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関西 2016年6月 NO.2


後日、写真等の差換え変更等の可能性があります。
ご了承ください。
2016.6.26撮影。


撮影場所に関する簡単な説明を掲載します。
詳細は各自でご確認ください。


「関西」の定義は、様々な定義があります。
当サイトの写真集では、「近畿」より広く考える定義を基にしました。
ご了承ください。

前日から当日の天気の関係(降雨)、または、散水と思われる状況より、降雨、植物や地面などが濡れている写真があります。
ご了承ください。


~ 京都府 ~


~ 実相院 ~


「じっそういん」
「京都市左京区岩倉上蔵町」に在る。
元天台宗の寺門派(※天台宗には、”山門派”と”寺門派”がある)の単立寺院。
開基は、寛喜元年(1229年)、静基(じょうき)僧正、になる。
本尊は、鎌倉時代に作られたと伝わる木造立像の不動明王、になる。
「岩倉門跡」、「岩倉御殿」、とも呼ばれている。
開山した頃は、現在の「京都市北区紫野」にあった。
現在の地の「京都市左京区岩倉上蔵町」に移った理由は、「応仁の乱」の戦火を逃れるためと伝わる。
岩倉具視が借りて住んでいた内容の記された日記があるそう。
幕末の頃、倒幕派、佐幕派、の両派との繋がりがあったと伝わっている。
一部を除き拝観料必要。(撮影日の確認)




「緑色の木の葉」と「赤色と緑色の翼果(よくか)(実)」















「院内」に在る「石灯籠」




















「山水庭園」

























「石庭」















「山水庭園」














~ 京都府立植物園 ~


「京都市左京区下鴨半木町」に在る。
園内の敷地面積:約24ha。
大正六年(1917年)に着工。
大正十三年(1924年)1月1日に「大典記念京都植物園」として開園。
第二次大戦中は園内に菜園が設けられ、食糧増産の場になった。
第二次大戦後は、昭和21年(1946年)から12年間、連合軍に接収され閉園なった。
昭和三十六年(1961年)4月、再び公開した。
入園料必要。(撮影日の確認)




「紫陽花(あじさい)」の「ブルースカイ」
ユキノシタ科。
園芸品種。


















「紫陽花」の「城ヶ崎(じょうがさき)」
「額紫陽花(がくあじさい)」
名前の由来は、伊豆で発見されたことによる。













「紫陽花」















「アルストロメリア」の「サマースノー」
ユリズイセン科。














「ベゴニア」の「ビッグ レッド&グリーンリーフ」
シュウカイドウ科。
多年草。
園芸品種。












「ベゴニア」の「ビッグ ローズ&ブロンズリーフ」
多年草。
園芸品種。


















「ガーベラ」
キク科。
「ガルビネラ」のシリーズの一種類。























「半夏生(はんげしょう)」
ドクダミ科。
「半化粧」と書く事もある。
別名は「片白草(かたしろぐさ)」
「半夏生」の頃に葉が白くなり、時期が過ぎると再び緑色に戻る。
不思議な植物。
用部は、全草。
用途は、利尿、など。
効能・使用方法を含めた詳細は各自でご確認ください。






「蓮(はす)」
スイレン科。



















「スイートアリッサム」の「スーパーアリッサム」の「スノープリンセス」
アブラナ科。
「スイートアリッサム」の和名は、「庭薺(にわなずな)」、「匂薺(においなずな)」
「スイートアリッサム」を夏越え出来るように改良した品種が、「スーパーアリッサム」







~ 誓願寺 ~


「せいがんじ」
「京都市中京区新京極桜之町」に在る。
宗派は、「浄土宗西山深草派」
総本山は、「京都 新京極 誓願寺」
開基は、承安五年(1175年)、法然上人による。
本尊は、阿弥陀如来。
天皇の勅願により創建される。
最初は奈良に在ったが、鎌倉時代初期に京都に在る一条へ小川移転したが、豊臣秀吉の寺町整備により、三条寺町(現在の地)に移された。
清少納言、和泉式部、松の丸殿(豊臣秀吉の側室)、帰依したことでも知られる。




「手水」




















「迷子のみちしるべ」
正面に「迷子みちしるべ」、右側に「教しゆる方」、左側に「さがす方」と彫ってある。
その当時、落し物、迷子などの時は、落した人は捜す方へ、拾った人は、教える方へ、この石に紙に書いて張り出した。
警察のなかった江戸末期から明治中期、迷子が深刻な社会問題となり各地の社寺や盛り場に建てられたそう。
月下氷人(仲人)役の石ということから、別名が「奇縁氷人石」とも呼ばれる。
現存の石柱は、明治十五年(1882年)9月に建立されたものになる。








~ 天授庵 ~


「てんじゅあん」
「京都市左京区南禅寺福地町」に在る。
南禅寺塔頭。
暦応二年(1339年)、光厳天皇から塔所建立の勅許を得て、翌年、建立された。
慶長七年(1602年)、武将で歌人としても知られる細川幽斎により再興された。
主だった庭園が二つ在る。
一つは、菱形の畳石が並んだデザインの枯山水庭園・方丈前庭。
一つは、紅葉が池の周りを取り囲む池泉回遊式庭園・書院南庭。
拝観料必要。(※撮影日確認)




「庭園」















「桔梗(ききょう)」
キキョウ科。
絶滅危惧種。
減少している主な原因は、園芸用の採取、草地植生の遷移、草地の開発になるそう。
既に絶滅している地域があり、毎年のように減少していると思われる。
このままだと100年後には自然界で自生する桔梗は絶滅すると考えられているそう。












「庭園」

































































色付く葉の茂る木々。
















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