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関西 2012年10月 NO.1


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2012.10.9撮影。


撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。

「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。


〜 京都府 〜


〜 京都丹波/亀岡 夢コスモス園 〜

「きょうとたんばかめおか ゆめこすもすえん」
チラシなどには「京都丹波/亀岡(←赤字の小さい文字) 夢コスモス園(←大きい文字)」、看板には「夢コスモス園」と書いてあった。
「京都市亀岡市吉川町」に在る。
関西有数の規模を誇るコスモス園。
面積は、約4.5ha。
20品種、約800万本のコスモスが楽しめる。
コスモス園、物産展、創作かかしコンテスト、ドッグラン、切花販売コーナー、などが在る。
休耕田を利用しているため、期間限定開園になる。
2012年は、「9月15日(土)〜10月20日(日)」までの期間だったが、延長して「9月15日(土)〜11月4日(日)」までになった。
園内は一部を除き有料。(撮影日確認)




「朝顔(あさがお)」の「オーシャンブルー」
ヒルガオ科。
「野朝顔(のあさがお)」の突然変異亜種。
宿根の朝顔。
多年草になる。
日本種の朝顔より花持ちが良い。
真夏でも昼くらいまで咲いている。
秋になると、 夕方まで咲く事がある。
種ができないため、差し芽で増やす。
開花期は、6月〜11月、だが、一年目は、9月頃頃から開花。
「オーシャンブルー」のトンネルが有料部分の一部の入り口に在る。





「秋桜(こすもす)」の「イエローキャンパス」
キク科。
「コスモス」について説明。
一年草。
メキシコ原産。
日本に渡来した最初の頃は、「秋桜(あきざくら)」と呼ばれていたそう。
コスモスが日本に渡来した時期は、幾つかの説がある。
一つは、明治中期頃。 画家か学校の先生が日本に初めて紹介したといわれている。
一つは、江戸時代末期(1861年〜1864年頃) 島津藩に届いたのが初めてと言われている。
オランダ人かポルトガル人が届けたといわれている。
日本国内で広く見られるようになったのは、明治時代末頃だそう。
花の咲く様子などが日本人に親しまれて、広まっていったよう。
「コスモス」の言葉は、ギリシャ語では「cosmos」で、ラテン語では「kosmos」と書く。
ギリシャ語では「宇宙。世界。」の意味があるそう。
そこから、コスモスや宇宙を「cosmos」と書くようになったそう。
在来種のコスモスは、白色・ピンク色・紅色で、一重咲きだったそう。
現在は、品種改良の関係で、早咲き・遅咲き、一重咲き・八重咲き、ピンク色・白色・赤色・ぼかしの入った色、などたくさんある。
「イエローキャンパス」について説明。
「キャンパス」の名前が付くシリーズの一種類。
切り花向けに改良された秋咲きコスモスの品種。
鮮明な黄色い花が特徴。
花径は、6〜7cm。
中輪咲き。
草丈は、約100cm。
短期開花性。
9月下旬〜10月上旬より開花。





「秋桜」の「ピコティー」
「ピコティ」と書く事もある。
白色地に桃赤覆輪、紅色地に白の絞り、単色などの混合種。
花径は、約7cm。











「秋桜」の「オレンジキャンパス」
「キャンパス」の名前が付く「キャンパス」シリーズの一種類。
とても珍しい淡いオレンジ色の花色。
花径は、6〜7cm。
中輪咲き。
草丈は、1〜1.5m。
日長が短くならないと花をつけないタイプ。
切花向けに改良された。 秋咲き種。







「秋桜」の「シーシェル」
舌状弁が筒状になる変わり咲き。
花径は、約7cm。
中輪。
草丈、約100cm。
開花期間は、7〜11月。
種蒔きから、70〜90日で開花。









「秋桜」の「センセーション ピンキー」
花径は、約8cm。
草丈は、1〜1.5m。
開花期間は、7〜10月。
大輪早生種。











「秋桜」の「チョコレートコスモス」
多年草。
英語名は「chocolate cosmos」
原産地は、メキシコ。
チョコレートコスモスの原種は、野生では絶滅したと考えられている。
草丈は、30〜70cm。
開花期は、5月〜11月。
真夏は開花をしない事があるため、5〜7月、9〜11月、の期間で花を見る機会が多い。
交配種の中には、開花期の長い春〜秋にかけて咲く種類、秋に咲く種類、がある。
全ての種類を合わせると開花期間が長くなる。
花色は、黒紫色。
一重咲き。
チョコレートのような香りがする。
交配などで、花色が赤色のチョコレートコスモスが見られるようになった。
1902年(明治35年)から栽培が始まった。
日本には、大正時代に渡来したと伝わっている。





「藤袴(ふじばかま)」
キク科。
使部は、全草。
効能は、通経、利尿、発汗。
生薬名は「蘭草(らんそう)」
日本に古くからある花。
絶滅危惧種。
減少している主な原因は、河川の開発、道路工事、植物の遷移などになるそう。
100年後には、自生する「藤袴」が絶滅の可能性が非常に高いそう。
「秋の七草」の一つ。
「秋の七草」は、「萩(はぎ)、尾花(おばな)[※薄(すすき)]、葛(くず)、撫子(なでしこ)、女郎花(おみなえし)、藤袴(ふじばかま)、朝顔(あさがお)[※桔梗(ききょう)と言われている]」の以上七つ。





夢コスモス園から見た景色。















「千日紅(せんにちこう)」
ヒユ科。












〜 京都府立植物園 〜


「京都市左京区下鴨半木町」に在る。
園内の敷地面積:約24ha。
大正六年(1917年)に着工。
大正十三年(1924年)1月1日に「大典記念京都植物園」として開園。
第二次大戦中は園内に菜園が設けられ、食糧増産の場になった。
第二次大戦後は、昭和21年(1946年)から12年間、連合軍に接収され閉園なった。
昭和三十六年(1961年)4月、再び公開した。
入園料必要。(撮影日の確認)




「朝顔(あさがお)」の「スプリットペタル」
ヒルガオ科。
変わり咲き品種。
花径は、4〜6cm。
開花期は、9〜11月。
八重咲きの花弁が深く切れ込んでいる。
花弁の元は白色、花弁の縁に向かってピンク色が濃くなっている。








「朝顔」の「カーニバル デ ベネツィア」
スペルは「Carnevale di Venezia」
開花期は、6〜9月。
つるは2mほどまで伸びる。
青色系統のストライプ模様、ピンク色系統のストライプ模様、の入る花が咲く。









「朝顔」の「サンライズセレナーデ」
八重咲きの朝顔。
草丈は、約2〜3m。
晩生種。












「空色朝顔(そらいろあさがお)」の「ヘブンリーブルー」
ヒルガオ科。
熱帯では宿根化する事がある。
日本では一年草と考えて良いらしい。
多く花を付けるのが特徴。
日本種の朝顔より花持ちが良い。
真夏でも昼くらいまで咲いている。
秋になると、 夕方まで咲く事がある。
種が取れ難い。
開花期は、8月〜10月
「西洋朝顔(せいようあさがお)」の一種類。
「西洋朝顔」の和名は「空色朝顔」になる。





「丸葉朝顔(まるばあさがお)」の「ブラックナイト」
ヒルガオ科。
「マルバアサガオ」について。
原産地は、熱帯アメリカ。
日本への渡来は、寛永七年(1630年)頃、「八房」と称したものとされている。
「ブラックナイト」について。
西洋朝顔の一種類。
夏でも10時位まで咲いている事がある。
秋頃になると、午後から夕方近くまで咲く事がある。






「鶏冠鶏頭(とさかけいとう)」の「ピラミドッ久留米(ぴらみっどくるめ)」
ヒユ科。
鶏冠咲き系。












「羽毛鶏頭(うもうけいとう)」の「スマートルックレッド」
ヒユ科。
英語名は「Father Cockscomb」
羽毛咲き種。
草丈は、約25cm。
銅葉系。










「野紺菊(のこんぎく)」
キク科。
多年草。
日当たりの良い山野に生える。
高さは、30cm〜1m。
葉は、長楕円形、両面に毛がある。
開花期は、8〜11月。
頭花は、径約2.5cm。
葉の広いもの、葉の狭いもの、舌状花の色変わり、などの、多くの変種がある。
庭に植える「紺菊(こんぎく)」は、本種から選抜育種したものになる。
鹿児島県では「準絶滅危惧種」に指定。





「ペンタス」の「斑入り」
アカネ科。
斑入りの葉の「ペンタス」
「ペンタス」の別名は、「草三丹花(くささんたんか)」












「バラ」の「アリンカ」
バラ科。
作出年:1985年。
作出国:ドイツ(説明には、作出国、フランス、となっていたが、ドイツの説明を多く見るので、今回は、ドイツ、とした。)
ハイブリッドティー系。
四季咲き性。








「バラ」の「桃山(ももやま)」
作出年:1981年。
作出国:日本。
ハイブリッドティー系。












「バラ」の「ジーン バーナー」
作出年:1968年。
作出国:アメリカ。
フロリバンダ系。












「バラ」の「ルスティカーナ」
作出年:1972年。
作出国:フランス。
フロリバンダ系。












「トレニア・バイロニー」
ゴマノハグサ科。
花期は、5〜10月。
草丈は、20〜30cm。
匍匐性があり、横に這って広がる品種。









〜 壬生寺 〜


「京都市中京区」に在る。
「壬生(みぶ)」は、この辺りの村の名前。
「壬生村」に在ることから、「壬生寺」と呼ばれるようになった。
正暦2年(991年)、園城寺の快賢僧都によって創建。
新撰組の屯所として使用していた。
新撰組の屯所は、壬生寺、を含めて数ヶ所ほど在る。
新撰組は屯所を別の場所に移してからも、稽古などで利用していた。
一部隊士の墓が在る。
新撰組の縁の寺として知られる。
一部施設有料。(撮影日の確認)




「千体仏塔(せんたいぶっとう)」
この塔の石仏は、明治時代に京都の都市計画の際に、市内各地から集められたものになる。












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