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関西 2014年3月 NO.1


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2014.3.28撮影。


撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。


「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。


~ 京都府 ~


~ 地蔵院 (椿寺) ~


「じぞういん (つばきでら)」
「京都市北区一条通西大路東入ル大将軍川端町」に在る。
山号は、「昆陽山(こんようざん)」
正しくは、「昆陽山地蔵院」になる。
浄土宗の寺院。
「椿寺(つばきでら)」の愛称で親しまれている。
神亀三年(726年)、行基が天武天皇の勅願によって、摂津国に建立した地蔵院が始まりとされる。
その後、平安時代に衣笠山麓に移された。
室町時代に起きた、明徳の乱(1931年)で焼失したが、室町幕府三代将軍 足利義満によって再建された。
天正十七年(1589年)、豊臣秀吉の命によって、現在地に移された。




「椿(つばき)」
ツバキ科。














「椿」の「五色八重散椿(ごしきやえちりつばき)」
ツバキ科。
薄桃色、白色に咲き分ける五色の八重椿で、花ごと落ちず、花びらが一枚ずつ散る。
豊臣秀吉が寄贈したといわれる「五色八重散椿」があったが、惜しくも枯死した。
現在は二代目の「五色八重散椿」になる。









「椿」




































~ 十輪寺 ~


「京都市西京区大原野小塩町」に在る。
山号は「小塩山(おしおざん)」
天台宗の寺院。
本尊は、「延命地蔵菩薩」
本尊の別名には、「腹帯地蔵」、がある。
平安時代の六歌仙の一人で、「伊勢物語」でも知られる「在原業平(ありひらのなりひら)」が晩年隠棲したと伝えられる。
別名は、「なりひら寺」、「業平寺(なりひらでら)」、とも呼ばれる。
嘉祥三年(850年)、文徳天皇の后である染殿皇后(そめどのこうごう)(藤原明子:ふじわらのあきらけいこ)の安産祈願のために、「円仁(えんにん)」の弟子の「恵亮(えりょう)」を開山として、伝教大師作で木像の「延命(えんめい)地蔵菩薩」を安置したのが起こりとされている
応仁の乱により堂宇は焼亡した。
江戸時代の寛文年間(1661~1673年)に、公卿の「藤原定好(ふじわらのさだよし)」により再建され、更に、「藤原常雅(ふじわらのつねまさ)」により堂宇が再建され、現在に至っている。
拝観料必要。(撮影日確認)




「三方普感の庭(さんぽうふかんのにわ)」















「沈丁花(じんちょうげ)」
ジンチョウゲ科。














「鐘楼」
「不迷鐘(まよわずのかね)」














「大樟樹(おおくすのき)」
クスノキ科。
樹齢800年、本尊が樟でつくられているので、その分身としている。


















「なりひら桜」と「高廊下」
「なりひら桜」は、樹齢約200年の枝垂れ桜と伝わる。
「高廊下」は、「三方普感の庭」を囲むように建っている。


















「なりひら桜」と「業平御殿」と「茶室」と「高廊下」を上から撮影。
「業平御殿」、「茶室」、「高廊下」、「本堂」は、「三方普感の庭」と「なりひら桜」を囲むように建っている。












「業平御殿」から「なりひら桜」を撮影。




















「本堂」から「なりひら桜」を撮影。















「塩竈の跡」
在原業平が、難波の海から海水を運ばせ、山中で塩を焼いて立ち上る煙の風情を楽しんだといわれる塩竈の跡になる。
在原業平が、かつての恋人 藤原高子が山を隔てた大原野神社に参詣したおり、竈で塩を焼き煙に自分の思いを託したという逸話が伝わっている。















「猩々袴(しょうじょうばかま)」
ユリ科。
常緑多年草。
花期は、3~7月。
名前の由来は、赤い花を猩々(しょうじょう)(想像上の動物。猿の一種といわれる)の顔、下に広がる葉を袴(はかま)、に見立てたといわれる









「菫(すみれ)」
スミレ科。














「竹林(ちくりん)」




















「石灯籠」




















「椿」と「ならひら桜」















「椿」






























~ 高台寺 ~


「こうだいじ」
「京都市東山区高台寺下河原町」に在る。
臨済宗建仁寺派の寺院。
山号は「鷲峰山(じゅぶさん)」
正しくは「高台寿聖禅寺」という。
開基は、「豊臣秀吉(とよとみひでよし)」の正室の「北政所(きたのまんどころ)」(出家後:高台院湖月尼)。
創建は、慶長十一年(1606年)。
開山は、建仁寺の三江和尚。
寛永元年(1624年)七月、三江和尚を開山にむかえて、高台寺と号した。
寺号は、北政所の仏門に入った後の院号の「高台院」にちなんでいる。
拝観料必要。(撮影日確認)

※今回は、春の夜間特別拝観期間(期間限定・時間限定)の撮影。




「灯籠」




















境内から撮影。















「灯籠」















「遺芳庵(いほうあん)」
高台寺を代表する茶席の一つ。














「方丈前庭」と「枝垂桜(しだれざくら)」















「枝垂桜」















「方丈前庭」と「枝垂桜」




















「観月台(かんげつだい)」と「開山堂(かいざんどう)」と「庭園」














「方丈前庭」と「枝垂桜」















池を撮影。
高台寺には、二つの池、「偃月池(えんげつち)」と「臥龍池(がりょうち)」が在る。
「臥龍池」を撮影したと思われる。












境内。




















境内から撮影。















「竹林(ちくりん)」

























ライトアップされた木と夜空を撮影。















ライトアップされた桜。













~ 高台寺公園 ~


「こうだいじこうえん」
「京都市東山区」に在る。
「高台寺」の近くに在る。




ライトアップされた桜。
「染井吉野(そめいよしの)」と思われる。












~ 壬生寺 ~


「京都市中京区」に在る。
「壬生(みぶ)」は、この辺りの村の名前。
「壬生村」に在ることから、「壬生寺」と呼ばれるようになった。
正暦2年(991年)、園城寺の快賢僧都によって創建。
新撰組の屯所として使用していた。
新撰組の屯所は、壬生寺、を含めて数ヶ所ほど在る。
新撰組は屯所を別の場所に移してからも、稽古などで利用していた。
一部隊士の墓が在る。
新撰組の縁の寺として知られる。
一部施設有料。(撮影日の確認)




「桜(さくら)」
「染井吉野(そめいよしの)」と思われる。















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