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関西 2013年9月 NO.1


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2013.9.8撮影。


撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。


「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。


前日から当日の天気の関係(降雨)、または、散水と思われる状況より、植物や地面などが濡れている写真があります。
ご了承ください。


~ 京都府 ~


~ 御霊神社(上御霊神社) ~

「ごりょうじんじゃ」・「かみごりょうじんじゃ」
「京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町」に在る。
正式名称は「御霊神社」
通称名が「上御霊神社」になる。
境内は「御霊の杜(ごりょうのもり)」と呼ばれていた。
応仁元年(1467年)正月十八日に、畠山政長と畠山義就の合戦が行われた。
「応仁の乱」の発端となった場所としても知られている。




「四脚門」
「南門」になる。
伏見城の四脚門を移築されたものと伝えられている。













境内に植わる木。













~ 京都府立植物園 ~


「京都市左京区下鴨半木町」に在る。
園内の敷地面積:約24ha。
大正六年(1917年)に着工。
大正十三年(1924年)1月1日に「大典記念京都植物園」として開園。
第二次大戦中は園内に菜園が設けられ、食糧増産の場になった。
第二次大戦後は、昭和21年(1946年)から12年間、連合軍に接収され閉園なった。
昭和三十六年(1961年)4月、再び公開した。
入園料必要。(撮影日の確認)




園内に居た鳥を撮影。















「奇想天外(きそうてんがい)」
ヴェルヴィッチア科。
原産地は、ナミビア~アンゴラ南部。
和名は、「奇想天外」、「砂漠万年青(さばくおもと)」、「ウェルウィッチア」、など。
ナミビア~アンゴラ南部の限られた地域に自生する雌雄異株の裸子植物。
終生2枚の葉しか出さない珍奇な植物。
1科1属1種のヴェルヴィッチア科として独立した科が設けられている。
化石の中にも類縁のものは見付かっていない。
長寿な植物としても知られ、推定樹齢2000年の固体も知られている。
種子から発芽した個体が、再び種子をつけるまでに、25年ほどかかると考えられている。
オーストラリアの探検家により、1859年9月3日に発見された。
現在、「奇想天外」は菌類の一種類を宿主とする病原体によって、種子の生存能力が低下し、新しい群落ができにくくなっている。
絶滅危惧種に指定されている。
ワシントン条約に登録されている。
温室内の撮影。




「睡蓮(すいれん)」
スイレン科。














「時計草(とけいそう)」の「パンダ」
トケイソウ科。
園芸品種。
作出年は、2006年。
作出国は、ドイツ。
花径は、約10cm。










「四角豆(しかくまめ)」
マメ科。
熱帯アジア原産。
多年草。
断面が四角形なところから付いた名前。











「タイタンビカス」の「ブライトレッド」
アオイ科。
宿根草。
「タイタンビカス」について説明。
「アメリカ芙蓉(あめりかふよう)」と「紅葉葵(もみじあおい)」の交配選抜種。
巨神タイタンにちなんで名付けられた。
開花期は、6~9月。
花径は、15~25cm。
草丈は、2~3mまで成長する。











「タイタンビカス」の「ピーチホワイト」















「チトニア」の「フィエスタ デル ソル」
キク科。
園芸品種。
花径は、8~10cm。
草丈は、60cm~2m。
花期は、7~9月。
チトニアの別名は、「メキシコ向日葵(めきしこひまわり)」、「メキシコヒマワリ」、「広葉向日葵(ひろはひまわり)」、「ヒロハヒマワリ」







「蔓茘枝(つるれいし)」の「白願寿(しろがんじゅ)」
ウリ科。
「蔓茘枝」について。
別名は、「ゴーヤ」、「ゴーヤー」、「苦瓜(にがうり)」、「ニガウリ」、など。
「白願寿」について。
「願寿」の白色のタイプ。
大型のゴーヤ。
食用に利用できる。

















~ 壬生寺 ~


「京都市中京区」に在る。
「壬生(みぶ)」は、この辺りの村の名前。
「壬生村」に在ることから、「壬生寺」と呼ばれるようになった。
正暦2年(991年)、園城寺の快賢僧都によって創建。
新撰組の屯所として使用していた。
新撰組の屯所は、壬生寺、を含めて数ヶ所ほど在る。
新撰組は屯所を別の場所に移してからも、稽古などで利用していた。
一部隊士の墓が在る。
新撰組の縁の寺として知られる。
一部施設有料。(撮影日の確認)




「本堂」と「千体仏塔(せんたいぶっとう)」













~ 天寧寺 ~


「てんねいじ」
「京都市北区寺町鞍馬口下ル天寧寺門前町」に在る。
山号は、「萬松山(ばんしょうざん)」
曹洞宗に属する。
本尊は、釈迦如来。
元は、会津城下(福島県会津若松市)に在った。
天正年間(1573~1592年)に、天台宗松陰坊の遺跡といわれるこの地に移転されたと伝えられる。
その後、天明の大火により堂宇を焼失した。
本堂は、文化九年(1812年)に、書院は、天保十四年(1842年)に、再建された。
境内墓地には、江戸時代の茶人の「金森宗和(かなもりそうわ)」、剣道示現流の開祖といわれる「善吉和尚(ぜんきつおしょう)」、などのお墓が在る。
山門を通して眺める比叡の秀峰は、額縁に入れたように見えるところから、山門は「額縁門」と呼ばれて親しまれている。




「額縁門」
中央部分の山が比叡の秀峰になる。














特徴から、「枳殻(からたち)」と思われる。
額縁門の付近で撮影。














「境内」




















「境内」
「小紫式部(こむらさきしきぶ)」
クマツヅラ科。














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