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関西 2016年3月 NO.2


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2016.3.20撮影。


撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。


「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。


~ 京都府 ~


~ 圓徳院 ~


「えんとくいん」
「京都市東山区高台寺下河原町」に在る。
「円徳院」の文字を使用することもある。
高台寺の塔頭の一つ。
豊臣秀吉の妻の北政所ねねは、豊臣秀吉の没後、「高台院」の号を勅賜された。
それを機縁に、高台寺建立を発願した。
慶長十年(1605年)、豊臣秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿と前庭を山内に移築して移り住んだ。
これが圓徳院の起こりになる。
ねねは七十七歳で没するまでの十九年間、この地で余生を送り、ねねの終焉の地となった。
ねねを支えていたのが、ねねの兄の木下家定と次男の利房になる。
圓徳院は木下利房の手により、高台寺の三江和尚を開基に、木下家の菩提寺として開かれ、高台寺の塔頭とされた。
寛永九年(1632年)、ねねの没後九年目のことになる。
拝観料必要。(撮影日確認)




苔の上に落ちた椿。















「椿(つばき)」
ツバキ科。














「境内」




















「庭園」




















「椿」













~ 護王神社 ~


「京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町」に在る。
京都御所の蛤御門前に在る。
主祭神は、「和気清麻呂公命(わけのきよまろこうのみこと)」、「和気広虫姫命(わけのひろむしひめのみこと)」
確かな創建年は伝えられていない。
もとは高雄山神護寺の境内に和気清麻呂公の霊社として祀られ、古くから「護法善神」と称されていた。
江戸時代末の嘉永四年(1851年)、孝明天皇は和気清麻呂公の歴史的功績を讃えて正一位護王大明神の神階神号を授け、明治七年(1874年)、「護王神社」と改称して別格官幣社に列せられた。
明治十九年(1886年)、明治天皇の勅命により、華族中院家邸宅跡地であった京都御所の蛤御御門(はまぐりごもん)前の現在地に社殿を造営し、神護寺境内からご遷座された。
後に、和気清麻呂公の姉の和気広虫姫も主祭神として合わせ祀った。
その後、境内の霊猪像(狛いのしし)が奉納され、「いのしし神社」とも呼ばれ親しまれている。




「狛いのしし」
鳥居の傍に居る。
























「狛いのしし」
境内に居る。
























「手水」
いのししの姿をしている。












~ 高台寺 ~


「こうだいじ」
「京都市東山区高台寺下河原町」に在る。
臨済宗建仁寺派の寺院。
山号は「鷲峰山(じゅぶさん)」
正しくは「高台寿聖禅寺」という。
開基は、「豊臣秀吉(とよとみひでよし)」の正室の「北政所(きたのまんどころ)」(出家後:高台院湖月尼)。
創建は、慶長十一年(1606年)。
開山は、建仁寺の三江和尚。
寛永元年(1624年)七月、三江和尚を開山にむかえて、高台寺と号した。
寺号は、北政所の仏門に入った後の院号の「高台院」にちなんでいる。
拝観料必要。(撮影日確認)




「椿(つばき)」
ツバキ科。
























「馬酔木(あせび)」
「あしび」とも読む。
ツツジ科。
日本原産。
有毒植物。
万葉集に詠われている、日本に古くからある花。
馬や牛が「馬酔木」を食べると、有毒成分の関係で、酔ったような姿になるというところから、「馬酔木」という名前がついたと言われている。
基本的には、牛や馬をは「馬酔木」を食べないそう。
詳細は、各自でお調べください。





「遺芳庵(いほうあん)」
高台寺を代表する茶席の一つ。














「方丈前庭」















「椿」




















「竹林」

























龍の置物。













~ 京都御苑 ~


「京都市上京区」に在る。
東西約700m、南北約1300m。
御所などを除いた約63haが、国民公園として終日開放されている。
「京都御所」の周囲と地区が該当する。
京都御苑が現在のような公園として整備されたのは、明治以降の事になる。




「蛤御門(はまぐりごもん)」
京都御苑の周りには、かつての公家町と市中の境界であった九つの御門がある。
九つの御門の一つ。
「蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)」では、「蛤御門」は、会津藩が護っていた。
江戸時代末期の元治元年(1864年)、蛤御門の周辺で、長州藩、御所の護衛に当たっていた会津藩・薩摩藩・桑名藩、の間で、激戦が行われた。
この時の戦いを「禁門の変(きんもんのへん)」(別名:蛤御門の変[はまぐりごもんのへん])と呼ぶ。
蛤御門の梁には、この時の鉄砲の弾痕らしく跡が残っている。
この門は、「新在家門(しんざいけもん)」と呼ばれ、常に閉ざされていたが、江戸時代の大火で、それまで閉ざされていた門が初めて開かれたため、「焼けて口を開く蛤」に喩えて、「蛤御門」と呼ばれるようになったといわれる。
蛤御門の変では、御苑一帯が主戦場になった。
蛤御門の変の最大の激戦地になったのが蛤御門になる。




「花桃(はなもも)」
バラ科。
























「辛夷(こぶし)」
モクレン科。
辛夷の花が咲く頃や様子を、農作業の暦代わりとして、各地で古くから利用していたそう。
幼児の握り拳のような形の実が辛夷の名前の由来だそう。
花の基に小さな葉が一枚つくという特徴がある。
辛夷の花のつぼみを乾燥させて、「辛夷(しんい)」として、漢方の薬として使用しているそう。
効能などの詳細は、各自でご確認ください。
絶滅危惧種に指定。
京都府では「準絶滅危惧種」
奈良県では「情報不足種」
近畿の範囲は「絶滅危惧種」だそう。









「木蓮(もくれん)」
モクレン科。
別名は、「紫木蓮(しもくれん)」、「紫モクレン(しもくれん)」、「シモクレン」、「マグノリア」、など。

















「白木蓮(はくもくれん)」
モクレン科。
原産地は、中国。
落葉高木。
「木蓮(もくれん)」の名前の由来は、白い9枚の花びらを台座の蓮華座に見立てたことによる。
白色の清楚な花が咲く。









「桜(さくら)」
バラ科。












































「椿(つばき)」
ツバキ科。















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