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関西 2012年3月 NO.2


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2012.3.28撮影。

撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。

「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。

前日から当日の天気の関係(降雨等)、または、散水と思われる状況より、植物や地面などが濡れている写真があります。
ご了承ください。


〜 京都府 〜


〜 京都府立植物園 〜


「京都市左京区下鴨半木町」に在る。
園内の敷地面積:約24ha。
大正六年(1917年)に着工。
大正十三年(1924年)1月1日に「大典記念京都植物園」として開園。
第二次大戦中は園内に菜園が設けられ、食糧増産の場になった。
第二次大戦後は、昭和21年(1946年)から12年間、連合軍に接収され閉園なった。
昭和三十六年(1961年)4月、再び公開した。
入園料必要。(撮影日の確認)




「躑躅(つつじ)」の「玄海躑躅(げんかいつつじ)」の白花。
ツツジ科。
中国、台湾が原産。
早めに開花する躑躅。
「玄海躑躅」は、普通は淡紅色〜紅紫色だが、白花もある。
珍しい。
白花も該当するか不明だが、「玄海躑躅」は、「準絶滅危惧種」に指定されている。
「玄海躑躅」の内容で説明。
日本の南側で自生。
減少している主な要因は、園芸用の採集、植生の遷移、林道工事になる。
既に絶滅している場所や現状不明の場所などがある。
毎年のように減少していると考えられている。
このままでは、僅かではあるが100年後に絶滅の可能性がある。
このままの状態が続けば、300年後には自然界で絶滅の可能性がある。





「児の手柏(このてがしわ)」
ヒノキ科。
中国原産。
「児手柏」の文字で書く事もあるらしい。
葉に表裏が無い。
枝が直立している様子を、子供が手をあげている見立てて付いた名前。









「水芭蕉(みずばしょう)」
サトイモ科。
多年草。
湿地に生えて、「芭蕉(ばしょう)」の葉のように大きな葉の様子から名付けられた。
葉は根茎に束生して、楕円形。
花序は、根生して、花柄があり、葉に先立って展開する。
初夏、肉穂花序は、円柱状に密集して両性花を付け、始めは長さ3〜5cmほどだが、次第に大きくなり、黄緑色になる。
花柄の基部に、高さ約20cmの白色で大型の仏炎包が付き、花柄と花序を囲む。









「紫花菜(むらさきはなな)」
アブラナ科。
一年草。
中国原産。
別名には「諸葛菜(しょかつさい)」などがある。
「諸葛菜」は、「諸葛孔明」が広めたとの伝説から付いた別名。
江戸時代に渡来。
当時の日本では、観賞用や油を採取するために栽培されていたよう。
根は白色の直根で、根出葉は羽裂して「大根(だいこん)」の葉に似ている。
開花期は、3〜5月。








「ペーパー・キャスケード」
キク科。
多年草。
英語名は「Paper Cascade」
スペルの関係かも知れないが、「ペーパー・カスケード」とも書くよう。















「桜(さくら)」
「染井吉野(そめいよしの) × 支那桜桃(しなおうとう)」を交配して造った桜。
バラ科。












「桜」の「近畿豆桜(きんきまめざくら)」
「豆桜(まめざくら)」の変種。
近畿地方などによく生えることから付いた名前。
花は、下向きに1〜2個ほど咲く。












「桜」の「東海桜(とうかいざくら)」
中国原産の「唐実桜(からみざくら)」と日本原産の「小彼岸(こひがん)」から生まれたとされている栽培品種。
「染井吉野(そめいよしの)」より早く咲く。
芳香有り。
1950年頃から関西を中心に広まったそう。














「桜」の「十六夜(いざよい)」















「山葵(わさび)」
アブラナ科。
多年草。
清流に生える。
根茎を香辛料に利用する。




















「座禅草(ざぜんそう)」
サトイモ科。
湿地に生える。
別名は「達磨草(だまるそう)」
名前の由来と別名の油性は、茶色の大きな仏焔苞の中に花かあり、仏炎苞を仏像の光背として、仏炎苞の中にある花を「座禅を組んだ“達磨大師”」に 見立てた事による。
「絶滅危惧種」
新潟県では、「絶滅危惧種」に指定されている。
幾つもの県で「絶滅危惧種」に指定されている。
絶滅の危険が高くなっている事になる。



〜 壬生寺 〜


「京都市中京区」に在る。
「壬生(みぶ)」は、この辺りの村の名前。
「壬生村」に在ることから、「壬生寺」と呼ばれるようになった。
正暦2年(991年)、園城寺の快賢僧都によって創建。
新撰組の屯所として使用していた。
新撰組の屯所は、壬生寺、を含めて数ヶ所ほど在る。
新撰組は屯所を別の場所に移してからも、稽古などで利用していた。
一部隊士の墓が在る。
新撰組の縁の寺として知られる。
一部施設有料。(撮影日の確認)




「水掛地蔵(みずかけじぞう)」にお供えされている花を撮影。

















〜 随心院 〜


「ずいしんいん」
「京都市山科区小野御霊町」に在る。
真言宗善通寺派の大本山になる。
開基は、弘法大師より8代目の弟子にあたる仁海僧正。
正歴二年(991年)は、一条天皇から寺地を下賜され建立された。
「小野小町(おののこまち)」ゆかりの寺として知られる。
一部施設有料。(撮影日の確認)




「小野梅園」で撮影。
「梅(うめ)」
バラ科。






































「随心院」内部から表玄関方面を撮影。















「随心院」内部から撮影。



















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