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関西 2015年10月 NO.1


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2015.10.10撮影。


撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。


「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。


~ 京都府 ~


~ 京都府立植物園 ~


「京都市左京区下鴨半木町」に在る。
園内の敷地面積:約24ha。
大正六年(1917年)に着工。
大正十三年(1924年)1月1日に「大典記念京都植物園」として開園。
第二次大戦中は園内に菜園が設けられ、食糧増産の場になった。
第二次大戦後は、昭和21年(1946年)から12年間、連合軍に接収され閉園なった。
昭和三十六年(1961年)4月、再び公開した。
入園料必要。(撮影日の確認)




「秋桜(こすもす)」
キク科。
一年草。
メキシコ原産。
日本に渡来した最初の頃は、「秋桜(あきざくら)」と呼ばれていたそう。
コスモスが日本に渡来した時期は、幾つかの説がある。
一つは、明治中期頃。
画家か学校の先生が日本に初めて紹介したといわれている。
一つは、江戸時代末期(1861年~1864年頃)
島津藩に届いたのが初めてと言われている。
オランダ人かポルトガル人が届けたといわれている。
日本国内で広く見られるようになったのは、明治時代末頃だそう。
花の咲く様子などが日本人に親しまれて、広まっていったよう。
「コスモス」の言葉は、ギリシャ語では「cosmos」で、ラテン語では「kosmos」と書く。
ギリシャ語では「宇宙。世界。」の意味があるそう。
そこから、コスモスや宇宙を「cosmos」と書くようになったそう。
在来種のコスモスは、白色・ピンク色・紅色で、一重咲きだったそう。
現在は、品種改良の関係で、早咲き・遅咲き、一重咲き・八重咲き、ピンク色・白色・赤色・ぼかしの入った色、などたくさんある。









「秋桜」の「キサントス」




















「秋桜」の「ダブルクリック クランベリー」
「ダブルクリック」について説明。
筒状の花弁の半八重~八重咲き。
豪華な印象でボリューム感がある。
個性的で美しい花は、赤、ピンク、、濃ピンク、白、の混合。
個体により、一重に近い状態、筒状の状態、も若干だが開花することがある。
草丈は、約120cm。
高性種。
「クランベリー」について。
「ダブルクリック」は混合種になるため、濃ピンク色か赤色を選別した淡色品種が「クランベリー」になると思われる。




「秋桜」の「あかつき」
鮮やかな赤~ピンク地に白の絞りや覆輪が様々に入る品種。
種蒔きから約70~80日で開花する。
早咲き種。
花径:約8cm。

























「コスモス」の「ダブルクリック スノーパフ」
「ダブルクリック(混合種)」から選抜された白色の単色品種。
個体により、一重に近い状態、筒状の状態、も若干だが開花することがある。











「バラ」の「光華(こうか)」
バラ科。
作出国:日本。
作出年:1996年。
ハイブリッドティー系。
四季咲き性。










「バラ」の「王朝(おうちょう)」
作出国:日本。
作出年:1983年。
ハイブリッドティー系。
四季咲き性。
芳香有。










「バラ」の「鞍馬(くらま)」
作出国:日本。
作出年:1977年。
ハイブリッドティー系。












「バラ」の「桃山(ももやま)」
作出年:1981年。
作出国:日本。
ハイブリッドティー系。












「バラ」の「イージータイム」
作出国:イギリス。
作出年:2010年。
フロリバンダ系。
四季咲き性。
芳香有。
花径:8~10cm。
別名:「イージーダズイット」
花色は、緋色→オレンジ色→アプリコット色→濃いピンク色、へと変化していく。






「バラ」の「インターナショナル ヘラルド トリビューン」
作出国:イギリス。
作出年:1984年。
フロリバンダ系。
四季咲き性。
花径:約5cm。
名前は、世界各地で発行される英字新聞に由来している。
別名は、「バイオリタ」、など。







「バラ」の「ウララ」
作出国:日本。
作出年:1995年。
フロリパンダ系。
四季咲き性。
微香。
別な施設では「うらら」となっていた。
「うらら」の記述で多く見る。
説明の関係でカタカナ表記にした可能性はあるが、詳細が分からないので、カタカナ表記の「ウララ」として説明した。



~ 壬生寺 ~


「京都市中京区」に在る。
「壬生(みぶ)」は、この辺りの村の名前。
「壬生村」に在ることから、「壬生寺」と呼ばれるようになった。
正暦2年(991年)、園城寺の快賢僧都によって創建。
新撰組の屯所として使用していた。
新撰組の屯所は、壬生寺、を含めて数ヶ所ほど在る。
新撰組は屯所を別の場所に移してからも、稽古などで利用していた。
一部隊士の墓が在る。
新撰組の縁の寺として知られる。
一部施設有料。(撮影日の確認)




境内で見付けた色付く落ち葉。




















「水掛地蔵(みずかけじぞう)」にお供えされている花を撮影。
























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