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関西 2016年1月 NO.1
後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2016.1.9撮影。
撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。
「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。
~ 京都府 ~
~ 佛光院 ~
「ぶっこういん」
「京都市山科区勧修寺仁王堂町」に在る。
説明板より転記。
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当院は、昭和二十六年(1951)四月、かつて勧修寺(かじゅうじ)の塔頭(たっちゅう)があったと伝えられる由緒ある地に、大石順教尼(じゅんきょうに)によって再興建立された寺院である。
順教尼はもと大阪堀江の名妓で妻吉(つまきち)といったが、明治三十八年(1905年)六月、中川万次郎六人斬り事件の巻添えとなって十七歳の身で両腕を斬り落とされた。この不幸のどん底から数々の苦難を乗り越え、求道者として出家得度し、犠牲者の追善と共に身体障害者の救済に生涯を捧げた。両手のないままに口に筆をくわえて書画を描き、非凡な才能を示し日展に入選、また日本人として初めて世界身体障害者芸術科協会の会員にも選ばれた。ここ佛光院にあって、順教尼は全国身体障害者の母と慕われてきたが、昭和四十三年(1968年)四月、奇しくも遭難したのと同じ日の二十一日に入寂した。享年八十一歳。
何事も成せばなるてふ
言の葉を 胸に刻みて
生きて来し我れ
順教尼
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「万両(まんりょう)」
ヤブコウジ科。
「ビオラ」
スミレ科。
~ 勧修寺 ~
「かじゅうじ」
「京都市山科区勧修寺仁王堂町」に在る。
寺に呼び名は「かじゅうじ」だが、住所は「かんしゅうじ」になる。
真言宗山階派の大本山。
平安中期の昌泰三年(900年)、醍醐天皇の母、藤原胤子を弔うために、藤原胤子の母の実家である宮道家邸宅を寺に改めたのが始まりといわれる。
醍醐天皇の祖父に当たる藤原高藤の諡号をとって勧修寺と名付けられ、のちに醍醐天皇の勅願寺となった。
一部有料施設有。(※撮影日確認)
「氷室の池(ひむろのいけ)」
説明板から転記。
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平安時代には毎年正月二日に この池の氷を御所に献上し その厚さで五穀豊凶が占われた専念の古池です。
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「門松(かどまつ)」
「桜(さくら)」の「十月桜(じゅうがつざくら)」
バラ科。
秋から冬(10~12月)、春(4月上旬)、と二回に掛けて咲く桜。
八重咲きの桜。
「さざれ石」
「宸殿(しんでん)」
説明板から転記。
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元禄十年(1697年)一月に、明正天皇の御殿を下賜されたもので江戸時代初期の御所の建物です。
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~ 京都府立植物園 ~
「京都市左京区下鴨半木町」に在る。
園内の敷地面積:約24ha。
大正六年(1917年)に着工。
大正十三年(1924年)1月1日に「大典記念京都植物園」として開園。
第二次大戦中は園内に菜園が設けられ、食糧増産の場になった。
第二次大戦後は、昭和21年(1946年)から12年間、連合軍に接収され閉園なった。
昭和三十六年(1961年)4月、再び公開した。
入園料必要。(撮影日の確認)
「躑躅(つつじ)」の「玄海躑躅(げんかいつつじ)」の白花。
ツツジ科。
中国、台湾が原産。
早めに開花する躑躅。
「玄海躑躅」は、普通は淡紅色~紅紫色だが、白花もある。
珍しい。
白花も該当するか不明だが、「玄海躑躅」は、「準絶滅危惧種」に指定されている。
「玄海躑躅」の内容で説明。
日本の南側で自生。
減少している主な要因は、園芸用の採集、植生の遷移、林道工事になる。
既に絶滅している場所や現状不明の場所などがある。
毎年のように減少していると考えられている。
このままでは、僅かではあるが100年後に絶滅の可能性がある。
このままの状態が続けば、300年後には自然界で絶滅の可能性がある。
「門松(かどまつ)」
「蝋梅(ろうばい)」
ロウバイ科。
中国原産。
別名は、「唐梅(からうめ)」
花径は、約2cm。
花期は、12~2月。
甘い香りの花が咲く。
「スノードロップ」
ヒガンバナ科。
多年草。
耐寒性の秋植え球根草。
原産は、ヨーロッパ、及び、カフカス地方。
学名は「Galanthus nivalis」
属名は「Galanthus(ガランサス)」
英語名は「snowdrop(スノードロップ)」
和名は、「待雪草(まつゆきそう)」、「雪の花(ゆきのはな)」
観賞用。
球根は小型の鱗茎(りんけい)
2月頃、鱗茎から長さ10cm程の線形の葉が数枚出る。
2~3月頃、高さ約15cmの花茎が伸び、頂端に白色の花が下向きに開く。
日本で広く呼ばれる名前は、「スノードロップ」、「待雪草」、だと思われる。
「ガランサス」、「雪の花」、と呼ぶ事がある。
日本には、明治時代初期に渡来したよう。
「水仙(すいせん)」の「グランドソリドール」
ヒガンバナ科。
房咲き水仙。
草丈は、40~50cm。
「椿(つばき)」の「数寄屋(すきや)」
ツバキ科。
「侘助椿(わびすけつばき)」
産地は、江戸だそう。
明治の初めの書物に登場する古くからある椿。
「椿」の「玉兎(たまうさぎ)」
ツバキ科。
園芸品種。
別名は、「白菊(しらぎく)」
産地は、江戸。
花色は、白色。
江戸時代の書物に記録のある古い椿。
「椿」の「菊冬至(きくとうじ)」
園芸品種。
花期は、11月~3月。
産地は、江戸。
花色は、紅地に白斑。
花形は、千重。
花の大きさは、中輪。
江戸時代から知られる古典品種。
「椿」の「桃色雪中花(ももいろせっちゅうか)」
「椿」の「京唐子(きょうからこ)」
花期は、2~4月。
花形は、唐子咲き。
「椿」の「三浦乙女(みうらおとめ)」
花色は、淡桃色。
花形は、千重~八重咲き。
産地は、東京・埼玉。
「椿」の「藪椿(やぶつばき)」
別名に「山椿(やまつばき)」がある。
学名は「Camellia japonica L.」
日本原産の野生種。
花期は、10~5月。
花形は、ラッパ咲き。
種子から「椿油」を採取する。
藪椿を元に多くの園芸品種が作られた。
~ 壬生寺 ~
「京都市中京区」に在る。
「壬生(みぶ)」は、この辺りの村の名前。
「壬生村」に在ることから、「壬生寺」と呼ばれるようになった。
正暦2年(991年)、園城寺の快賢僧都によって創建。
新撰組の屯所として使用していた。
新撰組の屯所は、壬生寺、を含めて数ヶ所ほど在る。
新撰組は屯所を別の場所に移してからも、稽古などで利用していた。
一部隊士の墓が在る。
新撰組の縁の寺として知られる。
一部施設有料。(撮影日の確認)
「水掛地蔵(みずかけじぞう)」にお供えされている花を撮影。
~ 随心院 ~
「ずいしんいん」
「京都市山科区小野御霊町」に在る。
真言宗善通寺派の大本山になる。
開基は、弘法大師より8代目の弟子にあたる仁海僧正。
正歴二年(991年)は、一条天皇から寺地を下賜され建立された。
「小野小町(おののこまち)」ゆかりの寺として知られる。
一部施設有料。(撮影日の確認)
「随心院」内部から撮影。
「随心院」内部から庭園を撮影。
「椿(つばき)」と思われる。
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