喜元年(1053年)に、関白の藤原頼通によって、平等院に建立された阿弥陀堂。
華やかな藤原摂関時代をしのぶ事のできるほとんど唯一の遺構として貴重な建築になる。
最も大きな特徴は、池の中島に建てられているところで、極楽の宝池に浮かぶ宮殿のように、その美しい姿を水面 に映している。
堂内の中央には、金色の丈六阿弥陀如来坐像が端坐している。
堂内の周囲の壁および扉には、九品来迎図、阿弥陀仏の背後の壁には極楽浄土図が描かれている。
本堂内の左右の壁の上部には、52体の雲中供養菩薩像が懸けられている。
堂内の一部を、時間限定・人数限定・有料で拝観できる。(←撮影日確認)
~ 伏見稲荷大社 ~
「ふしみいなりたいしゃ」
「京都市伏見区深草藪之内町」に在る。
境内地は、約27万坪。
稲荷神を祀る日本全国3~4万社の稲荷神社の総本宮とされる。
稲荷山の麓に本殿が在り、稲荷山全体を神域とする。
和銅四年(711年)二月初午、稲荷山に大神様がはじめて鎮まられた事を起源としている。
表参道に在る最初の鳥居が写るように撮影。
表参道に在る二番目に在る鳥居と「楼門(ろうもん)」を撮影。
「楼門(ろうもん)」
この楼門は、天正十七年(1589年)、豊臣秀吉の造営とされてきた。
豊臣秀吉の母の大政所の病悩平癒祈願が成就すれば一万石奉加すると記した願文が伝来している。
造営伝承と伝来文書との整合性に多少の疑問があったが、昭和四十八年(1973年)、楼門の解体修理が行われたところ、願文と同じ年次の天正十七年年の墨書が発見されたそう。
伝承の正しかったことが確認された。
神社の楼門の規模としては最も大きいものになる。
たくさんの鳥居が連なるスタートの場所。
「千本鳥居」として有名だが、スタートの場所は「千本鳥居」に含まれないらしい。
「千本鳥居」の詳細は各自でご確認ください。
「千本鳥居」
千本鳥居は二手に分かれている。
一方の千本鳥居の中から撮影。
千本鳥居を過ぎて、少し後に現れる連なる鳥居。
説明板には、ここからスタートして一周するまでに2時間との説明があった。
参拝して歩く場合、2時間以上掛かる事もあると思われる。
山道を歩くため、一周する場合は、開始時間や体調などを気を付けてください。
一周する場合の確認は、各自で確認をお願いします。
「おもかる石」
石灯籠の前で願い事を祈念して、石灯籠の空輪(頭)を持ち上げ、その時に感じる重さが、自分が予想していたよりも軽ければ願い事が叶い、重ければ叶わないとする、試し石になる。
一般には「おもかる石」の名前で親しまれている。
千本鳥居を過ぎて、少し後に現れる連なる鳥居の中から撮影。
千本鳥居を過ぎて、少し後に現れる連なる鳥居の中から撮影。
~ 宇治神社 ~
「うじじんしゃ」
「宇治市宇治山田」に在る。
重要文化財。
宇治市案内板より
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宇治神社は、日本書紀に「応神天皇の皇子で、兄である仁徳天皇との皇位を巡る葛藤から宇治で自殺した」 と記されている、悲運の皇太子菟道稚郎子の等身大の坐像を祀っており、付近は菟道稚郎子が造営した桐原日桁宮跡と伝えられています。また、明治維新までは、宇治上神社と二社一体で、それぞれ、離宮上社、離宮下社と名付けられていました。現在の本殿及び外陣の狛犬は鎌倉時代につくられたもので、狛犬は開口する獅子(阿形)と一角を持つ狛犬(吽形)で一対とされ、格調高い作品として極めて貴重なものです。当社の祭礼である離宮祭は、田楽等の芸能が催され、平安後期から鎌倉時代には多くの人々が集まり大いに賑わいました。
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鳥居、本社、拝所。
下の境内から、鳥居を前にして、本社と拝所、を撮影。
~ 宇治上神社 ~
「うじがみじんじゃ」
「宇治市宇治山田」に在る。
平成六年(1994年)、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。
拝殿、本殿、は、国宝。
宇治市案内板より
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宇治上神社は、明治維新までは隣接する宇治神社と二社一体で、それぞれ、離宮上社、離宮下社と呼ばれていました。祭神は宇治神社の祭神でもある悲運の皇子莵路稚郎子のほか、父の応神天皇と兄の仁徳天皇を祀っています。本殿は平安時代後期の神社建築としては最古のものに属する建造物で、一間社流造の内殿三棟を左右一列に並べ、後世これらに共通の覆屋をかけたものです。また、その身舎の扉には、建立当時の絵画が遺されています。なお、境内に湧き出ている桐原水は、宇治七名水の一つとされています。
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「欅(けやき)」
ニレ科。
説明板の一部を書く。
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宇治市名木百選
高さ 27m
幹周 4.8m
樹齢 300年
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「本殿」
国宝。
平安時代後期建築とされる。
内殿三社が覆屋に覆われている。
「拝殿」
国宝。
鎌倉時代初期の建築とされる。
入口付近から撮影。
拝殿が見える。
~ 宇治川 ~
「淀川(よどがわ)」水系中流の河川。
淀川水系は、一級河川、流路延長 75.1km。
淀川水系の水源は、「琵琶湖(ぴわこ)」
滋賀県大津市で琵琶湖から流れ出る。
ここでは、「瀬田川(せたがわ)」と呼ばれる。
滋賀県大津市南郷の「洗堰(あらいぜき)」から下流を宇治川と呼ぶ。
宇治川は京都府と滋賀県の境にあたる醍醐山地を、くの字形の流路をとって流れるが、峡谷美に富むため、「宇治川ライン」と呼ばれる。
宇治市から京都盆地を西流して、大阪府との境の大山崎町で「桂川(かつらがわ)」、「木津川(きづがわ)」と合流して淀川となる。
「橘橋(たちばなばし)」から撮影。
「朝霧橋」(と思われる)から撮影。
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