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関西 2013年11月 NO.1
後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2013.11.27撮影。
撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。
「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。
前日から当日の天気の関係(降雨)、または、散水と思われる状況より、植物や地面などが濡れている写真があります。
ご了承ください。
~ 京都府 ~
~ 実相院 ~
「じっそういん」
「京都市左京区岩倉上蔵町」に在る。
元天台宗の寺門派(※天台宗には、”山門派”と”寺門派”がある)の単立寺院。
開基は、寛喜元年(1229年)、静基(じょうき)僧正、になる。
本尊は、鎌倉時代に作られたと伝わる木造立像の不動明王、になる。
「岩倉門跡」、「岩倉御殿」、とも呼ばれている。
開山した頃は、現在の「京都市北区紫野」にあった。
現在の地の「京都市左京区岩倉上蔵町」に移った理由は、「応仁の乱」の戦火を逃れるためと伝わる。
岩倉具視が借りて住んでいた内容の記された日記があるそう。
幕末の頃、倒幕派、佐幕派、の両派との繋がりがあったと伝わっている。
一部を除き拝観料必要。(撮影日の確認)
「山水庭園」
「石庭」
「山水庭園」
「色付く葉」
「千両(せんりょう)」と思われる。
「千両」として説明する。
センリョウ科。
常緑低木。
石庭方向を撮影。
~ 高台寺 ~
「こうだいじ」
「京都市東山区高台寺下河原町」に在る。
臨済宗建仁寺派の寺院。
山号は「鷲峰山(じゅぶさん)」
正しくは「高台寿聖禅寺」という。
開基は、「豊臣秀吉(とよとみひでよし)」の正室の「北政所(きたのまんどころ)」(出家後:高台院湖月尼)。
創建は、慶長十一年(1606年)。
開山は、建仁寺の三江和尚。
寛永元年(1624年)七月、三江和尚を開山にむかえて、高台寺と号した。
寺号は、北政所の仏門に入った後の院号の「高台院」にちなんでいる。
拝観料必要。(撮影日確認)
※今回は、秋の夜間特別拝観期間(期間限定・時間限定)の撮影。
「境内」
~ 京都府立植物園 ~
「京都市左京区下鴨半木町」に在る。
園内の敷地面積:約24ha。
大正六年(1917年)に着工。
大正十三年(1924年)1月1日に「大典記念京都植物園」として開園。
第二次大戦中は園内に菜園が設けられ、食糧増産の場になった。
第二次大戦後は、昭和21年(1946年)から12年間、連合軍に接収され閉園なった。
昭和三十六年(1961年)4月、再び公開した。
入園料必要。(撮影日の確認)
園内に居た鳥を撮影。
色付く落ち葉。
色付く木々の葉と落ち葉。
色付く木々の葉と落ち葉。
「寒椿(かんつばき)」
ツバキ科。
「椿(つばき)」の「絞蝋月(しぼりろうげつ)」
ツバキ科。
園芸品種。
花色は、白色に淡紅の絞り。
花形は、一重、ラッパ咲き~平開咲。
~ 壬生寺 ~
「京都市中京区」に在る。
「壬生(みぶ)」は、この辺りの村の名前。
「壬生村」に在ることから、「壬生寺」と呼ばれるようになった。
正暦2年(991年)、園城寺の快賢僧都によって創建。
新撰組の屯所として使用していた。
新撰組の屯所は、壬生寺、を含めて数ヶ所ほど在る。
新撰組は屯所を別の場所に移してからも、稽古などで利用していた。
一部隊士の墓が在る。
新撰組の縁の寺として知られる。
一部施設有料。(撮影日の確認)
「色付く落ち葉」
「染井吉野(そめいよしの)」の葉と思われる。
「水掛地蔵(みずかけじぞう)」にお供えされている花を撮影。
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